第281話 姉様の叱咤
叱咤の言葉が頭に入ってくるより先に、生まれて初めて姉様に叩かれたショックで、私は固まってしまっていた。だって姉様はいつも私を一番大事にしてくれて、優しく撫でたり抱き締めたりしてくれることはあっても、決して声を荒げることはなく、ましてや手を上げたりすることなどなかったんだもの。
「ここにいる数万の兵士たち、そしてシュトローブルの住民たち……彼らの運命を、ロッテが握っているのよ、自覚しなさい!」
打たれた頬はじんじんと熱くなったけど、ひたすらぼうっとしていた私の頭は、ようやく雲が晴れてきた。
うん、そうだよね。私は、シュトローブルとハルシュタットに住まう人たちのために、戦っているんだった。大好きなヴィクトルを失ってしまったことは悲しい、悲しいけど……ここで私が足を止めたら、彼はむしろ、嘆くだろう。
視線をあげると、レイモンド姉様の眼には涙が。
そっか。姉様だって人を叩いたところなんか見たことない……いやたぶん、初めてなんじゃないかな。呆け切っている私を我に返すために、無理してやったのだろう。ひょっとして叩かれた私自身より、姉様の方がショックを受けているかもしれない。そう考えたら、なんだか平常心が戻ってきた感じ。
「ご、ごめん、姉様。しっかりする、しっかりするから……」
あれ? 我に帰ったら、涙が止まらない。さっきまで、一滴も出なかったのに。私の涙で姉様も変化を感じ取ってくれたのだろうか、私は頭をふわりと抱え込まれて……姉様の豊かなお胸を、たっぷり濡らすことになってしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
とりあえず、私は立ち直った。あくまでも、とりあえずだけど。
ヴィクトルを失ったのはとても悲しい。悲しいのだけれど、今の私は、戦わないといけないのだ。大勢の、とっても大勢の、私を頼ってくれている人たちのために。ヴィクトルには申し訳ないけれど、彼のために涙を流すのは、戦が終わってからにすることに決めたの。
空気を読んで少し離れていたところで見守っていてくれたルルが嬉しそうに私の肩に戻って、耳の後ろをくちばしで優しくこりこりしてくれる。この子って、二歳かそこらなのに、すっごく行動が大人なのよね……精神の成長にも、私の魔力が影響しているのかしら。
姉様に一発ひっぱたかれただけで急に平常モードに戻った私に気遣わし気な眼を向ける男性陣たち。そんなに気を遣わないで欲しい、いたわられると切なくなるから。私は意識して声のテンションを上げて、軍議にようやく加わる。
「敵は三万という情報でしたが、もう少し多そうですね」
「うむ。シュトローブル勢の奮戦と、先ほどのあれで……五千は削っているが、なお三万ほど残っている気配だ」
「私たちの後方を襲った三千は、やはり、最初から森に潜んでいたのでしょうか?」
三千もの兵力にあっさり後方に回り込まれるようなら、サーベルタイガーの警戒網が甘いということになる、それは考えづらいな。だけど、最初からいたってのも、普通ならあり得ないけど。
「捕らえた敵を尋問したら吐いた。開戦前から森に潜んでいたそうだ。あきれたことに、街道から三キロほどしか離れていないところに、仮の宿営地を造って二週間ほど駐留していたのに、ヴァイツ砦の連中には気づかれなかったらしい」
クラウス様の表情は沈痛だ。そうだよね、国軍の仲間だったはずの連中が期待を裏切ったおかげで、私たちは全滅しかかったのだもの。
「ヴァイツの司令官以下、将校は全員捕らえてある。厳正に取り調べた上で、しかるべき処罰を与えねばならん。その前に……この戦に勝たねばならぬが」
「ローゼンハイム伯爵様、現在の兵力はおおむね三万対三万、このままぶつかれば優勢はどちらとお考えですか?」
「うむ。平原での戦いであるなら、優秀な騎兵が揃うアルテラが有利だと考えるが、ここはスピードの活かせぬ森林だ。恐らく戦力は拮抗し、なかなか決着が付かないまま双方消耗する展開になるのではないか」
うわっ、消耗戦になるのは非常に良くない。負けたらもちろんマズいけど、勝っても戦後のダメージが大きいからね。
「何とか短期に、敵をあきらめさせるくらいの打撃を与える必要がありますね」
「聖女殿の言う通りだとは思うが、何しろ森林での戦いだからダイナミックな作戦は難しい。サーベルタイガー部隊は最強だが、百頭程度で万単位の敵に突撃させ続ければ大きな被害が出るだろう、なかなか……」
「やっぱりカミルに頼るしかないわね。カミルが空を飛べる環境を作るしかないわ」
そう、森の中で一気に敵を殲滅しようとするならば、火竜のブレスによる空襲しかないだろう。ディートハルト様は風を操れるから、山火事がバイエルン側に延焼することは、防げるだろうし。
「う~む。あの魔導砲をどう片付けるかが、難題だな……」
そうだ、そこが問題だ。ヴァイツの怠慢がなかったら、今頃はヴィクトルが魔剣グルヴェイグを手に、魔導砲だけを狙って夜襲を掛けているはずだったのだ。そして魔剣の一颯が魔導砲の砲身を断ち割っていただろう……いまさら言っても、仕方ないけど。
「グルヴェイグを扱える戦士が、こちらの陣営にいればいいのですが」
「無理だろうな。剣技だけならヴィクトル殿を越える者は多いが、『彼女』と波長が合う者など……ましてや『彼女』が鋼でも断ち割れるのは魔力の注入あってこそ。ヴィクトル殿を越える魔力を持った戦士など……」
ローゼンハイム伯爵様が眉間にしわを寄せて考え込む。確かにグルヴェイグをすぐ使える人間など、ものすごくレアだろう。片っ端から兵隊さんに試させていたら、重症やけどの人が数千人単位でできちゃう。う~ん、何とかならないかな?
その時、グルヴェイグの思念が、不意に頭に飛び込んできた。
(簡単なことじゃ。そなた自身が、妾を振るえばよいではないか)
え? そんなの、ありなの?
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