第140話 母娘奪取
そこには、粗末な寝台が二つ。その一つに痩せた娘が力なく横たわり、娘の手を取る母親らしい女性が、一生懸命その手をさすって暖めているらしい。
「あ、あなた方は……?」
「お静かにお願いします。私達は、貴女のご主人から命を受けてお救いに上がった者、一緒にこの不健康な城をでましょう」
私が声を殺して呼びかけると、女性は娘の方を気づかわしげに見やる。
「こんなところまで来てくださって、感謝いたします。しかしこの娘には、もはや逃げ出す体力が残っておりません。私は、残された時間を娘に寄り添いたいと思います……夫に伝えてください、ありがとう、私は幸せでしたと」
女性はその華奢な眉に、悲愴な決意の色を刷く。確かに娘さんの健康状態は最悪だ。このままこの空気が悪くて寒い石塔に閉じ込めておいたら、あと一週間やそこらしか持ちこたえられないだろう。
「そのために私が参ったのです、奥様。お任せくださいませ」
やや芝居かかってそう呼びかけると、私は背負っていた聖女の杖を左手に持った。大丈夫、私はやれる。環境が劣悪だったせいで体力が失われているだけのはず、聖女の力である程度は癒やせるだろう……。
「我に力を与えたまえ……この者の病を……癒したまえ」
唱える声は控えめに、しかし精神力は十分注いで、私は聖女の癒しを発動する。ググっと精神力が持っていかれるけれど、このくらいなら何とか耐えられるわ。
続いていた娘の空咳が収まり、頬に血色が差すのを眼のあたりにした母親は、喜色をあらわにする。
「あ、貴女様は、何というお力を……ああ、聖女様!」
ロワールの追放聖女だというのがバレたのかな……と身構えてしまったけれど、違ったらしい。この女性が小説なんかで読んでイメージしていた「聖女」に、どうも私の姿がかぶったようだ。
「何か、気分が急に良くなって……聖女様、ありがとう……」
ゆっくりと眼を開いた娘さんも、すでに私を聖女と決めてかかっている。う~ん、もう少し自重すべきだったかしら。
「いえ、『もと』聖女ですので……」
言い訳にならない言い訳をする、私なのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「早くここを出ませんと、騒ぎになります」
クララに急かされて、私達は娘さんに肩を貸しながら塔を出る。娘さん、ものすごく体重が軽いわ。ずっと病気であったこともあろうけれど、そもそもロクなものを食べさせてもらってなかったのではないだろうか。そしてこの過酷な環境、まさに虐待だわ。
「大丈夫、私達が必ず貴女方を、安全なところにお連れしますからね」
「は、はい……」
ちょっと偉そうに言いすぎちゃったかしら。お連れするための主力選手はクララやヴィクトルであって、私はむしろ足を引っ張る方なのに。だけど弱り切った彼女たちに力を振り絞ってもらうためには、「聖女」の私が、語りかける必要があるだろう。実際のところ、彼女らの瞳には明らかに憧憬の色が宿っているのだから。こういう純粋な想いを利用するのは気が引けるのだけれど、今は目的を果たすために、清らかで強い聖女になりきらないといけないよね。
城砦の正門には、木製の大扉があって、その内側に衛兵が二人。まあ夜中だし、門を閉めた後の警備なんて、こんなもので十分よね。すでに私達みたいな敵が、内部に侵入していない限り、ね。
私はビアンカとクララに目配せして、ヴィクトルに念話を送った。
(お願い、ヴィクトルっ!)
その瞬間、木の大扉が、砕けんばかりの轟音を立てた。ヴィクトルが、体当たりしたんだ。
「何だ?」「むっ!」
衛兵が大扉の方を向いた瞬間、クララとビアンカが同時に飛び出して、それぞれが衛兵の後頭部に一撃。衛兵は崩れ落ちた。
「今の音を聞いて他の兵が来ないうちに、早く行きますよ!」
母娘を促して、門の外に急いで出た。娘さんをヴィクトルに乗せて、さっさと逃げ出すことにする。娘さんは規格外の巨躯をもつサーベルタイガーの姿に縮みあがっていたけれど、私が「聖女の微笑み」を浮かべて「さあ、優しいこの獣に、その身をゆだねなさいな?」とささやくと、素直に背中に乗ってくれた。
そして途中から街道をそれ、おあつらえ向きの真っ暗な森に踏み込んで、ゆっくりと進むことに。
「街道を行った方が、早く王都に着けるのでは?」
「じきに城砦から追捕の兵が出るわ。馬で迫られたら、すぐ追いつかれちゃうよね。だから森に隠れて、一旦追手をやり過ごそうかなと」
控えめなビアンカの疑問に、私はそう答える。もちろんヴィクトルやクララが本気で走ったら、馬なんかで追いつけるはずもないのだけれど、弱った娘さんを乗せて全力で走るのは、なしだからね。
そんなわけで森の中をゆっくり灯りもつけずに進む。クララやビアンカ、もちろんヴィクトルも夜目が利くので、なんということもなく進んでいるけど、私と、母親の女性はそういうわけにはいかない。それぞれクララとビアンカに手を引いてもらって、おっかなびっくりついていく。
しばらくすると木立の隙間から、たいまつの灯りがちらちらと見える。おそらく少し離れた街道を、騎馬が十数騎、おっとり刀で疾駆しているのだろう。残念ながら、あなた方がお探しの侵入者達は、ここにいるんだけどね。
「ようし、夜のうちに出来るだけ進んでしまいましょ! 朝になったら山狩りが始まるかも知れないから、それまでに安全圏まで逃げるわよ!」
私は、疲れているであろう母娘に聞かせるために、元気に号令をかけた。
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