第150話 出発

(大丈夫かい、ロッテ?) 


「……何とか」


(疲れたんなら、俺の背中に乗るか? 歓迎なんだけど)


「う、うん。ありがたいんだけど……もう少し、頑張らせて」


 森を行く私とヴィクトルの、いつものやり取りだ。シュトローブルを出た私たちは、アルテラに向かうべく、東側に広がる深い深い森を進んでいる。そう、ビアンカのお母さんかも知れない、サーベルタイガー族長の娘に関わる情報を得るために。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 私たち一行は、シュトローブルに着いて二週間ばかりの準備期間をとった後、アルテラへ旅立った。本当はもっと早くに出発したかったのだけれど、国王陛下とクリストフ父様の陰謀でシュトローブルの総督になってしまった私は、一応そっちの体制を整えてからでないと、お出掛けすることができなかったのだ。


 二週間の間にあっぷあっぷしながらこなしたのは、控えめでシンプルな就任式、街の有力者さんたちとの顔合わせ、そして総督府の役人さんと、滞っている政務処理の打ち合わせ、などなど。


 何しろ総督が不正の罪を得て捕まり、その意を受けて動いていた高級幹部がごっそり収監されてしまったのだ。当然のことながらシュトローブルの統治は混乱の極みだったというわけなの。もちろん業務引継ぎも何もできなかったわけなので、連座をまぬかれ残った実務代表の方と膝詰めで、ああでもないこうでもないと連日のやりとり、ぐったり疲れたわあ。


 頼れる官僚様であるハインリヒ兄様が代理総督として来てくれていなかったら、恐らく私たちは出発をあきらめる羽目になっていただろう。本当に兄様は優秀だった、懸案一件につき紙一枚と十五分ばかりのブリーフィングで、即座に方針を決めて下級役人さんたちに指示をびしっと下せるの。どうやったらあんなに悩まず決断できるのかしら。おなかの中が真っ黒で、わたしをいろいろハメて下さったクリストフ父様だけど、兄様を一時的とはいえシュトローブルに差し向けていただいたことだけは、本当にありがたいお計らいだったわ。

 

 そして陛下におねだりして執政官にリクルートした、アルノルトさん。あの大規模な不正を明らかにした高い調査能力と根気についてはもちろん知っていたけれど、官吏としての行政能力も半端じゃないってことが、三日もしないうちにイヤというほど理解できた。大きな決断に迷いはないけど個々の事例を細かく覚えているわけではないハインリヒ兄様と違って、アルノルトさんは部下が報告する数字をしっかり把握して決して忘れず、矛盾があればすぐに気づいて正すことができるの。


 ハインリヒ兄様もすぐに彼の有能さを見抜いたわ。さっさと商工業分野に関しては権限を移譲して全面的に任せ、ご自分は軍事や裁判、そして未開地の開発案件に集中すると決めてしまった。ああやってどんと任せちゃえる割り切りっていうのもすごいわよね、小心者の私には出来そうもない。


 あまりに優秀な二人の素早い処理ぶりに、説明を受けるだけでも私の脳みそはあっぷあっぷ。まあ、辛うじてなんとかギリギリついていけたのは、ロワールで受けたやたらと厳しい聖女教育と、アルフォンス様と好んで話していた、政治向きのやり取りのおかげね。細かい数字は全く頭に入らなかったけれど、人には向き不向きってものがあると思うの……うん、そう信じたい。


 エグモントさんの守備隊司令官への就任は、もっと違和感なくすうっと周囲に受け入れられた。もともと前線のヴァイツ基地で幹部をやっていたのだ、シュトローブル領軍にも彼の実直な性格を好ましいものとして認識していた人が多かったってわけよね。彼は、今までシュトローブルの街を守ることが主務だった領軍を、周囲の村々に住む人々を含めて守る集団に変えようという志を持っているの。すばらしいことよね、時間はかかるだろうけど、彼ならやってくれると思う。


 そんなこんなであっという間に時間が過ぎ、ようやっとメドがついたかなと思えるまでに二週間かかったの。


 私が総督府のあれこれにわたわたしている間に、私の家族たちはしっかりアルテラへ旅する準備を整えていて……何もしていなかった私は、ただ言いなりについていくだけの存在になってしまったのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ねえクララ、アルノルトさんを置いてきて、良かったの?」


 私の数歩先を先導してくれている彼女の足が一瞬ぴたっと止まり、また何事もなかったのように動き出す。


「まあ彼の乏しい戦闘能力では、今回の旅でロッテ様のお役に立つにはちょっと不足と申しましょうか」


 グレーのボブと狼の耳を揺らしながら、いつものように冷静を装って答えるクララだけど、その後ろ姿がかなり動揺しているのは、私にもわかる。


「そうじゃなくて……アルノルトさんは荒事は苦手でも、もうシュトローブルの市民たちにとって、いなくてはならない人になっていると思うよ。クララが、彼のそばに居てあげなくてよかったの?」


 今度ははっきりと足が止まり、振り向いた翡翠色の吸い込まれそうな瞳が、真っ直ぐ私を射抜く。


「私の心は、いつもロッテ様のもとにあるとお誓いしました。ロッテ様が危地に赴かれるとき、いつも共に在り貴女様をお守りするのが、私の望みであり、幸福なのです。アルノルトさんは私の想いを理解してくれて、むしろ同行を勧めてくれました。大丈夫です、離れていても、彼とは心がつながっていますから」


「あ、うん、ごめん、ありがとう……」


 不用意にも、破壊力抜群ののろけ攻撃をぶちカマされてしまった私は、さっさとこの話題から撤退するしかなかった。う~ん、クールが持ち味のクララが、いつからこんなにお砂糖まみれになってしまったのだろう?


 まあ魔獣や獣人は、つがいになる相手を見つけると一途だって言うし……ね。

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