第303話 やる気になった私

 私だけのための公演は、王都にいるカタリーナ母様の仕掛けだったそうだ。


 離れていても私を気遣ってくれる優しい母様は、ビアンカと頻繁に文通して、私の様子を窺ってくれていた。その便りに綴られる私の姿は、表面的には普通に振舞っているけれど、何か芯が抜けたような、ふにゃっと頼りないものだったらしい。


 言われてみれば、そうだったかも。終戦間もない超忙しい時期は気を張っていたけれど、支配体制も固まって、ローザをはじめとする文官さんたちが主体となって仕事を回せるようになってきたら、なんだか気が抜けてしまったのだ。自分の役割はもう終わったかな、みたいな。


 そんな日々が続くと、ヴィクトルのことなんかをぼんやり想い出しながら、空を眺める時間が増えていったのよね。ビアンカやルルの気遣わし気な視線を感じるときもあったけれど、取り繕うエネルギーがなかったのよね。


 だから母様は、ヴィクトルの言葉をもう一度私に聞かせようと画策したわけなのだ。もちろん本物はもう二度と降臨するわけはないから、歌劇を使ってだけどね。というわけで劇団の代表様との親友関係もフルに使って、母様はマリアツェル公演の最終日に「ロッテ専用公演」を突っ込んだというわけ。ビアンカに対しては「必ずロッテを劇場に連れて行くのよ!」と厳命して。


 うん、母様の狙いは、確かに当たりだった。


 私は、表面上立ち直っていた。だけど、その立ち直りはヴィクトルが死んだ後自分がどう生きていくかって考えることから逃げて、得られたものだ。


 そこに母様は、歌劇を使って彼の言葉をぶつけたのだ。「いつも前向きな、周囲を幸せにするロッテが好き」って。


 ああ、そうだった。彼が愛してくれた私って、無鉄砲なくらい前向きで、そしてなぜだかまわりの人を巻き込んでひたすら道を切り開く、そういう存在だったのだ。中央教会でヴィクトルの声を聞いて、ずっとそういう私でいようって、その時はそう決心したっけ。


 だけど今の私は、その姿の対極にいる。ただ与えられた義務を果たしているだけの、疲れた顔をした、大して優秀でもない女領主だ。今の姿を見たら、彼はきっとがっかりするだろう。このままじゃ、いけないよね。


 そうだ、まだ何をすべきかはわからないけど、しっかり前を見よう。ヴィクトルが好きだと言ってくれた、私でいなくちゃ。もう一度彼の声を聞くことができるなら、その時自分の姿に胸を張れるようになっていたいから。


 よし、もう下は向かないよ。そして、できるだけたくさんの人を、幸せにするんだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 とりあえず……だけど、私は覚醒した。


 翌日から早速ローザのいる執政官室に押しかけて、獣人の地位向上策について熱く議論を交わした。


 なにしろ私がこの件に関してやったことと言ったら、学校を造っただけ。もちろん悪いこととは思わないけど、これだけじゃあ私の目指す姿になるには何十年かかるかわからない。ここは獣人であるが故にたっぷり苦労した彼女に、意見を聞かないとね。


 殺人的に忙しいローザのところにさらに面倒事を持ち込んでしまった私だけれど、彼女はなぜだかほわんと優しく、満足げな視線を向けてくれた。


 そしてその場に人間と獣人の文官を一人ずつ呼んだ上で、次々とアイデアを出していく。私がうなずいて承認すると、二人の文官さんにちゃちゃっと指示を出し、彼らも即座に了承しメモを取る。うわあ、やっぱり仕事できるわ……というよりもローザは、私が「その気」になったらいつでも出せるように、いくつも腹案を考えてくれてたみたいなんだよね。これまで気の抜けていた私を見て、提案しかねていたようなのだ……なんだかとても、申し訳ないわ。


 そんなわけで、ものの一ケ月もかからず、たて続けに獣人の自立策が打ち出された。


 ギルドと協力した職業訓練制度の開始、優秀な子供への奨学金支給、獣人であることを理由として賃貸住宅入居制限を行うことの禁止、半分スラム化していた獣人街の整備清掃、公共工事への獣人優先雇用……そして、新たに創設した辺境伯軍への、獣人部隊創設。


 モノやおカネをただ与えるのではなく、稼ぐ機会と教育を与えるべき、という私のざっくりした方針に従って、ローザがすばらしい勢いで具体策を立案してくれたのだ。そして部下の文官さんたちが、迅速にそれを実行してくれる。


 スラム名物だった、昼間からお酒を飲んでぶらぶらしている働き盛りの獣人さんが、まず通りから消えた。そう、彼らだって遊びたかったわけじゃない、まともなお仕事さえあれば、働いておカネを稼ぎたかったのだ。


 特に人気を博したのが、領軍の獣人部隊だ。アルテラ軍では基本的に騎士や重装歩兵は人間が務め、獣人は荷物運びのような仕事しか与えられなかったけれど、今度の獣人部隊は将校まで等しく獣人だから、そんな差別はない。きちんとお給金も出るし、魅力的なお仕事であるはずだ。もともと人間より身体能力が高い獣人さんたち、それを活かさない法はない。数年後には、指揮官も獣人から選びたいと思っている。


 私の目指す社会はまだ遠いけれど……それに向けて努力する姿を、ヴィクトルに見せてあげたいの。うん、明日もがんばるよ。

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