第141話 宰相閣下の憂鬱
◆今回は、初出の宰相閣下の一人語りとなります◆
「宰相閣下、中立派であったインゴルシュタット伯とゲッピンゲン伯が語らって、ハイデルベルグ侯と密会した模様です! さらにノイマルクト伯とムルルハルト子爵の夫人同士がやはりハイデルベルグ邸を訪れた由にて。さらには……」
「もう、よいっ!」
儂は思わず大声を出してしまった。我が陣営の忠実な犬であるエーリンゲン男爵は、その青白くやせこけた顔をさらに青くして、縮みあがっている。むっ、これはいかんな、愚かな飼い犬にはエサをやるべきで、厳しい躾はするべきではないというのに。
「しかし、宰相閣下。中立派の有力貴族をこう次々と取り込まれては、彼我の勢力差が開くばかり。何か対策を考えませぬと」
ふん、またこの男か。第二王子派の知恵袋を自称するブルッフザール子爵は、いつもこうだ。状況に対し評論はするが、有効な対策を提案したためしがない。
「子爵の言う通りだ。ここで王太子派の勢いを止めねば、我が孫マルクスの御代は訪れぬ。手は打っておるのか?」
豪華な椅子にふんぞり返って、儂に対して偉そうに疑問を呈する、脂肪の塊のようなこの男には、いまいましいが形だけは辞を低くしておかねばなるまい。こいつはミュンヘン公……先々代国王の王子であり、現国王側妃の父、つまり未来の国王マルクス殿下の、祖父であるのだから。
「はっ。我が一派のマルクス殿下への忠誠は揺らぎませぬが、切り崩しに備え有力な者の家には密偵を放っております。そして中立派にはやはり、カネをつかませねばなりませぬ。今年のシュトローブル資金は、中立派への工作に向けさせて頂きたく」
「なんと、あの資金は、実に使い勝手の良い小遣いであるのだが……」
何を考えているのだ、この白豚は。儂とシュトローブル総督が知恵を絞り、危ない橋を渡ってまで得ている軍資金を、こいつは自分の贅沢をするために貰って当然のように思っている。怒鳴りつけたい気持ちを必死で抑え、言葉を絞り出す。
「マルクス殿下にとって、今が危急の時でございます。殿下の足場を固めるため、なにとぞご容赦を」
「ふむ。ミュールドルフ侯がそう申すなら、致し方あるまい。すべてはマルクスを至尊の位につけるが為であるからな。よいな、事が片付いたら、儂への分配を増やすのだぞ?」
胸に湧き上がる黒いもやを、儂は奥歯をかみしめて抑え込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
儂は王国宰相ミュールドルフ侯爵。
侯爵ではあるが序列は、決して高いものではない。宰相になることができたのは儂が若くして官僚どもを掌握していたことと、先王陛下のお声かけがあったからこそだ。先王陛下は今の国王に譲位する条件として、儂を宰相にすることを提示したのだ。もちろんそこには、先王の弟君であるミュンヘン公の溺愛する孫、マルクス殿下を儂が全力で盛り立てる密約があったわけだが。
バイエルンの王位継承は、長子優先というわけではない。王子達がその能力を競い、優れた者が王太子になるのだ。だから第二王子のマルクス殿下にも等しくチャンスがある、そこに官僚機構を押さえる儂がバックアップすれば、先王の望みをかなえることはいと易いように思われた……王子たちが幼き頃には。
しかし成長するにつれて、第一王子ルートヴィヒはめきめき才覚を示し、マルクス殿下は益々愚かになっていった。直轄領の経営に堅実な実績を挙げる兄に対し、冒険者ごっこにうつつを抜かし、鯨飲馬食、酒池肉林の弟……さすがの儂もこの差を誤魔化すことはできず、ひたすら王太子の指名を遅らせる工作をするしか、手がなかった。
それでも、国王はルートヴィヒを王太子とした。ルートヴィヒはかねてより国政の実権を、官僚から王室に取り戻すことを訴えていた人物だ。彼が王となれば、儂が宰相の座にいることは難しい。そして儂が作り上げた完璧な行政立案能力を持つ官僚機構も、ただ王室から出た指示をこなすだけの単なる機械になり果てるだろう。座してその日を待つわけには、いかない。
そうして儂は、緩みかけた第二王子派をもう一度結集させ、積極的にその派閥を強化していった。マルクス殿下を指示する貴族が過半数となれば、いくら国王とて、王太子を代えざるを得ない……バイエルンの歴史上、力で後継者が代わった事例は、いくらでもあるのだから。
