第286話 占領地
一気にアルテラ側に前線を押し返した私たちはそれから五日間、慎重にだけれどひたすら前進した。敵が逃げ腰になっているうちに叩いておくのは、常道だからね。
アルテラ領に入って最初の大きな街となるマリアツェルにすら、なぜか守備兵は多く残っていないようだった。バイエルン軍が包囲すると、わずか一日で白旗を上げてきたのだ。
「なんと、精強なはずのアルテラ軍が、ずいぶんと脆いことだ」
「アルテラはもとは遊牧民、一旦負けたら逃げることにも抵抗がないのでしょうね。それにしても、いくら防衛線が苦手な彼らとは言え、マリアツェルのような大きな街をほぼ無防備に近い形で残して敗走するなど、普通であればおかしな話。おそらく、もう一つの事情が、帝都で起こったのでは?」
ローゼンハイム伯爵様とディートハルト様が、真面目に言葉を交わす。ああ、もう一つの……って、イグナーツ殿下のアレね。
確かに、ここ数日小規模の衝突はあったけれど、ほとんど組織だった抵抗はなかった。カミルが火竜の力を使う機会もなく、進出するだけでそこが支配地域となってきた。いくらなんでも、ちょっと変よね。きちんと状況を確認した上で進まないと、危ないわ。
そんなわけで私たちはマリアツェルに駐留して一旦軍隊を休息させながら、周辺領域の支配を確立することにした。
すでに住民たちの間では「バイエルンの軍隊には火竜が味方しているそうだ、アルテラ軍はまったく歯が立たなかったらしい」という噂が浸透していた。そこにカミルが竜に変化して二周ほど街の上空を飛ぶデモンストレーションをして見せてくれたら、人々の反抗は完全になくなった。まあ、三万の軍が駐留しているのだから抵抗したって無駄なのだけれど、できたら占領地で血は流したくないから、ありがたい。
住民の抵抗がなくなると同時に、アルマさんアベルさんたちが占領地の宣撫工作を始めた。ありがたくないことに、ここの主役は私であるらしい。
「占領軍の盟主は、東教会も認めた、聖女様なんだってよ!」
「いや、魔剣使いだそうだぞ?」
「まだ十代なのに、女領主までやってるんだそうだぜ」
「黒髪の可憐な乙女なんだそうだ、ひょっとしたらアルテラ系の血かも知れんな?」
「魔獣と心を通わせることができるって聞いたわ!」
「サーベルタイガーを千頭も従え、コカトリスをいつも肩に乗せているとか?」
「あの火竜様も、聖女を慕ってバイエルンに力を貸しているんですって、素敵よねえ」
上手に潜り込んだ隠密さんたちが街の人たちにあることないこと吹き込んだお陰で、酒場や市場でこんな噂話が盛り上がっているようだ。なにやら盛り過ぎた評価も混じっているので背中がむずむずしてしまうけれど、それが街の円滑な統治に役立つのだと言われれば、黙るしかない。私が姿を見せた時に、がっかりされないといいのだけれど。
いずれにしろ、「聖女」で「侯爵令嬢かつ子爵位持ち」であり「女領主」で「魔獣使い」という奇妙奇天烈な設定の占領軍盟主は、本人が姿を見せていないにもかかわらず、マリアツェルの住民になぜか支持を広げてしまったらしい。まあ、住民さんの反応が暖かいのは、占領軍が略奪も殺人もせず、規律をもって統治しているからというのが、一番大きいのだけどね。
かくして駐留一週間もたつと、市場で買い物をするバイエルン兵と売り子のおばちゃんが和やかに会話する姿が見られたり、酒場で地元の酔客が兵と乾杯する声が聞かれるようになった。大陸共通語を話せる人が多ければもっと交流は深まるのだろうけど、それは仕方ない、おいおい考えていこう。
そして私たちがマリアツェルの実質支配を進めている間に、ここではレベッカと名乗っているレイモンド姉様が、ようやく追いついてきてくれた。
「ちょっと数が多くて……手間取ったわ。でも、これでほぼ大丈夫なはず」
姉様が「数が……」と言ったのは、兵士たちの亡骸だ。戦場で無念の死を遂げて放置された死骸は、アンデッド系の妖魔になってしまうことがある。これを防ぐには聖女の「浄化」がとってもよく効くので、姉様には出来る限り「浄化」するように、口の堅い一部の兵を護衛につけて戦場を巡回してもらっていたのだ。「大聖女」の噂がロワールに流れるといろいろマズいので、あくまで、内密にね。
数が多いってさらっと言った姉様だけれど、あの戦で死んだ兵隊さんは、バイエルン側で三千ちょっと、アルテラ側では推定になるけどほぼ二万になりそうということだった。森じゅうに広がったこれだけの数をこなすのは、ものすごく大変な作業だったはずだけど……平然としている姉様。おそらく私の考案した「範囲浄化」を、姉様の強力な「聖女の力」と合わせて、遺憾なく発揮したのだろう。同行していた兵士たちが姉様を見る眼が、信仰チックになっているのが証拠だわね。やっぱり姉様こそが、本当の「聖女」よね。
あ、それはありじゃないかな。せめて「聖女」の部分はレイモンド姉様に代わってもらうわけにはいかないかしら。ロワールで死んだことになってるのがネックだけど、それさえ解決すればいいのよね。賢者ディートハルト様なら、いい方法を考えてくれないかな?
そんな呑気なことを考え始める余裕ができた頃、アベルさんが情報をもたらしてきた。
「帝都グラーツでイグナーツ殿下が権力を掌握した模様です。皇帝は処刑され、軍隊は殿下に従う模様。イグナーツ殿下はバイエルンと和平を結ぶ意向で、近々使者を送ってくるとの由にて」
そうか、あの殿下がやってくれたのね……ようやく戦を終わらせて、ヴィクトルのために泣くことができそう。そう、あと少しで。
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