第106話 魔獣に恋するということ

「ねえ、ヴィクトルの誕生日って、いつなの? 教えて?」


 そうなのだ。私はヴィクトルの誕生日を知らないんだ。クララもビアンカも、カミルの誕生日もみんなでお祝いしたのに、ヴィクトルだけまだお祝いしてあげていないの。だから次は、彼の番よね。


「うん? 俺の? 誕生日なんて、わかんないよ」


「わかんない?」


「そうさ。だって俺達の社会には人間と違って暦なんかないんだから、季節ならともかく日付なんか気にしていないよ。生まれたのが初夏の頃だってわかっているだけだよ」


 あ、それもそうね。誕生「日」なんて、サーベルタイガーには意味がないのだった。じゃあ、こんどの夏が来る前に、どっかでお祝い会をしないとね。日付は、テキトーでいいわ。


「そっか……ん? あのさ……今ふと思ったんだけど、ヴィクトルって何歳なの?」


「うん? ああ、生まれてから四十……二年かな?」


「えっ? あっ、そか……ヴィクトルは、すっごく年上だったんだね……」


 うわっ、ちょっと内心、ショックだわ。人化したヴィクトルは、二十代半ばを少し過ぎたくらいの見た目で……私もそのくらいの若い男性相手という感覚でお話ししていた。それが実は四十過ぎの……おじ様だったなんて。


「いや、あのさ……確かに、四十年とか生きているけど、俺達サーベルタイガーの寿命は二百年を超えるんだよ。俺の親父……族長だって百五十歳で、あと百年は生きるとか言ってる。だからうちの森では、俺は間違いなく若者扱いだったんだけど……」


 私がドン引きしたのを感じ取ったのか、ヴィクトルがやたらと若者アピールをしてくる。まあ、そうよね。上位種魔獣の寿命を考えたら、確かにまだ若いわよね。


 だけど次の瞬間、私はあることに気付いてしまった。


 魔獣の王であるヴィクトルは、あと百年以上……ひょっとしたら二百年は生きる。もし私が、ヴィクトルの向けて来る真っ直ぐな想いに応えたとしたら……彼の生涯のうちどれほどの時間、私は彼に寄り添えるのだろう。


 人間族の私はよぼよぼになるまで運良く生きられたとしても、あと五~六十年がせいぜいのところ。そして、私が彼をどきどきさせることができる若さを保てるのは……よくてもあと十数年。私が老いて可愛くなくなっても、律儀なヴィクトルなら憐れんでそばにおいてくれるかもしれないけれど……ちょっとそれは、悲しすぎる。


 やっぱりダメだ。私はほんの短い間だけならヴィクトルに幸せをあげられるかもしれないけれど、彼の長い長い残りの生涯を、縛ってしまう。そっか……魔獣と恋するって、こういうことだったんだ。


 いけない、今日はわたしのお祝い、ネガティヴに考え込んでいたらみんなが変に思うわ。明るくいかなきゃと平静を装ったけれど、クララには気づかれていたみたい。気遣わしげな眼を向けられて、少し胸が痛んだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ロッテ様、何を考えておいでですの?」


 翡翠色したクララの澄んだ瞳が、私を真っ直ぐに見つめてくる。心の奥を見透かされそうで、私は思わず視線を外してしまう。


 みんなが寝室に引っ込んで、私も寝もうかとした頃、手際よくテーブルを片付けたクララが、なぜだかキルシュヴァッサーの……サクランボのブランデーのことね……瓶とグラスを二つ持って来て、自然に女の子同士の二次会になってしまったの。


「うん? 何でも……ないよ?」


「何でもないはずはございません。天然が持ち味のロッテ様があんな切ないお顔をなされるのを見たら、お話を伺わないわけにはいきませんわ」


「だから、何でもないって言って……」


「ヴィクトルさんのこと、ですわね?」


「うぐっ……」


 ずばりと斬り込まれてしまった。そんなに私、わかりやすかったかな。


 はぁ~っ、もうバレちゃってるなら仕方ないか。グラスのキルシュをくいっとお口に流し込んで、覚悟を決める。さくらんぼの甘い香りと強い酒精が、のどにふわぁっと拡がって緊張を融かしていく。よし、恥ずかしいけど、話しちゃおう。


「あのね、クララ……」


 そして私はお酒の勢いを借りて、さっきから悩んでいたことをクララにぶっちゃけた。魔獣たるヴィクトルの生涯の、ほんの一部にしか寄り添えない短命な人間族の自分は、どうすればいいのだろうと。静かに聞いてくれているクララを相手に、一気にもやもやを打ち明けているうちに勝手に悲しくなってしまって、涙があふれてくる。


「私は嬉しいですわ、ロッテ様が新しい恋に眼を向けられるようになって……」


 そう言って、クララがいつもよりずっと優しい表情で私を見ているの。その眼が、穏やかな光をたたえて細められている。


「恋と言ったって……彼の気持ちに応えるのは、人間の私じゃ……」


「それは、彼の寿命がロッテ様より長いから、ということですの?」


「うん……だって、そうでしょう?」


「お互い、安らかに天寿を全うするという前提でならば、おっしゃる通りかもしれませんね。う~ん、そうですね……私の父と母が一緒に暮らした時の話をさせて頂いても、よろしいでしょうか、ロッテ様?」


 そうだ、クララのお父さんは魔狼で、お母さんは人間だった。うん、その話、すっごく聞きたいわ。

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