第172話 ビアンカの幸せ
流されやすい私はもはや覚悟を決めて、まぶたを閉じてわずかに上を向く。肩に置かれた手がいつの間にか背中に回されて、逃がさないぞ体勢で完全にホールドされる。
そして私の唇に、柔らかい感触が……と思った瞬間、それは素早く私の前歯をこじ開けると、強引に侵入してきた。ああ、どうやらこのお姉さん、かなり場慣れされておられるらしい。クララとするときは受け側だし、攻め側は最近ビアンカと控えめに練習している程度の私では、実力においてとうてい敵いそうもない。だからその先は、彼女にお任せだ。好き勝手にお口の中を蹂躙されて、もう呆然……全身の力が抜けて、背中のあたりが何かむずむずしてしまう、ようは、とっても上手なの。
そして数分……とっても長かったような短かったような時間が過ぎて、ようやく肉食系美女のヴィオラさんは、獲物である私を解放してくれた。腰が抜けてしまった私を、優しく近くの滑らかな岩に座らせてくれる。
「これは、素晴らしい魔力だわ……これだけで三日は人化していられそうね。こんな上質の魔力がもらえるなんて、ビアンカはよき主人を得たようね」
「ぷはぁ……はぁ。主人だなんて……ビアンカは、私の家族……です」
う~ん、だめだ。まだ胸がどきどきしちゃってて、身体に力も入らないし、呼吸も落ち着かない。そんな私を眼を細めて見下ろすヴィオラさんは、余裕の微笑みを浮かべている。
「そうか、嬉しいよ、ビアンカを本当に、大切にしてくれているのね」
「はいっ! ロッテお姉さんに、大事にして頂いてますっ!」
眼の前で自分の母と私が演じた濃厚なシーンに耳まで赤く染めているビアンカだけど、母と心行くまで語り合えるらしい喜びに、声を弾ませている。
「むむむ……ネコ科の技巧もあなどれないものがありますわね、私もロッテ様のために、技を磨かねば……」
何やら不気味なつぶやきを垂れ流しているクララがすごく怖いわ。そこは、対抗しなくていいからね!
◇◇◇◇◇◇◇◇
その晩は私たちの作ったお食事を、ヴィオラさんも交えて美味しく食べた。「私たち」とは言っても主力はクララとビアンカ、私はお手伝いなのだけれど。
優秀な荷物持ちのヴィクトルがいたおかげで持ってくることができたバイエルン産の赤ワインも開けた。甘味が強いけれど渋みも強い、私のお気に入りワイン。ヴィオラさんはお酒もばっちりいけるらしく、「久しぶりの酒精はしみるわねえ~」とご満悦だ。私は飲みすぎると失態を演じることがわかっているので、一杯だけね。
「そうか、ロッテちゃんは生まれつき獣と話せるんだね。そんな力を使って聖女なんかやってたら、そりゃにらまれるわよね」
さっきまでの堅苦しい話し方が嘘のように、すっかり砕けた調子で絡んでくるヴィオラさん。それにいつの間にか「ちゃん」呼びになってるし。
「ええ、なので国を追い出されまして。でもそのおかげでビアンカや、家族みんなに出会えたのですから、今となってはよかったと思っていますよ?」
「お母さん、ロッテお姉さんの力は、獣との念話だけではないんですっ! 私たち獣人の能力を数倍に上げてくれたり、瀕死の傷を癒してくれたり……人間の聖女としての力だってすごいんですよ! 私たちと出会った時だって……」
そうして、ビアンカが私たちとの出会いから、怒涛のようなこの一年をいきいきと語り始める。いつも控えめな彼女だけど、今日は別人のように饒舌だ。やっとお母さんと会えて、十三年間話せなかった分を、一気に取り返そうというのかしら。
だけど、彼女はやっぱり気遣いのできる子。奴隷として育成されてきた日々のことは一切口にしないの。それに触れれば、お母さんが傷つくと思っているのでしょうね。いずれはその事情を話さねばならないとしても、今はいっときでも長く、笑って母娘の語らいを味わいたい、そんな気分なのかな。
それにしても、ビアンカの可愛らしい口から紡ぎだされるストーリーは、かなり私個人に関して装飾過剰な気がするわ。
まったく自分の利益にならないのに生命をかけて盗賊からビアンカとカミルを救い、瀕死のカミルを奇跡の魔力で癒す。同じく何の得もないのにサーベルタイガーと対立する子爵を倒し、その上やっぱり何の義理もないのに村を襲う数百のゴブリンの群れを、自らは気を失い倒れながらも信じがたい奇跡を現出させて打ち払う、無欲の聖女。
バイエルンでは魔獣コカトリスの子を助け、森の開拓村に襲い掛かる危機を再三にわたって救う。そして義勇軍を自ら指揮して千を超すアルテラ軍に対峙し、再度奇跡を起こして完全勝利する。王都では侯爵に見出され養女となり、その美貌と魔法で一躍社交界の華となるだけでなく、自らの生命を投げうってまで石化された令嬢を救い、最後には王国上層部まではびこっていた不正を根こそぎ暴いて、バイエルンに安寧と規律をもたらした、勇気と献身の聖女。
何かビアンカのお話を聞いているだけだと、ロッテという女性が私じゃなくて、とっても高潔な理想の聖女みたいに感じられるわね。
あれこれ事実としては間違っていないけれど、何かビアンカ視点だとひいき目というか、私に対する評価がとっても甘いような気がする。だって私は降りかかってくる火の粉を払っているだけ……勇気だの献身だの言われているあれこれは、結果的にそうなっちゃっただけなんだけどな。
「ふうん、ビアンカはよい主人を得たようね。でも、失礼ながらこのご主人、すっごく強い力を持った女の子ってのは本当みたいだけれど、ビアンカが言うような完璧な聖女様には見えないのよね、なんかいろいろポンコツというか、流されやすいというか、放っておけないというか……」
うぐっ、お母さん……ヴィオラさんの言うことはズバリ正解なのよ。さすがは族長さんになるだけのことはあるわ、ビアンカの語るキラキラの叙事詩から余分な主観や情緒をさっぴいて、概ね現実に近いところを素早く読み取る、鋭い分析眼と言えるわね。
「ああビアンカ、この聖女さんにケチをつけているわけじゃないんだよ。むしろ完全無欠の人より多少隙がある人の方が、一緒に暮らして幸せになれると思うし。でもね、このご主人を絶対的に崇拝するんじゃなくて、欠点もたくさんある人だということを認めて、足りない部分を支えて差し上げるってことが、家族としての役目じゃないかな」
「……は、はいっ! 全力でお支えしますっ!」
ヴィオラさんが何やら深い言葉を口にすると、ビアンカが眼に涙を浮かべて応える。その幸せにあふれた泣き笑い顔を見られただけでも、ここまで来た甲斐があるというものね。
「うん、それじゃビアンカ、そろそろ私から、お父さんの話をする時が来たようだね」
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