第135話 お嬢様を解呪
クララがその歩調を速める。血の匂いがはっきりしてきたのだろう。
私達は声を発するのをやめ、ひたすらその後を追う。やがて立ち止まった彼女が、念話を送ってくる。
(左前方、お分かりになりますか)
クララに言われて耳をすませば、前方から男達の声と何やら作業する音が聞こえる。私達は慎重に、身を伏せつつ距離を詰めていく。
そこには十数人の男。十人ほどがかなり必死に穴を掘っている。五人ほどは指示する立場にあるようで、明らかに身分の差、主従関係が感じられる。
「よし、そんな深さでいい。さっさと石像を埋めてしまうのだ」
「承知しました。しかしこの美しさ、できれば持って帰りたかったですな」
「こんな重い石像を運んで無事にローゼンハイム領を出られるなら、無論そうするさ。だが、そろそろ領兵が必死になって王都に向かう街道を封鎖している頃だ。とても抜けられんよ」
「そうですな……では、埋めますぞ」
そう言って男達が六人がかりで石像を持ち上げようとした時、ローゼンハイム伯爵が合図の手を振り下ろした。引き絞られた弓から放たれる矢のように、ヴィクトルがものすごい勢いで飛び出していく。
石像を埋める作業にかかずらかって、賊の半数は武器すら持っていない。彼らはマーレとクラウス様があっという間に制圧した。だが、彼らは幸せだった……武装していた者には、より過酷な運命が待っていたのだから。
娘をさらわれ怒り狂うローゼンハイム伯の刃が冷酷に急所を抉り、ヴィクトルの振るう血に飢えた魔剣グルヴェイグが、斬撃を受け止めたはずの剣を叩き折って持ち主ごと両断する。肉が裂かれ血が飛び散る凄絶な残酷劇場だけれど、それをヴィクトルが演じていれば、何やら美しく思えてくるのは、なぜだろう。
そして二十を数える間もなく、本当に呆気なく……立っている敵はいなくなった。
「ふむ。国軍の将帥たる私の本拠地を襲うとは余程の自信があってのことかと思ったが、なんと歯ごたえのないことよ。それにしてもヴィクトル殿、稀代の魔剣に憑かれることもなく、完全に使いこなしておるな、大したものだ。その武力あらば、国王陛下の騎士にも、将軍にもなれよう」
「お褒め頂くのは大変ありがたいですが、俺が守りたい人間はただ一人だけです。王だろうと皇帝だろうと、他の人間に眼を向けることはありませんよ」
魔剣の冴えを素直に賞賛する伯爵様に、不愛想だけどクールなセリフで答えるヴィクトル。
ねえ、ヴィクトル。その「ただ一人」って、私だとうぬぼれても、いいのかしら? 木立に隠れて、ひとり紅くなる私なのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
捕らえた賊は、やはり第二王子派の回し者だった。
生け捕りにした奴らの中で一番威張っていた優男が、バリバリの第二王子派と言われるブルクハウゼン子爵家の次男なのだそうだ。この男は、生ける証拠品として、せいぜい利用させてもらうことになるだろう。
だけどこの件単独では、第二王子派を追い詰めるネタとしてはちょっと弱い。「血気に逸った若者が暴走した」とか何とか言って、トカゲの尻尾切りされて終わりになりかねないから。例のシュトローブルでの不正なんかとセットで、断罪することになるのだろうな。
さらわれた伯爵令嬢の石像は、伯爵邸に取り戻した。もちろん、持ち出した奴ら自身の手で、責任をもって運ばせたわ。馬車なんか使わせてあげなかったけど、このくらいの罰ゲームは、当然よね。
さすがに第一陣が壊滅して、さらに伯爵様や私達が邸にいて護っているのだから、もう敵が奪いに来ることは、ないだろう。本当はすぐにでも解呪をしたいところなんだけど、出撃前にクラウス様の大怪我を治すために聖女の力をたっぷり使ってしまったので、今日は、どうやっても無理ゲーだ。
そんなわけでその晩は伯爵邸に泊めて頂いて、ヴィクトルのもふもふ寝具にうずもれてたっぷりと余分な魔力を吸い取ってもらったの。もちろん、大活躍したクララにも魔力をいっぱいあげたよ……お口チャージでね。
