第154話 狼少女のジェシカさん

 お茶のワゴンを押して入ってきたのは、たぶん私より少し年上……クララと同じくらいの齢だけど、可愛らしい狼獣人のお姉さん。印象的な碧色の瞳、そして銀灰色の髪からおっきな三角の耳がぴこんと覗いているところはちょっとクララに似ているけれど、ほんわかした微笑みを絶やさないとところが、クール系のクララとは大違いね。


「村長の娘、ジェシカです。皆さま、この村へようこそ」


 素敵な笑みを浮かべたまま、スカートをつまんでぺこんと礼をするジェシカさん。とっても可愛いんだけど……その姿に少し違和感。


 ああ、そうだ。彼女がスカートをつまむ手は、右手だけなのだ。左手は肘まで覆う手袋に包まれて、だらりと垂らされている。


「ああ、左手ですね。ちょっとケガを致しまして、自由に動かせないのです。大丈夫ですよ、お見苦しくて申し訳ございませんが、生活するぶんにはもう慣れましたので」


 私の視線に気づいたジェシカさんが口角をあげて、その言葉を実証するかのように右手だけでささっとハーブティーをみんなに出してくれるの。向かいに座った金髪イケメン……フェレンツさんが、少し辛そうな顔をした。


「どうして……」


「半年前にうちが火事になって、娘が崩れた梁の下敷きになったのだ。それをジェシカが救ってくれた、燃えさかる梁を素手で持ち上げてな。娘は無事だったが……ジェシカの左手は焼けただれてしまい、結局思うように動かせなくなってしまった。申し訳ない……」


 私が思わず発した疑問に、席に着いてからずっと無言だった猪獣人の男性が、辛そうな表情で答えた。


「いいのですよ、アリーズの生命が助かったのですから。そして私もこうしてぴんぴん元気に暮らしています。あの時手を出さなかったら、私は一生後悔したはずです」


 そう言って、彼女は優し気に眼を細める。ああ、このジェシカさんは、天使みたいな女性。こういう人こそ、本当の聖女というべきよね。ロワールの高慢な聖女たちに、爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいわ。


 そして、彼女は獣人だ。こんな泣かせる話を聞いてしまったら、私は何かしてあげたくなってしまう。私の持つ、獣に力を与える魔力を使って。


 だけど、ここで私がはっちゃけて目立っちゃうのは、私達の旅にとっては、明らかにマイナスになる。少なくともデブレツェンの森までは、こっそりひっそり行かないと……あくまで、普通に考えれば。どうすればいいんだろう……。


 私は救いを求めるように、ヴィクトルを見た。虎型のヴィクトルが、ゆっくりうなずく。そしてちょっとびくびくしながら、クララの方もうかがってみる。彼女はしばらくクールな表情で私を見つめていたけれど、ふと優しい顔になって、諦めたようなため息をつく。これは、私のわがままを、許してくれたってことでいいよね。


「あの……ジェシカさん、よろしければ左手を、拝見させて頂けないでしょうか?」


◇◇◇◇◇◇◇◇ 


 手袋を外したジェシカさんの手は、予想していたよりはるかに重傷だった。


 手首の手前十センチくらいから先の皮膚が焼けて赤黒く変色し、縮んでいる。かつては白魚のようであっただろう指は焼けただれ癒着して動かせず、一部は焼け焦げて欠損している。化膿しなかったのが奇跡ね、そうなっていたら切断するしかなかっただろうし。


「あの……お客様? あまり見ていて気持ちの良いものではないと」


 ジェシカさんの戸惑ったような声。そうね、やるなら早くトライしちゃおう。


「ひゃっ! お客様?? そんな、汚いですわ……」


 そう、彼女が当惑するのも当然のこと。私は焼けただれたジェシカさんの指を、いきなりぺろぺろと、なめたのだ。ちゃんと説明していると長くなりそうだったから、それはあとでね。


「ジェシカ様、いっとき我が主人の思うままにさせて上げてください、お願いします」


 クララのフォローが聞こえるけれど、私はもうそれどころじゃない。眼を閉じて一心に、この獣人聖女の火傷を治すことだけ願って、凄惨な傷跡に、ひたすら舌を這わせ続けた。


「見ろ! ジェシカの指が!」


 さっきの猪獣人さんらしい声がする。眼を開けると、小指がその白さを取り戻し、癒着も回復している。やったわ、自信はなかったけれど、こんなに時間のたってしまった傷にも効くんだな、頑張れ私の魔力。


 そして、おそらく三十分くらいは経ったのじゃないかと思うけれど……眼の前には、柔らかく優雅でしなやかな、白い手があった。


「見た目には治っていますけど、動かせるかどうかまでは……試していただけますか?」


 呆然と私を見ていたジェシカさんだけど、はっと我に返って、すっかり綺麗になった左手を顔の前にかざし、恐る恐る開いたり、閉じたり。お、ちゃんと動くみたいだ。


「う、動くわ……動く、私の手が……」


 その優し気な眼から透明な雫があふれ出し、頬を伝ってこぼれ落ちる。そして涙に濡れた碧色の眼が私を、熱く見つめる。


「せ、聖女様……」


「あ、へぇ?」


 あ、変な反応してしまった。確かにもと聖女ですけど、何でわかるの? 


(いや、彼女にとってはこの治療が奇跡だったんだ、その奇跡を起こしたロッテが、神の使いみたいに見えるのは、仕方ないんじゃないか?)


 はい、ヴィクトルさんのおっしゃる通りです。

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