第276話 死なないでカミル
味方の最終兵器である火竜が墜とされたことで、兵隊さんたちも動揺している。街道の出口でせめぎ合いをしていた戦いは、徐々に押され始めた。
「これは、いけませんね。少々行って参ります」
そう言ってディートハルト様が物見櫓に登っていく。やがて十分くらい後、敵の真ん中にまた、赤い流星群が降り注いだ。アルテラの攻勢が弱まり、味方の兵がまた、前線を押し上げつつある。私はまだ、それをぼうっと眺めているだけだ……カミルのことで頭がいっぱいで、眼の前の戦いが、まるで現実ではないみたい。
「これだけ派手に痛めつけておけば、しばらくは凌げるでしょう。時間稼ぎでしか、ありませんが……」
司令部に降りてきたディートハルト様は、そんな謙虚なコメントをしつつ、何か言いたげな風情だ。いけない、私がまだ気持ちに余裕がないことに、配慮してくれているんだ。名目とはいえ私はこの軍団の長だ、そんなんじゃ情けないよね。
「あの……ディートハルト様。何でもおっしゃってください。私は、大丈夫ですので」
「あ、うむ。カミル君を撃ったあの兵器に関することなのですが」
え、ディートハルト様はあの不思議な兵器が何なのかご存じなんだ。火竜の翼すら燃やす赤い光の弾、そして何より目標を追尾する能力なんて、聞いたこともないわ。きっと、魔道具の類だよね。
「東方に、魔導砲というものがあると聞いています。魔石を動力源とし、石や鉄球ではなく魔力の弾を撃ち出すのだと。その弾は一度照準をつけた相手を、弾の魔力が尽きるまで追いかけると言うのですが……私も見たのは、初めてです」
「やはり魔道具なのですか。でもあれだけの威力を出せる魔石なんて……」
なんだか、いやな予感がする。
「おそらく、竜の魔石。それも火竜に違いありません、魔力の色が赤いなんて、他に思い当たりませんから。敵は何らかの手段で火竜の魔石を手に入れ、攻城戦の決め手として配備したに違いありません」
やっぱりそうか。火竜の力ならば、同じ火竜の姿をとったカミルにも通用するよね。同族の力を使って墜とされたのだから、悔しいだろうな。負けず嫌いのカミルだし。
だけど、カッコ悪くても、もうこの後戦えなくてもいい。私はカミルが生きて帰ってきてくれれば、それでいい。お願い、生きていて。
(ロッテ! 聞こえるか!)
その時頭の中に、待っていた声が響いた。
「ヴィクトルっ!」
(カミルを見つけた。まだ生きているけど、かなりヤバい。ロッテの魔力を注がないと時間の問題だ、すぐにいくから準備しておいてくれ!)
司令部のみんなも、私のただならぬ様子に気づいて、駆け寄ってくる。
「ロッテお姉さん、カミルは?」
「生きているけど、とても危ないのですって。すぐ運んでくるから、私の『癒し』を準備しておけって」
ビアンカと私の短い会話に、ざわつく首脳陣。そしてほどなく異常を告げる兵士たちのただならぬ声。
司令部テントを飛び出した私の眼に飛び込んできたのは、こっちに向かって真っすぐに全速力で駆けてくるサーベルタイガーの姿をとったヴィクトルと、その背にくくりつけられた人型のカミル……ぐったりとして、すでに意識はないようだ。
「カミルっ!」
叫んだっきりおろおろするだけの私と違って、ヴィクトルの背中から手際よくカミルを下ろすビアンカとレイモンド姉様。
「ロッテ! 彼を癒すことは貴女にしかできないわ。今はやるべきことを果たしなさい!」
姉様に𠮟咤されて、ラグの上に寝かされたカミルを、勇気を出してもう一度しっかり見る。竜型から人型に戻ったばかりで彼は全裸だけど、もうそんなことで恥ずかしがっている余裕もない。背中の左翼は完全に焼けて失われ、左半身全体がひどい火傷を負っている。墜落の衝撃で内臓も損傷を受けているらしく、顔色は青黒く変わり、口からは血があふれた痕がある。脈はあるけどひどく不規則、そして呼吸はかすかで、胸の動きがほとんど感じ取れない……想像していた以上に、ひどい状況だ。
(早く、ロッテの魔力を与えるんだ! カミルの命をつなぐにはそれしかない!)
あまりの惨状に固まってしまっている私に、ヴィクトルが強い調子の念話を送ってくる。いけない、確かに今は時間が一番貴重、とにかく早くやらないと。一番早いのは、やっぱりアレよね。
大きく息を一回吸い込んだ私は、横臥したカミルの隣に寄り添い、その唇に、自分のそれを重ねた。急ぎ過ぎて歯が当たっちゃってかなり痛いけど、そんなこと気にしていられない。とにかく、早く私の魔力をカミルにあげなきゃ。
その瞬間、気を失っちゃうかと思うほど、一気に私の身体から大量の魔力が引っこ抜かれていった。もともと、十を数える間手を握っているだけで魔力チャージができるほど、波長の合っている私たちだ。お口から魔力を渡したら相当なスピードで持っていかれることは覚悟していたけれど、これはさすがに想像以上……これ続けてたら、私の方が空っぽになっちゃうかも知れないわ。いや、空っぽになっても構わないわ、カミルが生きていてくれさえすれば。お願い……戻ってきて。
「この者に、力を与えたまえっ!」
意識が遠ざかりかけたところに、レイモンド姉様の短い詠唱が聞こえた。そして姉様の掌が、私の背中に優しく当てられる。ぼうっとしていた頭がすっきり冷えて、なぜか私の「おかしな魔力」も、増した気がする。さすがは大聖女と言われた姉様だわ、「獣の癒し」まで、増強できるなんて。ようし、もう一度気合入れて、がんばるよ。
そして数分後、カミルがゆっくりとそのまぶたを開き、澄んだ茶色の瞳が、真っすぐに私の眼を見つめた。脈拍も力強く、顔色も元通り白く戻っているのを確認したら安心してしまって、これまで忘れていた何かが、勝手に私の眼からとめどなくあふれ出した。
「う、う、うわぁぁん……カミル、カミル、カミル……」
ひたすらに彼の名を呼び、その胸に頬ずりし、涙で濡らす。ああ神様、カミルを連れていかないでくれて、ありがとう。
はっきり言って聖女のくせに不信心だった私だけど、この時初めて本当の意味で、神様に感謝を捧げた。
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