そして翌日。いかにも聖女な格好でキメた私は、レイモンド姉様から譲られた聖女の杖を左手に、何度も深呼吸をして気を落ち着けようとしていた。
「聖女殿も緊張することがあるのですな」
私をリラックスさせようとしてくれているのか、伯爵様が優しく話しかけてきてくれる。
「もちろんですわ。石化の解呪は何度も行っていますけど、それは虫や妖魔に対してのもの。人間に対して施すのは、初めてなのです」
「人間の場合、特別な難しさがあるのかな?」
「お嬢様のお身体に関しては、必ず元通り動くようにできると思います。でも、石化する前にクラウス様と過ごされた思い出や、伯爵様に愛されてお育ちになった記憶がすべて戻るかどうかは、まったく自信がございませんので・・」
そうなのだ。今までの経験から、生命活動や運動能力はほぼ元に戻ることはわかっている。ルーカス村で数百の妖魔を解呪した時はさすがに疲れたけれど、彼らが動いてくれさえすればいいのだから、余裕ある力の使い方で何とかなった。
でも、私の解呪で人間的な記憶が全て戻るかどうかは、やってみないとわからない。人間は思い出の上に立っている動物だ。ティアナ様の記憶がなくなってしまった令嬢が戻って来ても、それはティアナ様と言えないのではないかという不安が、どうしても拭えないのだ。
その時、婚約者のクラウス様が、視線を上げた。
「大丈夫だ、聖女殿。たとえ記憶がなくなったとしても、私はティアナを愛せる。私とティアナの思い出が彼女の中から失われたならば、これから新しい思い出を、二人で作っていけばよいのだから」
「クラウス君……」
「伯爵様。ティアナの記憶がどうなっていようとも、私はティアナと結婚するつもりです。お許しくださいますね?」
「むむ。もちろんだ……」
うわあ。クラウス様って、ものすごく男前だわ。こんな一途に想われて、ティアナ様は幸せなご令嬢だわね。よし、男前な彼氏のために、私もがんばろう。姉様には及ばないけれど、私が撃てる最高の神聖魔法を、見せてあげるからね。
最後の深呼吸をして、左手の杖をしっかりと握りなおす。そして眼を閉じ、胸の奥から湧き上がってくる精神力を目一杯……本当に目一杯、杖に注ぎ込む。魔銀のらせんを通って練られた精神力が戻ってきた瞬間、私は眼を開き、短く唱えた。
「この者の呪いを解き、正しき姿に戻したまえっ!」
くっ……覚悟していたけれど、精神力がごっそり持っていかれるわ。妖魔を解呪した時は、彼らの思い出や精神状態なんかどうでもいいからざくっと戻せばいいや、雑にさくさく行こう的な感覚だったから、数がいくら多くても、かなり楽だった。でも、人間らしい思いをすべて保って解呪しようと思ったら、通う神経の一本一本まで力を籠めないといけなくて……私の力だけで、持ちこたえられるかしら?
ギリギリの線で攻防が続いて……それでも、なんとかなりそうだ。まるで安山岩から削りだしたように見えていたモノクロームの石像に徐々に色彩が戻る。そして全体に柔らかさが戻り、バランスを失って倒れんとした令嬢の身体を、クララが心得て抱きとめる。
「ティアナっ!」
いち早く、クラウス様が駆け寄る。伯爵様もうずうずしているみたいだけれど、お婿さんに遠慮しているみたいね。そして、ティアナ様の白いまぶたが、ゆっくりと開かれる。
「あ……っ、クラ……ウスさ……ま」
「ティアナ! 私がわかるのかっ!」
「ええ……私は……クラウス様の妻……ですもの」
「くっ……」
クララの腕からティアナさんの身体を奪い取り、後は言葉もなくひたすら抱き締めるクラウス様。うん、良かった……ものすごくいい仕事をした気分、とっても満足……でも、さすがに力を、使い過ぎたかな……?
「ロッテ! 危ない!」
ヴィクトルの声が聞こえたような気がするけれど、私の記憶はそこで途切れた。
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