第148話 王都を後にして
「うむ。条件は何じゃな? 経済支援か?」
「いいえ、そのような生臭い話ではありません。一つは、アルノルトさんを執政官として、そしてエグモントさんを守備隊司令官として、私に下さること」
そう、アルノルトさんは現在のところ無役をかこっているけれど、彼の事務処理能力と調査能力、そして正しき行政への情熱は、きっとシュトローブルの住民を、もっと幸せにしてくれるはず。何より彼を連れていくことが、クララを幸せにしてあげる方法なんじゃないかと思って。
エグモントさんは、現在罪人扱いだ。家族の安全を盾に脅されていたとはいえ、陛下をたばかったことは重罪だから。でも、彼が過酷な環境と不当な上司の下で、懸命に部下をまとめ、務めを果たしていたことは間違いない。彼に自由な手腕を振るわせれば、守備隊の能力は確実に上がる。そしてお嬢様の健康には、シュトローブルの澄んだ空気がとっても合うと思うの。
「ふむ、何やら欲のない話じゃな。将軍であるローゼンハイム伯を駐留させよとでも言うのかと思ったが……その程度なら何の問題もない、エグモントは恩赦し、アルノルトと共にすぐ聖女の部下につけるとしよう。で、もう一つは?」
そう、こっちはうんと言ってもらえるかわからないけど、一つだけ、どうしてもやっておきたいことがあるんだ。
「はい。半年、いえ四ケ月でいいのです。私達がアルテラに向かうことをお許し下さい」
「何とっ?! 何故わざわざ、敵国のアルテラに?」
陛下が、驚きにその眉を跳ね上げる。クリストフ父様も、しばし言葉を失っているわ。
「私の家族には、虎獣人のビアンカという少女がおります。その母はサーベルタイガーですが、どこから来て、今どうしているかも知れないのです。ロワールで得た情報にて、アルテラにあるデブレツェンの森に、手掛かりがある可能性がありまして。是非、行って参りたいのです」
「いや、それは危険極まりなく……軍に所属する隠密を貸すゆえ、その者に任せるわけにはいかんかの?」
「私以外の人間には、サーベルタイガーと意志を通じることが出来ませんから」
ここはきっぱり主張しよう。ビアンカは良い子過ぎて口に出さないけれど、母親への強い想いを、いつも胸に燃やしている。幸せな決着にはならないかもしれないけれど、その想いには結果を出してあげないといけないって、ずっと考えていたんだもの。
「それで、いいですよね。お父様?」
「む、む……陛下……」
クリストフ父様がうっすらと汗をかいている。うん、ここのところ父様の手のひらで踊らされてた感じ満々だったから、すこし仕返し気分。
「……うむ、仕方なかろう。但し、必ず無事で、帰るのだぞ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「まさか、ロッテがあんな条件を出すなんて思わなかったわ。本当に気を付けて、無事に帰って来てね……」
「うん、マーレ姉様もお仕事、がんばってね」
国王陛下の無茶振りのお陰で、私達はばたばたとお引越し準備をする羽目になって……いよいよ王都を立つ日が来た。王都に来た日とは違って、今日は堂々と荷馬車を連ねて、街道を行けるのがありがたい。
私とルル、そしてビアンカは馬車に乗る。クララはアルノルトさんが山ほど書物を積みこんだ荷馬車に、彼と並んで乗り込んでいる。王都での潜伏生活の間に、ぐぐっと親密度を深めた感じよね。
ヴィクトルとカミルは一行の護衛を兼ねて、騎馬でゆく。そしてエグモントさんも同様だ。エグモントさんはご家族帯同でお引越しすることになる。奥様もお嬢様も意外なほど荷物が少なくてびっくり……ご主人に合わせて実直で質素な方たちなのね。
そして、ハイデルベルグ家のハインリヒ兄様も、馬車でシュトローブルに向かうの。私達が着任早々けしからんことに数ケ月の旅に出てしまうわけなので、短期間の代理総督として兄様が手をあげて下さったのだ。侯爵家に何ら利があることではないのに、いいのかしら。
「ロッテがバイエルンに留まってくれることが、この国の利益になるんだ、君は気にしないでいいんだよ。それに、ロッテは私の妹じゃないか。妹の望みをかなえるために出来ることをするのは、当たり前だよ」
うはあ、ハインリヒ兄様って、なんて男前なの。そういえばこの方、マーレ姉様にも大好きオーラを惜しみなく出していたわよね。ふふっ。婚約者の伯爵令嬢様には申し訳ないことをしちゃったから、何かお詫びに、珍しいお土産を考えないとね。
お見送りしてくれるのはクリストフ父様とカタリーナ母様、そしてマーレ姉様の隣に、何とルートヴィヒ王太子が。亜麻色のきれいな髪と柔和な蒼い瞳、いっつも何かを企んでる父王と違って、優しそうな印象を与える素敵な男性だ。
「王太子殿下、わざわざのお越し、恐悦にございます……」
「そんなかしこまらなくていいよ。本当は父が来たいと言っていたんだけど、さすがにね。王室としても、私個人としても、君に感謝を示さないといけないと思っていたんだ。ほんの一月前まで、私の立場は本当に危ういものだったからね。ありがとう、聖女ロッテ」
いえ「もと」聖女です、的な無駄なつっこみは、さすがに王太子様にはできない。私は口角をあげて、スカートをちょこんとつまんでカーテシーで敬意を表す。そう、今日のいで立ちが乗馬ズボンじゃなくてよかったと、妙な安堵をする私。
「絶対、絶対に、ちゃんと帰って来てね……」
普段は凛々しく快活なマーレ姉様が、今日だけは何だか弱々しい姿を見せている。
だけど、これがバイエルンでは普通の反応だよね。ロワールやモンフェラートに出かけるのと違って、アルテラ帝国は文化も言語も肌の色も異なる、完全なる異民族の国だ。そして彼の国は武断をよしとし、その兵は精強。盗賊をなりわいとする者は多く、村への略奪や襲撃だって日常茶飯事。そんなところにのこのこ不法に潜入して、あるかどうかわからない魔獣の生息地を訪ねようなんて、あんた達命が惜しくないんですかって感じになるよね。
こらえ切れずって感じでマーレ姉様の眼からひとしずく溢れた涙を見ちゃったら、泣き虫な私は当然我慢できない。お互いの手をしっかり握りながら、しばらく濡れた眼で見つめ合ってしまう。大丈夫、また、帰ってくるよ。
ふと気づくと、王太子殿下の右手が、姉様の背中に。彼女を落ち着かせるかのように優しく、柔らかく置かれているの。あれ、これはもしかして、そういうことなのかしら? このしんみりした雰囲気の中、ずばりそこを聞くほど空気の読めない私ではないのだけれど、これは後日、じっくりお話する機会が必要ね。早く目的を果たして、戻ってこなくちゃ。
私の考えていることを察したのか紅くなったマーレ姉様の手をゆっくりと放して、馬車に乗り込む。動き出したキャビンから上半身を思いっきり乗り出して大きく手を振り、私は王都でできた優しい家族たちに、ひとまずのお別れを告げた。
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