第290話 ヴィクトルの銅像
ブロンズ製の私は、なんだか実物よりかなり美しかった。
本物よりちょっと眼が大きくて、ちょっぴりだけど背も高くて、少し脚が長くて腰もキュッと細いし、胸もなんだか盛りすぎ感がある。でもさすがは名工よね、いろいろ盛ってはいるけど、ちゃんと私に見える。モデルが私であることはわかるのに、より気高く、清楚でありながら美しく見せる技法はすばらしいの一言ね。
だけど、私の視線がくぎ付けになったのは、盛りまくった聖シャルロッテの立像ではなかったのだ。
それは、聖女を守るように傍に四本足で立つ、巨大なサーベルタイガーの像だ。普通のサーベルタイガーより二回りほど大きいその巨躯、たくましく張り出した四肢の筋肉に、鋭く尖った牙、真っすぐ前を見据える眼……雄々しく力強さを感じさせるけれど、その姿が醸し出す雰囲気は、なぜだかとっても優しいのだ。もちろんブロンズ製だから、彼の金色した瞳や、私を包んでくれたあの暖かな毛並みを再現できているわけではないのだけれど……すごい。これはまさに、私が愛したヴィクトルの姿、そのものだ。
「いかがですか聖女、当代随一と私が推すマティアス殿の腕前は。彼がたまたま列聖式後のイベントに立ち会っていたようでしてね、聖女の危機を救って雄々しく立つ魔獣の姿がくっきりと眼に焼き付いたのだそうで……創作意欲をいたく刺激された彼がそれ以来半年をかけて制作した、渾身の作品なのですよ」
そんな枢機卿猊下の言葉も、もう私の意識には入ってこなかった。私の眼から勝手に涙があふれ出して、止まらない。そしてゆっくり、とてもゆっくり私はブロンズの彼に歩み寄って……その太くたくましい首筋に両腕を回し、頬ずりをした。
「ヴィクトル……ヴィクトル、ヴィクトル、うぅっ、ヴィクトル……」
その後はもう、止まらなかった。
ヴィクトルが死んでからこの一ケ月、もちろんちょろっとは涙をこぼしたこともあったけれど、こんなに声を出して泣いたことはなかった。占領地の調査や支配確立なんかに忙しくて気がまぎれていたこともあったけど、他にたくさんの人が死んでいるのに、私だけ泣いたらいけないような気がして。だけどここまでリアルにヴィクトルを思い出させる入魂の像を見せられて、私の胸の中で何かがぷっつん切れてしまったのだ。
私はしばらく、わんわんとひたすら泣き続けた……詰めかけたものすごく大勢の信者さんたちが、呆然とこっちを見ていることなど忘れて。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「いや、あ……聖女シャルロッテよ、どうなさったのかな……」
遠慮がちに背中から声を掛けてくるベネディクト枢機卿猊下の言葉で、はっと我に返った私。振り向けば、猊下も聖堂に集った大勢の信者さんも、何やら困ったような顔で、私を見つめている。
獣人嫌いの信者さんに遠慮して隅っこに控えていたビアンカが、ささっと猊下に走り寄って何やら小声でこそこそささやく。
「お、おお、なんと……」
猊下が一気に「しまった」という表情になる。
あ、そうだった、戦の詳細あれこれは、まだ王宮にしか報告されていなかったんだ。一般国民には「聖女率いるバイエルン軍が、軍事強国アルテラに大勝」というニュースしか伝わっていない。この像の主役であるヴィクトルが自己犠牲の業を使って私たちを救ったことなんて、教会関係者も、もちろん知るわけもないのだった。
「いや、あの、聖女殿。これは失礼……では済みませんね。人の心を救うことが役目であるはずの教会が、貴女の傷をえぐるような真似をしてしまった……誠に、申し訳ありません」
いつもまったりと落ち着いている猊下が、冷や汗をたらたらかいているのを見て、私は逆に冷静さを取り戻した。うん、このままではマズいね、ここはきちんとフォローしないと。
「枢機卿猊下、そして信者の皆さま、取り乱してしまってすみません。ええ、そうです、私をいつもいつも守ってくれていた、大切な魔獣ヴィクトルはアルテラと戦って、もう手の届かないところへ行きました。たった今ここで、まるでその彼が眼の前に現れたような素晴らしい作品を見て、つい感情があふれてしまったのです。みなさん、ありがとうございます。彼にもう一度、逢わせてくれて……」
そう、私は本当に、嬉しかったんだよ。その牙の一本すら残さず光となって消えてしまった彼の姿を、もう一度見ることができたんだから。ちょっと嬉しすぎて、感情のネジが一本飛んでしまったわけなんだけど。
まだ濡れた瞳を信者さんたちの方に向け、私は意識して聖女っぽく、優しく微笑もうと努力してみる。何だかへにゃっとした顔になっちゃったけれど、ちゃんと笑えたよ。
信者さんたちから、低いどよめきが起きた。紳士の方々は眼を閉じて深く祈り、ご婦人たちはまぶたを押さえている。
ねえ、ヴィクトル、見えるかしら。ここにいる人間たちはみんな、貴方のことを思って涙を流してくれているんだよ……まつろわぬ魔獣であるはずの、貴方のことを。
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