第291話 まだまだ帰れません

 私が場所もわきまえず号泣しちゃったせいで、せっかく教会がたくさんのご寄進を当て込んで準備した除幕式を台無しにしてしまった……と思っていたのだけれど、なんだか現実は真逆の方向に進んでいったみたいなの。


 当日教会に詰めかけていた信者さんが、私を守るために身を捧げたヴィクトルの話を、いろんな主観を盛って市民に伝えたらしい。それはいつの間にかものすごい美談や英雄譚に書き換えられ、すでに吟遊詩人が唄い、酒場でそれを聴いた酔客がみな涙しているのだという。


 そして噂を聞いた信者さんたちは、「聖女を泣かせた珠玉の名作」を一目見ようと、中央教会に押しかけたのだ。引きも切らない見物希望の信者さんたちに悲鳴を上げ教会は入場制限を敷いて、入場整理券など配ったりして対策しているみたいだけど、何でも未明に並んでも午後に十分くらい見られるかどうかという、クレイジーな状況であるらしく……近々あの像は聖堂ではなく、展示専用の建物を急遽用意してそこに移すのだそうなの。


 う~ん、確かに素晴らしい作品だとは思うのだけれど、行列してまで見るものなのかなあ。ただ、喜んだ信者さんが惜しげもなく教会にご寄進を落としてくれているみたいで、教会の経理担当はほくほくしているらしい。まあ、人の良さそうなあの枢機卿猊下では、普段おカネ儲けなんか興味なさそうだしねえ。


 あのブロンズ像をこさえたマティアスさんは、腕前は良くても無名で、金銭面では報われない方だった。だけどあの作品が市井で話題沸騰したおかげで、十年先まで制作のお仕事がいっぱいになっちゃって、手付け金だけでお屋敷と工房を建てたそうなの。確かに、評価されるべき方だと思うわ……あのヴィクトルの像には、心が震えたもの。


 そんなこんなで、王都にもう一つ、観光名所が出来たらしい。目立ちたくはなかった私はちょっとため息をつきたくなるのだけれど、それが貧しい人を救うことにつながるなら、受け入れよう。いや何より、王都の市民が魔獣を恐れ忌むべきものではなく、共に生きていけるものたちであることを認識してくれるきっかけになるなら、それは幸せだ。私の願いは、魔獣と人が間に一線を引きながらも、お互いを尊重して生きていくことなのだから。


 そして、あの場所で思いっきり声をあげて泣いた私は、なんとなくすっきりしてしまっていた。いやもちろん、ヴィクトルを失った悲しみが消えるわけではないし、彼を思い出すたび、ちょっぴり涙ぐんではしまうのだけれど……ここひと月ちょっと、何か胸の中にたまっていた澱のようなものが、すうっと消えたというのかな。彼のことは決して忘れないし、これからもずっと大事な存在ではあるのだけれど、彼の死を思って立ち止まったりは、もうしない。ヴィクトルだって、私が立ち止まったら、がっかりするだろうし。


 ねえ、ヴィクトル、見てるかな……私は、今日もがんばるよ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 そうなのだ。王都に召喚されている私は、ぼんやり思いに沈んでいられるよいご身分ではなかったんだ。


 戦勝パレードだの記念の夜会だの、教会での除幕式だのという、いわゆる「のんきなイベント」がひと渡り終わってほっと息をつこうとした私を、王宮での会議三昧が持ち構えていた。


 アルテラに勝ったのはいいけれど、多くの人が死んで、森もたっぷり焼け野原になった……まあその大半は、カミルとディートハルト様が焼いちゃったわけなのだけど。国土は大きく東に広がり、新たな国民や資源、そして交易の利益も得たけど、新領地の統治体制なんかは、何にも決まっていない。軍人さんたちは勇敢に戦い、ディートハルト様やカミルが、英雄的と言ってもいい成果を挙げた一方、怠惰なのか意図的サボタージュなのか知らないけれど任務を怠り、友軍を決定的な危機に陥れた軍人もいる……あの、おかしなヴァイツ司令官。


 こういった大きな出来事に対して、対応や賞罰を一件一件決めていかねばならないのだ。細部は官僚さんが提案してくれているとはいえ、とにかく議題が多すぎて、頭に入りきらない。朝から晩まで、缶詰状態……昼食の席だって、結局ランチミーティング状態になってしまっている。


「これって、私が参加しなくても……陛下や父様にお任せしていいのでは?」


「うん、それはできないね。これだけ大きな戦の後だ、いくら上手に政治的な処置をしてもどこかにひずみは出る、不満を持つ国民もきっと多いだろうね。そんな時に『これは聖女様がお決めになったことだ』と一言添えるだけで、人々は納得するものなのだよ」


 朝から晩まで会議漬けのスケジュールに悲鳴をあげた私の逃げ道を、クリストフ父様が声だけは優しいけど、ぴしゃりとふさいでくる。


 父様のおっしゃることって、ようは私に、王家の防波堤になれっていうことよね。む~ん、相変わらずの腹黒っぷりは立派だけど、ここは、父様の言う通りかも。陛下や、マーレ姉様の旦那様である王太子殿下の助けになるなら……もう少しだけ、がんばろうか。


 ああ、早くシュトローブルに帰って、クララのちっちゃいけど暖かい胸に、ぎゅっと抱きしめられたいわ。

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