第203話 レイモンド姉様の訃報
若い商会員の方が、グスタフ様の耳元でごにょごにょささやいている。グスタフ様の眼が見開かれる、冷静なこの方が驚くのだから、かなり重要な事情なのだろう。グスタフ様は少し考える様子ではあったけど、私たちに向かって表情を改めて口を開いた。
「失礼しました、ロワールの政情に関する知らせなのです。概ねは想定内の出来事であったのですが……聖女様にも深く関係ある事項ですので、聞いていただいたほうがよいでしょう。ハンス、もう一度皆さんにご説明を」
ハンスと呼ばれた若い方が、姿勢を正して報告する。
「はっ、第一のニュースは、ロワールで国王陛下が崩御され、新国王が即位された由にて。新国王の座には、第二王子アルフォンス様が就かれました」
「まあっ!」
そうか、アルフォンス様は本意を遂げられたんだ。第二王子という不利を背負っても、本気になった彼の力で……というか彼の魅力に集まった人たちの力かな……ねじ伏せて勝ったんだ。もう私とは遠い人になっちゃったアルフォンス様だけれど、彼の理想がロワールの国政に実現されるんなら嬉しいな、今までよりずっといい国になるはずよ。
あれ? それって悪い話ではないはずなのに、グスタフ様たちの表情が硬い。なんでだろう……アルフォンス様に婚約破棄された私に、気を使って下さっているのかしら。それとも……これが第一のニュースって言ってたけれど、第二のよくないニュースがあるってことかしら。まあ、国王争いより重大なニュースなんて、無いと思うんだけど。
「どうなさったのですか? 私の婚約破棄のことでしたらお気遣い無用ですわ。もう吹っ切れておりますし、アルフォンス様に振られたおかげで、素晴らしい出会いがいっぱいできたんですもの!」
わざとらしいくらい元気に笑って見せる私に、余計に気を使っている様子のお二人。何か痛ましいものを見るような眼を向けてこられると、さすがに私も疑問を感じちゃう。
「あの……他に何か、あったのですか?」
私の問いに意を決したように、ハンスさんが重い口を開いた。
「ロワールの大聖女レイモンド様が……お亡くなりになられたのです」
「えっ……」
「即位式の最中に第一王子を支持する強硬派が乱入しまして、アルフォンス陛下を弑しようと……陛下に振り下ろされる暴漢の剣を身をもってお止めになられたレイモンド様ご自身は、はかなくなられたと聞いております」
ハンス様は、出来るだけ丁寧にそして静かに、そうなるに至った経緯を説明してくださった。
二人の王子の争いは、最後に教会の「聖断」で決することになった。水面下の暗闘と根回し合戦では決着がつかず、このままでは内戦に突入するという状況だったけれど、お二人とも民を巻き込む全面的な戦をすることを、肯んじなかったからだ。
第一王子フランソワ殿下は人を信じない冷酷な方ではあったけれど、彼なりに民を思う理想をお持ちだったようだ。それに、西教会は第一王子派の牙城、そして神意を得て「聖断」を下すのはフランソワ様の婚約者たる大聖女レイモンド姉様……間違ってもアルフォンス様に与することはないという確信もあったのだろう。
一方アルフォンス様は「聖断」におけるご自分の圧倒的な不利を自覚しておられたけれど、王位を争うだけの戦を避けるべきという点では兄君と意を同じくしておられた。敗れても、自らに与した貴族たちを粛清しないという言質を取った上で、泰然とした態度で「聖断」に臨んだという。
しかし、その場に臨んだ者たちほとんどの予想を覆し、レイモンド姉様はアルフォンス様に「聖断」を下した。第一王子派の貴族、聖職者たちは慌て、儀式のやり直しをさせようと試みたけれど、これこそが神意だと威厳をもって断言した姉様に、結局誰も逆らえなかった。仮に逆らおうとしても、百年に一人と言われる大聖女の神聖魔法に抗することができる者は、その場にいなかったのだ。
ほどなく病を得ていた父王が亡くなられ、アルフォンス様は即位された。だがさきの「聖断」に不満を持つ第一王子派の一部は即位式の場に武装して乱入し、一気に新王を弑して再びフランソワ殿下を擁しようとした。
近衛の将校には、第一王子派の腐敗貴族と関係が近い者が多く含まれている。それもあって暴漢はほとんど抵抗を受けることもなく完全武装で儀式の間に飛び込み、新王に向かって殺到した。アルフォンス様は自ら剣を振るってたちまち二~三人を倒したけれど、多勢に無勢で見る間に追い込まれてしまう。レイモンド姉様は聖女の術「雷光」で十人ばかりを打ち倒したけれど、討ち漏らした数人がアルフォンス様に剣を振り下ろそうとするのを見るや、自らの身体でその剣を受け、王を守ったのだという。
大聖女を斬ってしまい暗殺者は呆然とした。彼らも教会の敬虔な信者、大聖女を篤く敬愛する者たちなのだから。彼らがわずかな時間ためらう隙に、反乱に加わらなかった近衛が体勢を立て直し、暴漢を斬り、あるいは制圧し……新しい王の生命と、ようやく訪れたロワールの平穏は、守られた。だが、自らに防御の術も癒しの術も施さずに剣戟を受けてしまった大聖女は、再び意識を取り戻すことはなかったと。
感情を抑えながら話すハンスさんの言葉が意味するところはもちろん私も理解していたけれど、私の感情はそれを受け入れることを拒んだ。泣き虫だったはずなのに、私は一滴の涙を流すこともできず硬直して……やがて床に崩れ落ちた。
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