第169話 デブレツェンへ

 それから一週間後、私たちは村を出発した。疫病予防術の副作用に関しては、これだけ経過を見たのだから、もう心配ないだろう。


 ダンテと一緒に襲ってきた村人たちと大立ち回りを演じた後は、人々と接するのがちょっと気まずかったのだけれど、結果としては、どうってことなかった。


 ダンテに忠実なのは一集落だけで、他の集落の人は彼の粗暴で極端な考え方についていけないと思っていたみたい。あの時叩きのめした人たちは、みんなダンテがいる集落の者だったから「そんなら自業自得さね」ということになっているらしい。


 むしろ、ペトラさんやジェシカさんを癒したこと、そしてまだ効き目は分からないけど疫病予防の施術をしたことなんかで、私たちを支持する人たちの方が多かったみたい。よかった、情けは人の為ならず、って言うけど本当よね。


 そんなわけで私たちの出発は、二百人ばかりの村人が歓声をあげて見送ってくれるにぎやかなものになった。嬉しくて、ちょっと涙が出ちゃった。


「デブレツェンまで、俺たちの脚でも七日ほどかかる。聖女さんが歩いたらその倍はかかるから、最初からヴィクトルさんに乗せてもらったほうがいい」


 今回村から案内役として同行してくれる金髪イケメンフェレンツさんのそんな助言で、私は最初からおとなしくヴィクトルの首のあたりに跨っている。当然、乗馬ズボン姿だ。旅を始めたころは女の子らしくスカートをっていうこだわりがあったんだけど、やっぱり楽ちんさに負けてしまったわけなのよ。


 ジェシカさんとペトラさんが同行したいってずいぶん粘ったけれど、ぜひお願いしたいことがあるからと、遠慮してもらった。彼女たちには、できるだけ多くバイエルン移住を決めてくれるよう、村人さんたちを説得してもらわないといけないのだ。こればっかりは、村の住人でない私たちの言葉では、あまり効果がないからね。


「住民の受け入れ態勢は、ひと月以内につくれると、アルノルトが申しておりました」


 クララが相変わらずのクールな調子で告げる。そう、この一週間のうちにクララにシュトローブルを往復してもらって、獣人さんたちの移住受け入れの準備をするよう、総督代理のハインリヒ兄様と、執政官のアルノルトさんにお願いしたのだ。なんで伝令をクララに頼んだかと言えば……きっと、逢いたいんじゃないかと思って。


「さすがはアルノルトさんね……あれれ? アルノルトさんの名前、呼び捨てに変わったのね?」


「あっ……いえ、それはっ……」


 とってもわかりやすく頬を染めるクララ。うん、これはそろそろ、アルノルトさんの意思を確認する時期に来ているようね。私だったら絶対、お嫁にもらって毎晩もふもふするけど。


「ふふっ。いろいろ進展しているみたいで、嬉しいわ!」


「……そうおっしゃるロッテ様ご自身には、これといった進展がないようですわね?」


「うぐぐっ」


 調子に乗ってクララをからかっていたら、痛いところを突かれてしまった。今度は私が耳まで紅くなる番だ。


 お尻の下のヴィクトルが知らんぷりしていてくれるのが、救いだわ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 獣人の村を出てから六日後、私たちはようやくデブレツェンの森に差し掛かった。


「ここから先がデブレツェンの森と言われているところだが、サーベルタイガーの里がどこにあるかなんてのは、誰も知らない。行ったやつはいないからな……俺が案内できるのはここまでだ。中途半端ですまないな」


「そんなことないです。ここまでの道のりのきついことと言ったら……フェレンツさんが先導してくれなかったら、あきらめてたかも」


 そうなのだ。来る途中には深い渓谷あり、岩壁ありで、案内なしでは立ち往生するしかなかった。バイエルンの森が、いかに旅人に優しかったのか、この国に来て思い知った感じよ。もちろん安全に東へ旅する道がないわけじゃないけれど、私たちはアルテラ帝国から見たらスーパー戦争犯罪者だから、人が通る街道を行ったら、捕まっちゃうからね。


 一番厳しかったのは、数十メートルの断崖に挟まれた深い谷を渡った時だ。橋なんてかかってないから仕方なく崖崩れでできた急峻な斜面をおっかなびっくり下ったのだけれど、運動神経が一番鈍い私が、丸石を踏んでしまって滑落しかけたのだ。落ちる私の下にカミルがものすごい速さで滑り込むように身体を入れて支えてくれなかったら、今頃私は天国に昇っていただろう。いや、たくさん殺生をしてしまったから、地獄行きだったかもしれないな。


 だけど、地獄行きをまぬかれた私が感謝と称賛の言葉をカミルにあげようとした直前に、あの子がぼそっと「小さいな」とか口にしたので、私のおへそがいきなり曲がってしまったの。カミルって時々、こういうデリカシーのない発言をする子なのよね。

 

 そんなわけで心の中ではカミルに感謝しつつ、ここ三日ほど彼と口をきいてあげていない。まあ、その後ビアンカにこってり絞られたみたいだし、今も目に見えるくらいしょぼくれている姿をみたら、そろそろ許してあげようかな。


「ねえカミル、助けてくれてありがとう、感謝してるんだよ」


「うん……ごめんロッテ姉さん。ついビアンカと比べて……」


 むむっ、まだ言うか……とは思うけど、感謝の気持ちは本当。口ではうまく言えないから、優しくハグしてあげたの。当たるものは小さいけど、ね。

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