第136話 騎士の誓い

 レイモンド姉様の夢を見ていた。


「ロッテの髪は、本当に綺麗な黒ね。濡れたようなつやがあって、しなやかなのにしっかりとしたコシがあって……私の髪はふわふわ頼りないから、なんだかうらやましいわ」


 姉様はとっても忙しい方だったけれど、少し余裕ができると、いつもこうやって私を安楽椅子に座らせては、優しく私の髪を梳ってくれるの。櫛の先端が地肌をこする絶妙の力加減が、とっても気持ちいい。そう、もうちょっと右の方、う~ん、いい感じ……。


 気持ちいい夢から覚めた私の眼に、白を基調とした天蓋が映った。どうやらかなり上等のベッドに、寝かされているらしい。


 先ほどから私の髪を梳っていたのは、姉様の愛用していた鼈甲の櫛ではなく……ルルのくちばしだった。かなり気持ちいいからもう少し続けて欲しいのに、身じろぎした私に気付いたルルは、クワァと鳴き声を上げて、みんなを呼んだ。


(ママ、起きたよっ!)


「ロッテ様っ!」


 真っ先に飛んできたのは、やっぱりクララだった。だけどいつものクールな彼女と違って、まるで泣きそうな顔をしながら、私の首に両腕を回して、頬ずりするの。


「あの、クララ? どうしたの?」


「どうしたの、ではございません。ロッテ様は解呪の業で倒れられてから、一昼夜のあいだ、目を覚まされなかったのですよ!」


 え、そうなの? ほんの数十分前のことかと思っていたのに。


「ひょっとして、このまま……そう考えてしまうくらい、お顔の色も蒼白で、呼吸だって……」


 そうか。結果に絶対後悔しないように、自分にできる最大限の精神力を使ったのだけれど、結構ヤバい領域に踏み込んでしまったらしい。


「お願いです。ロッテ様は苦しんでいる人を見たら、必ず手を差し伸べてしまうお方。でも、ロッテ様にもしものことがあったら、悲しむ人が、たくさんいるのですよ! 私も、その一人なのです……」


 ふと気が付けばヴィクトルとマーレもいつの間にかクララの後ろに立って、気づかわしげに私を見つめている。そうだね、みんな心配してくれているのに、私はつい無茶をやってしまう。


「お願いです、ロッテ様。どうか、ご無理はなさらないで……」


「う、うん、ごめんねクララ……」


 いつもクールな色をたたえる眼が切なげに細められるのを見ていたら、私の眼からも勝手に涙があふれてきてしまう。結局私はクララの小さな胸に顔をうずめて、たっぷりと泣いてしまうのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「それにしても、びっくりしたわ。倒れたっきり揺すっても叩いても起きないんだもの」


 あ、容赦なく揺すったり叩いたりしたわけね、マーレ姉様。


「ごめん、心配かけて。しくじったらティアナ様がティアナ様じゃなくなっちゃうかもって思ったら、つい許容限度を超えて力を注ぎ込んでしまったの。でも、次は大丈夫。力の加減を覚えたから……」


「『次は』だって? 人間を解呪するのは、しばらく禁止だよ、ロッテ」


 いつも私には甘いヴィクトルまで、厳しい顔でそんなことを言うの。


「俺だって、ロッテがいなくなるかもって思っただけで、生きた心地はしなかったよ」


 そういって真っ直ぐ見つめて来る金色の瞳は、いつになく真剣で……わけもなく頬が熱くなる。うん、ごめん、ヴィクトル。


「はい、自重します……できるだけ」


 さすがに、反省する私。ヴィクトルの瞳をずっと見ているのが恥ずかしくて逸らした視線の先に、ひざまずく二人の男性。ローゼンハイム伯爵様と、お婿さん候補のクラウス様だ。


「あ……伯爵様、クラウス様、どうなさって……」


「申し訳ない、聖女殿。人間の石化を解呪することが、あれほど術者に負担を掛ける業であるとは知らなかったのだ。娘を助けたいあまり、盲目になってしまった」


「いえ、私もあれほど力を使うものとは、思っていなかったので……」


「自らの身を顧みず、赤の他人であるティアナを救ってくれたこの恩は、私達の忠誠で返すしかない。聖女殿、いや聖女シャルロッテ様……私と、このクラウスは、今後の生涯ずっと、貴女の騎士であり続けるだろう。お許し、頂けるだろうか」


「私も、義父とまったく同じ思い。愛しいティアナに再び触れることを許していただいた聖女様に、一生従うことを誓いますぞ」


 そう宣言すると、お二人とも自らの佩剣を鞘ごと恭しく頭上に捧げ持って、私に差し出すの。え~っ? こ、これは、騎士の誓いをするということよね。


 え~っ、伯爵様もクラウス様も、ちょっと大げさだよ。どうすればいいの? 救いを求めるようにクリストフ父様やマーレ姉様のほうを見れば、二人とも満足そうにうなずいている。これってやっぱり、誓いを受ける流れなの?


 う~ん、致し方ない。私はヴィクトルとクララに支えられながら、彼らの前に立った。まだ頭はぼうっとしているし、身体はふらふらしているけど、ここはしゃんとしないと。寝起き姿だけど、変じゃないよね。寝間着じゃなく、豪華な聖女服のまま寝かされていたのは幸いだったわ。私が乱れた前髪を気にしている間に、クララがマッハで髪を整え、背中に綺麗に流してくれる。よし、やるしかないか。


 バイエルン騎士叙任のお作法は良く知らないから、聖女時代に何度もやったロワール風の儀式で勘弁してもらおう。まずは伯爵様の捧げる剣を鞘から抜き放つ。この剣結構重いわあと思いつつ、ここでふらついては格好がつかないよね。そして剣の腹を彼の肩にゆっくりと当てて、私は宣言する。


「騎士の誓い、確かに受け取りました。慈愛と謙虚の精神をもって、誠実に尽くしなさい」


 そして、クラウス様にも同じことを繰り返す。


 ああ、ついにやっちゃったなあ。騎士の誓いを受けるということは、無条件の忠誠と献身を得ると同時に、騎士様の人生に責任を持つということ。それって、気楽なスローライフが目標だった私が、一番やっちゃいけないことじゃないか。ま、いろいろ黒いことを考えているであろうクリストフ父様がお許しくださってるんだし、侯爵家が何とかしてくれるよね、きっと。


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