第174話 ヴィオラの恋 賢者ディートハルト(2)

 まあそんなわけで、私はその男性……バイエルンでは賢者ディートハルトと呼ばれていた人の住まいに転がり込むことになったのよね。


 彼の家は、森の奥深くにたたずむぽつんと一軒の可愛らしいログハウス。人間の世界で大きな名声を得たけれど、何やら大人の事情で嫌気がさしたらしい賢者は、無人の森に一人隠棲していたというわけなのね。


 最初の二日ほどで、彼は私が何者で、何をしたいのか、正確に洞察したらしかった。まあ、私が初日に眼前で魔力切れを起こしていきなり虎の姿に戻ってしまったのだから、いろいろ類推するのは、頭の良い彼には難しいことではなかったのだろうね。


 事情を理解した彼は、なぜか魔獣の私を全面的に援助してくれたんだ。


 まずは人間の言葉、そしてさまざまの基本のマナーを叩きこまれた。さすがにこれができないと人前に出られないから、私も必死で学んだよ。そして彼の教え方も、素晴らしく上手だった。二ケ月も経つと日常会話ができるようになり、立ち居振る舞いも庶民の娘としてはなんとか及第点になった……と思うわ。


 そして何より重要なのが、人型が維持できるようにすること。どうも私の魔力では数時間で変化が解けてしまう、これでは何かとマズいからね。そのためには出来る限り普段から人型で生活することで燃費を良くすること、そして、師匠たる彼から定期的に魔力をもらうこと。


 彼は人間だから綺麗な青い魔力のオーラを強くまとっていた。魔獣である私の緑色とは違うのだけれど、彼に手を取られてあふれるほど豊富な魔力を流し込まれると、互いの魔力が溶け合って、とても気持ちよかったの。そして彼にチャージしてもらった魔力は、まるで自分のもののように使うことができたのよ。そういう意味では相性が良かったのかな。


 私を訓練する間、ずっと彼は私と一緒にいてくれたの。仕事をしないのかって聞いてみたけど、もう彼は賢者と称されるくらいいろんな活躍をしてたっぷり褒賞をもらっているから、働かなくても食べていけるのですって。まあ、時々は近隣の村人に頼まれ、妖魔を討伐しては謝礼をもらうようなことを、やっていたのだけれど。


 そんなこんなで三ケ月程度かけて、ようやっと私は人前に出られるレベルになったわ。彼は嬉しそうに私を街に連れて行って、娘らしく可愛い服を買ってくれ、しゃれたレストランで食事をさせてくれ、群衆でごった返す市場で買い物を体験させてくれたの。


 それは私にとってとても新鮮で、わくわくする出来事だったけれど……見れば見るほど、思い知らされたんだ。私たち魔獣が数百年時が止まったような生活を送っている間に、人間は人口を殖やし、文化や技術を発展させた。彼らが我々の領域を侵食してきたら、争っても勝てるものではないと。


 人間との実力差を思い知ってややブルーになっている私を小物屋にいざない、魔銀の髪留めを買った彼は、それを私の髪につけてくれた直後、私の唇をいきなり奪った。


「魔力のチャージには、これが一番効率的だからね」


 冗談めかして言った彼だけど、眼は真剣そのものだった。私はある覚悟をもって、眼をつぶって言葉を返したんだ。


「それなら、もっと魔力を、下さい……」


 次の口づけは、さらに激しく、深いものだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 その日から私たち二人の関係は、世話好きの家主と居候というものから、健康な若い男女同士のそれに変わったわ。

 

 私はパートナーとして、彼のためになることを何かしてあげたかった。だから料理や裁縫だの、まったくやったことがない家事も、一生懸命勉強したわ。まあ、結局それは、全部彼が教えてくれたわけなんだけどね。

 

 そして「お仕事」も手伝いたかった。彼は「賢者」と呼ばれるだけあって、火や水の属性を持つ強烈な攻撃魔法を操り、防衛や治癒の魔法にも長けていたけれど、やっぱり遠隔攻撃職だから、接近戦は得意じゃなかった。だから私が、壁役になってあげようと思ったんだ。


 私が虎型に戻って接近戦を担当すれば、賢者の彼とは理想的な連携になるのだけれど、さすがにそれを他の人間に見られるとヤバい。なので私は、人間の前衛職がするような戦い方をマスターする必要があった。彼は私が最前線に立つことに反対したけれど、私の決意が固いことを見て、盾戦士として戦うことを勧めてくれたの。


 盾職は、私にとって天職だった。もともと虎型で戦う時も、爪や牙で歯が立たない相手には体当たりを喰らわせて吹っ飛ばすスタイルでやってきたけれど、盾を持てばそれがより安全に可能になるんだ。ものの一月ほどで私のシールドバッシュは、彼がつけてくれた指導役をしのぐ威力に成長したのよね。


 そんなわけで私が一人前……というより三人分くらい肉弾戦で働くようになったので、彼も積極的に討伐の仕事を請け負ってくるようになった。それも、すごく難度の高いやつを。


 一緒に戦うようになって、ようやく彼が「賢者」と呼ばれている理由が分かったの。詠唱に必要なほんの短い間だけ敵の攻撃から彼を守り切りさえすれば、まさに神かと思うような術を繰り出せるんだ。数百本の氷の槍をオークの群れに突き刺して一気に殲滅したり、地面から炎を吹き出させて十体を超えるオーグルを一気にこんがり焼いちゃったりね。まさに天才魔法使いだったのよ、その戦う姿は……本当に眩しく、素敵だった。

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