第170話 お母さん

(ここからは、俺とビアンカが同族の気配を追うしかないだろうな。できるだけ短期戦で見つけたいけど) 


 確かにそうね。フェレンツさんも虎獣人だけど、もう数代にわたって混血が進みすぎて、サーベルタイガーの血を感じることは、出来なくなっているだろう。純血の魔獣であるヴィクトルや、おそらく一代目のハーフであろうビアンカとは、血の濃さが違うのだ。


「何か、気配を感じる?」


(今のところは何もないな)


「私も、何も……」


 そう答えるビアンカも、不安を顔ににじませている。母親の情報を求めてここまで来たけれど、手掛かりと言えば十五年前に姿を消した族長の娘がいるという、あまりにあやふやで頼りない噂だけ。


「ビアンカ……」


「大丈夫です、ロッテお姉さん。いろんなことを考えて、少し怖かっただけです。ええ、ここまで来たんですから、必ずサーベルタイガーの一族を見つけます!」


(とりあえずは、サーベルタイガーが好みそうな地形を求めて動こう。南東に岩山が見えるから、まずはそこだな)


 ヴィクトルの念話を伝えると、みんなが深くうなずく。もうここまで来たら、進むしかないもんね。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 サーベルタイガーがいるかも知れないエリアに入ってからは、意識してゆっくり進んでいる。今日も、まだまだ陽は高いのだけれど、早めにキャンプを張る。こっそりじゃなく、かなりあからさまにね。これは、ヴィクトルの意見によるものなのだ。


(自分たちの縄張りによそ者が入ったら、上位魔獣たるサーベルタイガーは、黙って見逃すはずはないからね。かならず向こうから、近づいてくるさ)


 ふうん、そんなものなのかしら。まあとりあえず、ここは同族であるヴィクトルにおとなしく従っておこう。私たちはことさらにぎやかに、堂々と焚火の煙などあげて夕食の準備などしちゃう。といってもスーパー侍女のクララと、料理のスキルでも一気に私を抜き去ったビアンカがいるわけだから、私の出番はないの。焚火の前でカミルと一緒に串焼き肉が焼けるのを待ってるだけなのだ。我ながら使えない聖女よね。


 そしてビアンカ自慢の香草入りキノコスープの皿を空っぽにして、満足のため息をついた時に、クララの耳がぴくっと動いた。


「来ましたわね」


(うん、さすが狼の感覚は鋭敏だな。獣化している俺より早く気づくとは)


 二人が何やら納得しているけど、私には何の気配も感じ取れない。虎獣人のビアンカとフェレンツさんも首をかしげているんだから、私が感じ取れなくても、いいよね。


「ねえ、二人が言ってるのって……」


「ええ、この森名物の、ネコ科の気配ですわ」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 やがて気配が濃くなったみたいで、ビアンカやフェレンツさん、そしてカミルやルルも、注意深く回りを窺い始める。ここまで来て何も感じていないのは、どうやら私だけらしい、何か仲間外れみたいで、くやしいわ。


 みんなの様子を見ていると、相手は私たちの周りをあらゆる方角から包囲しているらしい。これは、彼らにとって有害とみなされたら最後、一気に殲滅されちゃう態勢ってやつよね。少なくともヴィクトルが虎の姿でいてくれてるから、問答無用でいきなり攻撃することは、ないと思うのだけれど……そう信じたい。


 前方でかさっと、下藪を踏み分ける音がする。やがてそれはあらゆる方向から聞こえてきて……暗い森からうっそりと姿を現したのは、三十体ほどのサーベルタイガー。私はモルト―子爵領でこの数倍の虎さんたちと絡んだから別に何とも思わないけど、フェレンツさんは明らかに、こんな大量の上位種出現に、びびりまくっている。


(お前たちは、どこから来たのだっ!)


 頭の中に響く念話は、意外なことに女性らしい声だ。威厳を感じさせる調子なのだけれど、どこか丸みを感じさせる声質だ。その念話の主は……虎たちの中でもひときわ大きく、はっとするほど美しい毛並みをもった雌のサーベルタイガー。ああ、もふもふ好きの私にはわかる、あの毛足の長さはヴィクトルとためを張っていて……そしてヴィクトルより柔らかくしなやかだ、あのもふもふに包まれたら、絶対五十数える間に寝てしまう。そうに違いないわ。


 そんなどうでもいいことをふと頭に浮かべてしまった私に生暖かい眼をいっとき向けたヴィクトルが、一歩踏み出す。


(貴女やその仲間の住まう森を騒がせて申し訳ない。我ははるか西方、ルヴィエの森に集うサーベルタイガーの族長長子、ヴィクトル)


(そのような遠方から、こんな辺境に何の用なのだ?)


(我が命を懸けて守るべき者が、この森を統べるサーベルタイガーの族長と、ぜひ話したいと。そこなる、人間の女性だが)


 念話だから恥ずかしさにギリギリ耐えられるけれど、ヴィクトルの言葉に反応して頬が熱くなるのを止められない。彼が、命を懸けて守るべき者って……この話の流れだと、やっぱり私よね。


(ほう……西に住まう族長の子も、人間と心を通わすとはの)


 あら? このサーベルタイガーの女性が言ってること、おかしなニュアンスね。「も」って何かしらね?


(して……その娘は、族長に対し、何を話そうと言うのだ?)


 上質な毛並みをわずかに逆立てながら、サーベルタイガーの女性が威圧するように私の方を向く。最高級のもふもふばかりに気を取られていたけれど、じっと見つめられてしまうと、その圧力はものすごい……はっきり言って、怖い。なんとか、うまく話さなきゃ……。


 背中に冷たい汗をかきながら精一杯言葉を絞り出そうとしていた私の横を、やわらかな影がすり抜けていった。


「あ、れ? ビアンカ?」


 ビアンカは、亜麻色の髪をふわっと揺らしながら、自分よりはるかに大きなサーベルタイガーに、言葉を失ったまま惹きつけられるようにふらふらと近づいていく。その眼からは透明な雫が、とめどなく流れ落ちている。


(む、そなたは……)


「お、かあさん……お母さんっ!」


 そう叫ぶなりビアンカは、サーベルタイガーの巨躯に向かってその身を投げ出し、戸惑う虎の首にすがりつくと、あとは嗚咽を漏らすだけ。


「ええっ……この虎さんが、ビアンカのお母さんなの?」

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