第304話 下水道

 続いては、ルーカス村へ出張だ。私しかできない、マリアツェルの住民たちに役立つこと、思いついちゃったのだもの。


 まともに往復すると四日くらいかかっちゃうから、ちょっとズルをした。町はずれまで行ったところで、ビアンカがちゃちゃっと服を脱いで……虎型になった彼女に乗せていってもらったのだ。


 街道を行く旅人は、小娘を乗せて突っ走るサーベルタイガーに驚いている。だけどすでに領内ではサーベルタイガーとの共生関係がよく知られているから、矢を射かけられたりすることはない。まあ、万一襲われてもビアンカのスピードなら、あっという間に振り切っちゃうけどね。


 そんなわけで一日で着いた、久しぶりのルーカス村。私たちがバイエルンでの生活を始めたところ……ヴィクトルとの想い出もあちこちに散らばっている。ちょっとうるっとしてしまうのだけれど、今日は追憶にひたるために来たのではないわ。会いたい人というか、獣がいるのよ。


 一夜の宿をお願いした村長さんの家で夕ご飯をごちそうになって、ちょっとお酒などもいただく。もちろんまだ私たちの家だったログハウスは健在だけれど、いまやあそこは高級宿。王都からおカネ持ちの貴族や大商人さんが次々訪れて連日満室なのだそうだ。貴重な収入源だから私たちが邪魔したらいけないよね。


 だけど私にとってはこれからがお仕事だ。日がとっぷりと暮れた後、麦畑に出る。


「お願いがあるの、いるなら返事してくれる?」


(……)


 返事はない。


「ね、応えて?」


(……)


 やはり返事はない。


「珍しい馬肉ベーコン、持ってきたから!」


(……ふん、何も言わずに勝手にバタバタ出ていきおってからに)


 あ、やっぱりベーコンなら釣れるのね、相変わらず、ちょっとちょろくて心配になる。


 私が釣った……もとい訪ねたのは、ルーカス村防衛戦でとってもお世話になった、鉄モグラさんだ。クララ謹製のベーコンやハムを提供する代わりに、空堀をものすごい速度で造ってもらっていたのよね。その力を、マリアツェルでも発揮してもらえないかなと思って。


「ごめんなさい、悪い人間から逃げなくてはならなかったのですもの。うん、今はもう大丈夫。それで……またお仕事、頼めないかなと思って」


(貢ぎ物次第だのう)


 差し出した馬肉ベーコンに早速かぶりつく鉄モグラさん。うん、どうやら話を聞いてもらえるみたいだ。私は、ゆっくりと説明した。


 新領土のマリアツェルには、下水道というものがない。まあ、アルテラ以東には、そういうものがもともとなかったので、仕方ないのだけれど。


 じゃあ衛生はどう維持していたのかというと、汚水を街の外に運んで捨てる仕事を、獣人や奴隷にやらせることで、何とかしていたのだ。高級住宅地はそれでいいかも知れないけど、人を雇うカネもないスラムは汚水垂れ流しだった。そしてこれから街をもっと大きくしようと思ったら、汚水処理を人力になんて頼っていたらいずれ破綻する。いい街をつくるなら、下水道を造ることは、必須なのだ。


 だけど、マリアツェル一帯はごく薄い表土を除けると、その下はカッチカチの岩盤にぶつかってしまう。凝灰岩って言うんだと、何でもご存じのディートハルト様が教えてくれたけれど。そんな岩をくりぬいて地下水道をつくるなんて、何年かかるかわかりはしない。


 だけど、鉄モグラさんならどうだろう? 鉄モグラさんはその名の通り、鉄のような爪でものすごく硬い地層でも堀り抜いて、巣穴を無限に広げていく。巣穴を広げすぎて岩山が崩れてしまった話なんかも、聞いたことがあるくらいだ。


「というわけなの。何本も地下水道を掘りたいから、あなたの家族だけでは足りないと思うのだけど……」


(この燻製は、なかなかうまいな。毎日、これを食わせるのだぞ)


「え? いいの?」


 何だか拍子抜けした私は、間抜けな声を出してしまう。


(美味い肉を食わせてくれるとそなたが約束するなら、仲間も連れてくるがの?)


「う、うん! 頑張ってベーコン、確保する!」


 ホントにベーコンで、釣れちゃったよ。いいのかな。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 そんなやりとりをしてから、三ケ月後。


 街を貫く第一号下水道が完成した。もちろん街の中央しかカバーできていないけれど、驚きの速さだ。このペースならば、四~五年で市内全域に衛生管理が行き届くだろう。


 掘削に参加してくれた鉄モグラさんは十家族。全部で八十頭くらいでひたすら夜中に掘りまくったのだ。モグラ部隊の士気をベーコンやハム、ソーセージで維持するために、燻製屋さんを丸々ひとつ行政府で抱え込んだ成果がこれ……よく考えたら、お得だったよね。


 学校建設の時なんかは冷ややかな眼で見る市民もいたのだけど、下水道完成セレモニーは予想外に大盛り上がりで、屋台や露店も出てお祭りみたい、目抜き通りは喜びの声で満ちた。おカネ持ちも貧しい人も、人間も獣人も、みんな等しく望んでいたことだったみたい。汚水運搬を生業としていた人は喜んでいないかもしれないけど、これからもっといろんなお仕事を作っていくから、許して欲しいな。


 早速、富裕層の間でトイレを水洗に改造するのが流行していて、職人さんは大忙しだそうなの。私たちの住む官舎も、水洗トイレとお風呂付きになった。


 さすがに贅沢かなと思って遠慮したのだけど……いつも控えめなビアンカが珍しく「お姉さんにこそ必要ですっ!」とバリバリ行政府の文官さんに迫って、街で二番目か三番目だかに早い工事をネジ込んだのだ。職権濫用みたいで少し申し訳ないけど、やっぱり気持ちいいわあ。それにほら、クララとファニーのためにもなるしね、決して私だけのためじゃないのだ。うん、そう思うとしよう。


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