第292話 おかしな司令官の処罰は
「さて、次の議題はゲイル・ヴァルトの件だが……」
陛下が切り出すと、ローゼンハイム伯の眉がぴくっと緊張する。伯爵様やクリストフ父様が、何やら私の様子を窺うような態度が、気になるわ。だけど、ゲイルって誰だっけ? 人の名前を覚えるのが苦手な私が考えこむのを見て、私の後ろに控えていた秘書役のビアンカが、すっと近づいてきてささやく。
「思い出したくもないでしょうが……ヴァイツ砦の司令官です」
ああ、あのキリギリスみたいな司令官か。さんざん女はいかんとか獣人はダメとかけなしまくったあげく、街道沿いの警邏すら役目を全うできず、私たちを挟撃の危機に追い込んだ、あの無能なやつね。あいつのせいでヴィクトルは死ななければならなくなった。相応の罪を、贖ってもらわないとね。まあそれは、陛下や、軍の責任者たる伯爵様が決めることだけれど。
「軍としてはどのように考えておるか?」
「彼奴の犯したサボタージュは重大。普通にやっておれば見逃すはずもない敵の集結地を見落とし、遊軍を挟撃の危機にさらしました。通常の軍法会議に掛ければ、断首とするのが適切となるでしょう」
うん、まあ、そうなるか。こういう手合いに寛大な処置をしていたら、軍としては示しが付かないよね。私には何の感傷も湧かない、だってあんな奴を殺したって苦しめたって、ヴィクトルがもどってこない事実は、変わらないのだから。
ぼんやりとそんなことを考えていた私は、ふと陛下や伯爵様が、こっちをじぃっと見ていることに気づく、うん、なぜ?
「皆さん、どう、なさったのですか?」
「いやまあ、こいつの怠慢に一番怒るべき立場の者は、聖女なのではないかと思っての。じゃから、この処分でいいのかどうかは、聖女に聞くべきではないかと思うのじゃ」
陛下が素の「のじゃ」言葉に戻って、問いかけてくる。ええ~っ、私が決めるの? 混乱しつつしばらく考えた私は、ようやく答えた。
「彼は私の大事な者を奪う切っ掛けを作った人物、許すことはできません。ですが、彼に復讐をする意志も、私にはないのです。死罪にすることは軍としては見せしめとなり、本人にとっても楽なのかもしれませんが……陛下、彼の家族と面会することは、できますか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
ゲイルの妻と言う女性は、やはりキリギリスみたいに痩せていた。不健康な痩せ方だったから、戦後のあれこれ心労で、やつれたものだろうか。その隣にいる、私より少し若いくらいの健康そうな少女は、娘さんなのだろう。
「聖女様、お許し下さい……主人が為した所業のせいで、聖女様が連れ合いを亡くされたと伺っております。主人や私の命でしたらいくらでも差し上げます、どうかお許しあって、せめて娘だけは、お助けを……」
うん? 何だか、随分脅されてきたみたい。まあ、ここ数日でヴィクトルの伝説が市井に広がったせいで、彼が死ぬ原因を作ったゲイルを指弾する言葉が、王都中に満ちているからね。きっと、身が縮む思いだったでしょう、この母娘に罪はないのに。
「楽にしてください。私は貴女方を非難するつもりも害するつもりもありません。私が聞きたいことは一つだけ。ご主人は、貴女たちにとって、よい夫であり、よい父親でしたか?」
「はい。あの人は私たちに少しでも楽な暮らしをさせるためにと、進んで辺境勤務を希望して転々としておりました。私たちには、優しいだけの人でした……」
「そうです、たまに帰ってくるたびにぎゅっと抱きしめてくれる身体の匂いが好きで……」
母娘の答えを聞いて、私の心は決まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「死刑にもせず、収監もしないというのか?」
ローゼンハイム伯爵様が驚きの声をあげる。私が彼を助命する選択肢は予想していた彼も、牢獄にすら入れないという私の決定には、納得がいかないようだ。
「ええ。但し彼には一兵卒として、最北の砦での衛兵勤務をやってもらいます。但し、一生涯という条件で」
「聖女はそれが、奴への処罰になると言うのかの?」
陛下も意外そうな表情だ。
「ええ、まず死罪は、本人が楽になって家族が悲劇の女優を演じるだけで、見せしめ以外の意味がありません」
「聖女ならそう申すかと思っておったが、それなら終身監獄にすれば良くないかの?」
「監獄に入れたら、本人は誰かの眼を気にする必要がありませんし、家族は『あの人は可哀そうな人、国の犠牲になって牢屋に』と、やっぱり悲劇のヒロイン的な心理になります。だけど、司令官まで勤めた人が一兵卒として辺境砦の勤務としたら、どうなるでしょう。周囲はことあるごとに彼の過去をあげつらい、後ろ指さすでしょう。男性にとってこういう仕打ちは、殺されるよりつらいと言いますからね。そして家族は……その情けない夫の姿を何年もの間、何度だって見ることができます。離れていくかそれとも絆を深めるか、彼女たちの愛が真実かどうか、試されますわ」
私が静かにそう締めると、男性陣はしばらく身動きせず、やがてため息をついてぼそぼそとつぶやいた。
「我が娘ながら、残酷なことだ……」
「聖女を敵に回してはいかんな……」
皆さん、私は耳がいいんですけど?
◇◇◇◇◇◇◇◇
後年、彼の妻と娘に関するうわさを聞いた。始めは足しげく北方まで足を運んでいたようだったけどじきに疎遠になり、結局離縁してしまったとか。まあ、そういうことなんじゃないかな。
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