第167話 引っ越しません?
ダンディな狼耳の渋いおじ様……と思っていた村長さんが、いまはかなり情けない感じに頭を抱えている。
「まったく済まん。あやつがあれほどバカとは思わなかった……」
村長さんが「バカ」と呼ぶ熊獣人ダンテは、ヴィクトルに右腕をひじから嚙みちぎられたけれど、しぶとく生き残った。ヴィクトルに言わせると「死なないように手加減した」らしいのだけれど。大量失血で青い顔をしながらも、相変わらず自分の集落で尊大にふるまっているらしい。
「親父、あいつにもう少し、厳しい罰を与えられないのか。もう集落の長なんかやらせられないだろ?」
「うむむ……やはり、あやつを英雄として支持する者が多くての……」
息子のフェレンツさんに厳しく指摘されても、村長さんは煮え切らない。集落の長さえも、解任するつもりがないみたいだ。
「この村は人を殺そうとしてもお咎めなしなのですわね。まさに無法地帯ですわね」
「それを言われると反論の言葉もない。あやつに言わせると『この村の者でないやつは人ではない』ということになってな。もちろんそんな屁理屈は通らないのだが、そんなめちゃくちゃな言い分でも、それを信じてついて行ってしまう奴がいる。それほど村の一部の者にとって、『火竜から村を救った英雄』という件は大きいのだ」
普段は私を立てて、公式の場所ではひたすら目立たないように努めているクララが、珍しく鋭く直接的に村長さんに直接ねじ込む。けれど議論は結局「英雄の息子」である者に手は出せない、というところに戻ってしまう。これじゃ、無限ループよね。
この流れを変えてくれたのは、みんなにお茶を淹れてくれていたジェシカさんだ。彼女がその秀麗な眉に決意の色を刷いて、村長さんに訴えたのだ。
「お父さん、これは変だよ。聖女様はご自分には何の利益にもならないのに、私の焼けただれた手を治し、疫病に冒された瀕死のペトラを癒して下さったわ。それだけじゃなく、疫病に耐性がない獣人のために、予防の術まで提案され、自ら希望する者すべてに施して下さったわ。ダンテなんかよりよほどこの村のことを考えて頂いているのに……その聖女様に危害を加えるのは、罪ではないの? お父さん!」
「儂だってわかっておるのだ。このような無法乱暴をそのままにしておいては、いずれ大変なことになると。問題はただ一つ、あやつを支持する者が多すぎて、あやつを処罰すれば村の中で流血の争いが起きてしまうであろうことだ。これからアルテラの圧力に耐えねばならない時期に、村の中で争うわけにはいかんのだ」
「お父様はそのために聖女様を犠牲にしてもよいとおっしゃるの?」
「そんなことは言っておらぬ!」
なるほど、村長さんの悩みはおおむねわかったわ。大きく言えば、村人同士で争うことを回避することと、この村に進出してくるであろうアルテラへの対策、この二つを両立させることなのよね。難しい問題だよね……でもそれなら、この村の事情を聞いて暖めていた私のアイデアを、提案する価値があるかも知れないな。
「あの、村長さん。ひょっとしたら抱えておられる問題を解決する方法があるかもしれません。村人が二派に分かれて争うこともなく、アルテラの支配からも逃れる方法が」
「何だと?」
「ええ。かなり突飛な発想なのですけど、聞いて頂けますか?」
「無論だ」「ぜひお願いしたい!」「お願いします聖女様!」
村長さん一家が、一気に食いついてきた。期待倒れにならないようにしないとね。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ジェシカさんがおいしく淹れてくれたお茶が冷めないうちに、一口含んでのどを湿らせてから、私はおもむろに話し始める。
「先ほど申し上げたように、これはかなり突飛で、ぶっとんだ提案です。お気に召さないかも知れませんし、皆さんに失礼なことかも知れません」
「構わないよ、聞くだけなら何も害はないわけだし」
フェレンツさんの応援も頂いたし、始めちゃおうか。
「ダンテに従う者は、この村の人口の何割くらいでしょうか?」
「うむ。三千半ばの住民のうち、六百弱だと思ってもらおう」
村長さんがスパッと答えを返してくれる。うん、そのくらいなら大丈夫だ。
「ではまず、その人たちを除いた住民は、この村を出ましょう。この村の畑や家は、ダンテ派の人にあげてしまうのです」
「何だと?」「ええっ?」
いきなり驚かせてしまったみたい。村長さんとフェレンツさんは「お前、何言ってるんだ?」的な表情をしているわ。
「うむ、失礼、どうも発想が大胆すぎてついていけないのだ……そうすると、ダンテ派以外の我々は、どこで暮らせばよいのだ?」
「ええ、皆さんには、西へ一週間ほど旅をして頂いて、バイエルンに引っ越してもらえないかと思っているのですが。大陸公用語も通じますし、獣人差別もないとは言えませんがアルテラやロワールに比べればかなりましです、暮らしやすいと思います」
「バイエルン移住だって? そんなことができるわけがないだろう? だいたいそんな多数の難民がどっと押し寄せたら、バイエルンの国軍に追い払われるのが落ちだろう、向こうの貴族か領主にでも話が通っていれば別だがな。そして万が一首尾よく滞在を認めてもらったとしても、我々には耕すべき土地も、当座をしのぐ資金もないのだ」
うん、村長さんのおっしゃることは、しごく常識的なご意見よね、納得できるわ。でも私は、ちょっとその常識から、外れた聖女だから。
「そうですね。でもバイエルン軍や領主への根回しなど、心配ご無用です。バイエルン国境地帯のシュトローブル領は王室直轄地で……今の総督は、私自身ですからねっ」
「はぁっ?」 「えええ~っ!」
「はい、申し遅れました。私はシャルロッテ・フォン・ハイデルベルグと申します。バイエルン王国のハイデルベルグ侯爵令嬢にして、王室直轄領シュトローブル総督ですわっ!」
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