第188話 幸せな夜

「はい、終わりです。傷はふさがりましたが、痛くはありませんか?」


(全然痛くありませんわ、驚きです、すごいです。ヴィオラ様と並んで、ロッテ様に族長になっていただきたいくらいです……)


「ははは……それは勘弁してください」


 私は負傷したサーベルタイガーさんの治療に、ついさっきまで大忙しだった。


 サーベルタイガーの毛皮はしなやかでなめらか、魔剣でもなければ当たっても受け流してしまえる超高級防具だけれど、柔らかいところに突きを喰らったりすればケガをする。そして目や耳は、鍛えようもない。


 そんなわけであれほどの激しい戦い、よく戦死するサーベルタイガーが出なかったものだと幸運に感謝するしかないわ。ヴィオラさん率いる別動隊がぐるっと大回りして敵の背後に回り、奇襲を仕掛けて一気に崩す作戦だったのだけれど、思ったより移動に時間を食ったみたい。あのまま削られていたらきっと負傷者だけでは済まず、何頭かの犠牲が出ただろう、実は結構ギリギリの勝利ではあったのよね、反省。


 目いっぱい危ない戦場に彼らを駆り立ててしまった責任をとって、負傷した八十頭ばかりの虎さんを一気に治療すべく頑張っていたのだけど、だんだん気持ちが悪くなってきた。だって、外傷を早く治そうと思ったら傷をなめるしかないし、それを数十頭もやったら血の味が頭の中まで広がって、ぼぅっとしてしまう。魔獣の血をなめると魔力に酔うって何かの本に書いてあったけど、どうも本当であるらしい。


「ねえクララちゃん、あとは軽傷者だけだから、明日にしよう、ね?」


 五十頭目くらいのところで、私の顔色に驚いたヴィオラさんがそう言って私を引き離してくれなかったら、本当に倒れていたかもしれない。


 まあそんなわけで、くたびれ切った私は最高級寝具のヴィクトルのおなかにぐてっと横たわり、クララの甲斐甲斐しいお世話を受けているところなのだ。もう疲れすぎちゃって、すぐにでも寝ちゃいそう。


「ロッテ様、お寝みになられる前に、せめてお身体を清めて差し上げますので……」


「ううん、もう眠い……ヴィクトルのおなか最高……このまま寝る……」


「ロッテ様。今日はあれほどの大活躍、きっと、お汗などもたくさんかかれたのではと思いますが、それでも?」


「ひいぃっ!」


 そうだった。眠い、とっても眠いけど、最高に汗くさいであろう今の身体で、ヴィクトルに一晩中寄り添おうなんて、それはあり得ない。あやうく女の子として大事な何かをなくしてしまうところだった、ありがとうクララ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 優秀な侍女クララのおかげで、私は乙女の品格を失うことなく、もう一度ヴィクトルのおなかで和んでいる。香草入りのお湯で身体中丁寧に拭ってもらったから、きっと匂いはしないはずだ、と思う。


(俺はロッテの匂いだったら、むしろずっとかいでいたいというか……)


「私がいやなのっ!」


 後ろから伝わってくるヴィクトルのあまりよろしくないご意見に、軽くキレてしまう私。う~ん、確かにこれは、男性でしかも魔獣の彼には、理解しにくいかも知れないなあ。


 とっても眠かったはずなんだけど、クララやヴィクトルといろいろ絡んでいたら、いい感じに目が覚めてしまった。なので、ちょっとお話。


(もう、アルテラは来ないかな?)


「うん、そう思う。結局敵は、六百の兵力の半数を失って退却していったよね。それもものすごく貴重な魔法兵を私たちに全滅させられて。だからもうちょっかいを出す余裕はないから、過剰な警戒態勢は解除していいと思うの」


(そっか。ロッテがそう言うなら、確かだね)


「その妙な信頼は、何なのヴィクトル?」


 そうなんだよ。ヴィクトルは私の意見を、いつも全肯定。どうしたらそんなに信じてくれるんだろう。


(う~ん、そうだね。ロッテの言う通りにすると、いつも誰か幸せになる人がいるよね。そして、ロッテが笑顔になるんだよね。それを見ていると、何か意外なことを言われても、きっといい結果が出るだろうって思えるっていうか)


「ふうん……肯定してくれるのは嬉しいんだけど、じゃあヴィクトルは、絶対私の言うことに、逆らわないの?」


(一つだけを除いては、ね)


「一つだけ……って?」


(うん。ロッテは自分の優先順位が低いんだ。それは生命や安全についても同じ、自分の生命を粗末にしてでも家族や、いや他人まで救う。俺は、そんなところまでは肯定できない。俺にとってはロッテが一番大事、俺がロッテの言うことを聞かない時は、それは君を守る時だよ)


 その時、なぜだかわからないけど、涙があふれた。ヴィクトルの気持ちは嬉しい、そんなことを言われてとっても幸せなのに、なぜか涙が止まらないんだ。私はくるっと彼の方に寝返りを打って、もふもふの胸に顔をうずめて、何も言わずにただ泣きつづけた。結局いつしかそのまま、眠ってしまったのだけど。


 幸せな夜だった。この幸せな夜のことを、私は淡い後悔をもって、後々まで思い出すことになる。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 私の予想通り、もうアルテラに追撃余力は残っていなかったみたい。残りの旅程は、とっても平和だった。


 頑張った虎さん達には、たっぷり治癒の魔力をあげたよ。一番重傷だったのは片眼をつぶされた雌虎さんだったけれど、二日間たっぷりなめなめしたら、なんと眼球も復活したの。うん、この力って、我ながら引いちゃうレベルよね。同じことが人間相手にもできたら、レイモンド姉様とためが張れるわ。そんな日は二度とこないのだけど。


 そして、虎型に戻ったヴィクトルに騎乗する私に注がれる獣人さんたちの視線が、益々崇拝チックになって、ちょっと鬱。私はもっとフランクに仲良くお付き合いしたいのに、なんだか勝手に持ち上げられてしまって、ちょっと居心地悪いかも。


 サーベルタイガーさん一族の私を見る眼も、かなり変わった感じ。ケガの治療もそうだし、戦死者を出さなかった戦闘指揮なんかも含めてやたらと評価が上がってしまって、彼らはヴィオラさんと共に、勝手に私を主と決めたみたいなの。私が通りかかると、みんな「伏せ」みたいなポーズをとっちゃったりして。それはちょっと、やめて欲しいのだけど。


「仕方ないでしょ、ロッテちゃんがあれだけ『やらかし』ちゃったのだから。それに、ケガした連中が、貴女が持つ魔力の味をたっぷり覚えてしまったからね……あれは癖になるよね」


 すました顔でおっしゃるヴィオラさん。だけど、サーベルタイガーの群れを従えた「聖女」とかって……やっぱり、世間的には、「魔女」っていうよね?

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