一旦ルートヴィヒに傾いた趨勢を引き戻すには、多少無理をせねばならぬ。すなわち、カネだ。我が派閥の盟主たるミュンヘン公は贅沢が好きでカネ遣いが荒く、派閥を維持拡大する資金を出そうという意思も能力もない。そこで、儂は何とか工作資金を捻出すべく、秘策を編み出したのだ。
バイエルンの王室直轄領土は広大だ。王室はこれを王子達に分割統治させ、その内政や練兵の能力を競わせている。だがマルクス殿下は統治に全く興味が無く、代官に任せっきりで冒険者ごっこに夢中……儂はここに眼を付けた。
マルクス殿下の管理する直轄領のひとつ、シュトローブルの総督を抱き込み、さらに周辺の村々を押さえる前線基地司令官も仲間に加える。彼らは何かと理屈をつけて新税を領民に課し、その新税は国に報告されず、そのまま我々の派閥資金となる。領民にとっては我々貴族間の対立など与り知らぬこと、まさか架空の税金だなどと、思いもしない、まさに錬金術といえよう。数年間は、実にこれがうまく機能した。
しかし、前線基地の会計監に中立派の者を充てたのが失敗だった。はねっ返りの会計監が無駄な正義感を振り回し、かなり深いところまでこのカラクリを調べ上げた。実に危ないところであったが、前線基地司令が早々に身柄を押さえ、地下牢に監禁しているという。冴えない司令官であったが、そこそこ有能であったらしいな。どこに情報を流したか吐かせ次第、その会計監を殺してしまえば、解決だ。
先日までの勢力図を見れば、王国貴族のうち王太子派が三割、我が第二王子派も等しく三割。残り四割は中立派という名の、日和見を決め込んだ連中だ。彼らは勝ち色が濃いほうになびく奴らだ。おそらく我が派が四割程度になれば、一斉にこちらにつくだろう。
そう目論んでいた儂の前に、あの妙な娘が現れたのだ。
ハイデルベルグ家の者が連れて来た黒髪の冴えない娘は「ロワールの聖女」であるという。早速部下に素性を調べさせたが、聖女であったのは本当だった。しかし聖女としては平凡な力しかなくこれといった功績もあげず、しかも異端を働いて西教会から追放処分を受けた札付き娘である、そこまで聞いて儂は頭の中で「忘却可」の判断をした。
娘は国王の前で、石の蝶を再び空に舞わせるという、手妻のようなことをやって見せた。確かにそのように見えなくもなかったが、あの程度の技なら王都に来るサーカス団に属する手妻遣いが、いくらでもやって見せるはずだ。袖に本物を隠しておき、すり替えるだけだからな。国王や王妃は単純に喜んでいたようだが、阿呆なことだ。
しかし儂は、王太子派の重鎮であるハイデルベルグ侯爵夫妻の狡猾さを、甘く見てしまっていたようだ。奴らは娘が本物の聖女であり、石に変えられたローゼンハイム伯令嬢の呪いを解いたと、大衆演劇団まで使って大々的に喧伝した。お陰で中立派の貴族たちが娘に興味を持ち、ハイデルベルグ家に接近していったのが、まったくの計算外だった。娘の社交能力はゼロに近いようだが、その娘をダシに中立貴族達を自分達の陣営に引きずり込むハイデルベルグ夫妻の作戦には、残念ながら押され気味だ。
ローゼンハイムの娘を殺さず、しかし婚姻できないようにしろと命じたのは、儂だ。彼は国軍で最も優れた将帥で、我が陣営に欠くべからざる人材だが、マルクス殿下に忠誠心が篤いとは言えない男だ。王太子派のリートリンゲン家が婿に入っては、ひっくり返される可能性が大きいからな。
冒険者くずれの魔物使いを雇い、コカトリスの力で令嬢を石に変えたから大丈夫だと報告を受けていたが……不覚にも魔物使いに騙されてしまっていたようだ。人間のような大きな動物の石化を解呪するなんてことはあり得ない、長く病床に臥せっていた令嬢を、うまく利用したのであろう。
いや、もうそんなことはどうでもいい。この急場をしのいで、もう一度敵とのパワーバランスを互角に戻さねばならない。まずは、間近に迫ったアルテラ戦勝記念式典が反撃の狼煙になるはず。今回の戦功上位を賞される者は、みな我が派閥に属する者だ。これをきっかけに、貴族どもの支持を取り戻していけるだろう、そう、儂の能力さえあれば。
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