第302話 私だけのための公演
子供たちに私の登場がウケたのは、他でもない。王都でメガヒットとなった大衆歌劇「聖女シリーズ」公演が、マリアツェルまで来たからだ。
あの劇団は、今も王都でロングラン公演中。別に地方公演なんかしなくても十分稼げるそうなのだけれど、野心的な劇団長さんは劇団を二部隊に分けて、一方は王都で稼ぎまくり、もう一方は地方巡業でファンの裾野を広げることにしたのだ。おそらくそこには、カタリーナ母様とクリストフ父様の勧めと支援があったに違いないのだけど。
そして地方巡業の記念すべき一箇所めが、マリアツェルだったというわけなのだ。人口も少ない最果ての地方都市での公演はもちろん旨味が少ないのだけれど、大規模巡業を許可した王家の強い意向で、ここになったのだ。役者さんたちは皆この公演だけのために、アルテラ語をしっかり学ばされたのだとか。
目的は一つ。ほんの数ケ月前まで戦っていた敵国から乗り込んできた小娘領主への支持を高め、少しでも統治をやりやすくしてくれようとの、王都にいる腹黒さんたちの配慮なのだ。羞恥プレイ感が漂う宣撫工作なのだけれど、それで一人でも私を受け入れてくれる住民さんが増えるならいいかと、ありがたくその思いやりを頂くことにしたわけなの。
効果は、想像をはるかに上回るものだった。
王都でヒットした「献身の聖女と奇跡の令嬢」「献身の聖女は巨悪を暴く」「献身の聖女は伝説の賢者を救う」「その獣が愛するは献身の聖女」に、新作「獣は死して聖女を守りぬ」が加わった日替わり五部構成で、一日三回の公演は毎回札止め。あまりの盛況に、一ケ月の予定だった劇団の滞在が、急遽二ケ月に延長されたくらいなのだ。単なる営利公演じゃなく新領土での人気取りも兼ねているから、全体の三分の一は無料として、貧しい獣人たちにも見てもらえるように王家が計らってくれている。
そんなこともあってマリアツェルの住民さんの眼には、「新領主の聖女」の虚像が、実物より清く正しく美しく映っているようなのだ。お陰で公式の場に出るたびに「あれが聖女? 思ったより地味でがっかり〜」とか言われてるんじゃないかとビクビクする私なのよね。
だけどさっきの生徒たちの反応を見る限り、住民の好意を獲得するのに歌劇が役立っているのは、間違いなさそうだ。必要以上に飾り立てられた虚像には背中がむずむずしちゃうけれど、ここは我慢するしかないだろう。
第四弾あたりからはアルテラとの戦いがストーリーの主になるから、旧アルテラの住民たちにはどう受け止められるんだろうと心配していたのだけれど、実際はどうっていうこともなかった。これまで帝国は国民に対し圧政を布いていたから、反乱もなかったけど人気もなかったのだ。多くの民はアルテラ軍を叩き潰す聖女や火竜の姿に、痛快歓呼の声を上げているという。
私も第四弾までは、真っ先に領主特権で観劇させてもらった。アルテラ語版だから半分くらいしか言葉はわかんないのだけど、そもそも私の話だから、なんとなくストーリーはわかるわけよね。エース俳優は王都に残っていて、ここで演じているのは二番手の方だというけれど、そんな風には思えないほど素晴らしい歌と演技だ。そりゃ舞台セットの豪華さや精緻さなんかは王都劇場に及ばないけれど、感動は十分伝わるわ。
だけど、最新作の第五弾だけは、とても見る気になれなかった。ヴィクトルの死をまだ完全に消化できていない私にとっては、ちょっと辛すぎるから。
その第五弾の制作にあたっては、さすがに劇団も私とハイデルベルグ家にお伺いを立ててきた。到底了承する気にはなれなかった私だけど、いろいろ説得され、さんざん考えた末に最終的にはゴーを出したのだ。決め手はサーベルタイガーの族長、ヴィオラさんの言葉だった。
「私は、いいことじゃないかと思うよ。私たち魔獣が、恐ろしいだけじゃなく人を愛し、共に生きる存在になりうると、多くの人間たちが考えてくれるだろうから。だけど最後はロッテちゃんの感情が、ヴィクトル殿の死を見せ物にすることを許せるかどうかね」
結局、私は歌劇化を受け入れた。人々が魔獣に抱くイメージが、少しでも好意的になるのなら。魔獣と人間が、交わらずとも互いを尊重し合って生きる世界を作るのに、ちょっとでも助けになるならと。
私自身は、ヴィクトルが死ぬシーンなんか、とてもじゃないけど見る気がしなかったけれどね。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「今日は私と、デートして下さい!」
なぜか今晩に限って、ビアンカがちょっと強引に私を街に連れ出すの。
ちょっとおしゃれなレストランで早めのお夕食とワインを頂いて、ほんわかした気分のまま彼女に手を引かれていざなわれたのは、例の劇団が駐在している劇場。あれ? 確か昨日が千秋楽で、大成功のうちに終わったと聞いていたのだけど。
劇場の中はまるで公演中のように煌々と灯りがともされているけれど、もちろん他に観客はいない。怪訝な思いを抱えつつもビアンカにぐいぐい引っ張られて、最前列中央の席に身を沈める私。
その瞬間、舞台の幕がさあっと左右に開いた。
「アルテラが侵攻してくるですって?」
主演女優さんの素晴らしくよく通る声が響く。
えっ? これから、歌劇が始まっちゃうの? 驚いて隣のビアンカを見やれば、彼女は眼を潤ませて私の手をぎゅっと握り込んでくる。
「お姉さん、騙して連れてきたみたいで、ごめんなさい。でも、一度は観て欲しいんです」
そんなこと言って濡れたエメラルドの視線を真っすぐ向けられたら、うなずくしかない。私はもう一度、舞台に向き直った。
……その歌劇は、本当にすばらしかった。
観客が私だけだったからだろうけど、これまでのアルテラ語じゃなく大陸公用語で朗々と歌い上げられるあの戦役の叙事詩。
そこに描かれるのは疾駆する騎兵の雄叫び、空駆ける火竜、賢者の大魔法、そして……聖女と魔獣の不器用な恋。徐々に距離を詰めるけれど最後の数センチが埋まらないそんな関係から、やっと想いを通じ合わせる二人。
「俺は、いつも前向きで、まわりの人を幸せにする君が好き」
ああ、彼はいつも、そう言ってくれてたよね。
だけど、破綻がやってくる。数ではるかに上回る敵に包囲され、聖女の運命は風前の灯火。魔獣はその強大な力をすべて注いで聖女を守り、血路を開いて……自らは斃れる。
「誓ったはずだ、生命をかけて守ると……幸せになるんだよ」
魔獣は消えていった。戦には勝利するも、悲嘆にくれる聖女。
しかし、つかの間の再会は成る。教会でひたすら祈る聖女の耳に、恋焦がれた声が。彼女を励ます最後の言葉を残し今度こそ天に昇る、優しき魔獣。その言葉を胸に、新たな道を進むであろう聖女。
私は堰が切れたかのように、ひたすら涙を流していた。手には私のじゃないハンカチが……たぶんビアンカがそっと差し出してくれたもののはず。そのハンカチも、もうぐっしょり濡れている。
そして、幕が下りた。私はまだ眼からあふれるものが止まらない状態のまま、カーテンコールする女優さんの手をとって、ぐっと握りしめた。
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