第285話 逆転
私たちが戦いから離脱してすぐ、それは始まった。
敵の前線中心部であるらしき暗闇に、突然真紅の炎が空から吹き付けられ、周囲の木々が一気に燃え上がる。その火は、にわかに吹き始めた西風にあおられて、東の……アルテラの方に向かって燃え広がっていく。そして最初に見えた火の左右に、また炎が上がる。炎光に照らされ、上空の黒く大きな影が翼を羽ばたかせているのが見える……間違いない、あれはカミルの変化した火竜だ。
カミルは縦横無尽に敵上空を舞っては、森のここぞというところに火を放っていく。この風で燃え広がる炎が、アルテラの兵たちを追い詰めていくように。もちろんその都合のいい風は、賢者と讃えられたディートハルト様の超絶魔法で起こされたものだ。本当に、すごいコンビネーションだわ。
近くの小高い丘に陣取って眺める戦況は、火竜のカミルが自由に飛べるようになったことで、一方的なものになっていた。あちこちから上がる火が森の木々をなめつつ、アルテラ軍を自分の国へ向かって押し返していく。
いや、押し返されて戻れるのなら、むしろ幸せなほうだろう。街道は狭く、補給物資を積んだ馬車や大型の攻城兵器でふさがれている。そこに万を数える兵士が我先に殺到したら、どうなるかは明らか。敵は自国の仲間に行く手を阻まれ、後方からは炎が追ってくる。そして立ち込める煙が視界をさえぎり、呼吸も妨げる。焦る兵士たちの間で、同士討ちまで始まった……まさに阿鼻叫喚とは、このことだ。
視界の中で、次々アルテラの兵士が死んでいくのがわかる。兵隊さん一人一人には罪はなく、むしろ無理やり連れて来られたのであろうことを思うと、心が痛む。
「変なことを考えているでしょう……だめよ、ロッテ。あの人たち個人には確かに悪意はないかも知れないけれど、集団になった彼らは、強力な犯罪機構よ。潰さなければ、ロッテの大事な人たちが、ひどい目にあわされる。殺されるか、乱暴されるか、奴隷に売られるか。戦って勝つしか、ないのよ」
私の気持ちがさっそく揺れていることを見て取った姉様が、ずばりと突っ込んでくる。大聖女っぽくない意見ではあるけれど、言っていることは、完全に正しい。私はシュトローブルやハルシュタットの民を、守らなければならないのだ。ヴィクトルが生命を賭けて救ってくれた私、守られる価値があったのかどうかはわからないけれど……これからはせめて意味のある生き方をしないと、彼に申し訳ないから。
いずれにしろ、恐らく勝敗は決した。私たちの役目も終わりだ、仲間のところへ帰ろう。私はヴィクトルがたった一つ遺してくれたグルヴェイグを、胸にぎゅっと抱き締めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
かくして私自身の戦闘はさっさと終わってしまったけれど、その夜はとっても長いものになった。ローゼンハイム伯爵様率いる三万の軍が、炎と煙に追われて敗走するアルテラ軍を、追撃し掃討するのだから。
「敵をむやみに追い詰めてはいかん! 必死で反撃されたら被害が出るからな。大丈夫、ゆっくり追っても、逃げ切れはせぬ!」
伯爵様が飛ばした指示は、まさに的確なものだった。
兵たちは分厚い横隊を組んで、じわじわと炎がなめ尽くした森を進んでゆく。ぽつぽつと敵を見つけるけれど、戦闘はほとんど起こらない。多くの兵は焼死しており、生き残った兵も、もはや戦う力を残していないから。
魔力だけじゃなく、滅多に使わない体力まで使ってしまった私はちょっと眠たいけれど、一応盟主ということになっているわけだから、がんばってついていっている。元気いっぱいで士気にあふれる兵隊さんたちが、ちょっとうらやましい。みんな、眠たくないのかな。
「まあ、兵たちは興奮して、眠る気になどなれぬでしょう。魔獣の王たる火竜が自軍に味方し、敵を焼き尽くすところを眼のあたりにするのですから。そして、火竜の活躍を妨げていた魔導砲を、聖女にして盟主であるうら若き黒髪の乙女が、自ら魔剣を振るって排除した……まるで吟遊詩人が唄う勇者の叙事詩のような話を聞いた男どもが、奮い立たぬわけは、ありませんな」
「うっ……それは」
ディートハルト様の指摘はごもっともなのだけれど、私への過剰評価が重たいわ。
だって、目標の近くまで連れて行ってくれたのはサーベルタイガーさんたちだし、私が魔導砲に近づけるように敵と接近戦を演じてくれたのは騎士様や隠密さんたちだし、有利に戦えるように神聖魔法をこれでもかと駆使しまくったのは、姉様だ。
そして、魔導砲を壊したこと自体も、結局のところグルヴェイグの力だし。私のやったことって言えば、彼女に魔力を注ぎ込んで、二回ほど振り回しただけ。ほめられてもなあ、って思っちゃうのよ。
「ふふふ、英雄伝説なんていうものはですね、決して本人が作るものではなく、世の人たちが勝手に作り上げるものなのですよ。おあきらめ下さい、聖女殿?」
ディートハルト様が、いたずらっぽく笑った。
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