第107話 クララの両親
私の母は、騎士家に生まれた娘でした。
姉たる長女は花嫁修業もかねてリモージュ伯爵家にご奉公にあがったのですけど、次女の母は侍女勤めなどとても出来ない、かなりのお転婆娘だったようです。面白半分で父親の教えた剣術に天賦の才があったようで、本格的に修練を積んだ後は、並の男達など敵わない達人級の腕前になりました。ほら、以前私がお見せした剣気をとばす術……あれは、母から教えられたものなのですよ。
そして、母はその剣術を恃んで、旅商人の用心棒などをやって暮らしを立てるようになりました。母の実家は領地持ちでもなく裕福ではありませんでしたから、いずれにしろ稼ぎに出ないといけなかったわけですね。母も一応は令嬢としての教育を身に着けてはいたのですけれど、社交で伴侶を見つけたり侍女奉公に出たりするよりも、剣術で身を立てる方が性にあっていたようなのです。
東はバイエルンから西はサラゴサまで……商人と共に大陸中を旅したのだそうです。旅の話をするときの母は、とっても活き活きとしていました。よほど楽しかったのでしょうね。
でも、護衛を雇うということは、襲撃の危険があるということです。旅の生活が二年ほどになった頃、深い森に刻まれた街道を進む商人の隊列を、一団の盗賊が襲いました。
用心棒たちは不意を突かれながらも勇戦しました。しかし多勢に無勢で次々討ち取られて……気が付くと立っているのは母だけになっていたそうです。肩に矢が突き立ち、動きが鈍くなったところにふくらはぎを切り裂かれ、動きを封じられてしまいました。母は若くて、肌は抜けるように白く、そして目鼻立ちは涼やかで美しかったですから……盗賊達はたっぷりとその身体を楽しむつもりで、生け捕りにしようとしたのでしょうね。
もはや母は覚悟を決めました。好色な眼で近づいてくる賊を二人、剣の間合いに入る前に剣気を飛ばして倒したのです。そんなことをすれば、殺されるだけだというのに。下品な男にもてあそばれるくらいならば、斬られる方がましだと思ったんですって。
予想通り、怒り狂った賊達が、好色ゆえの手加減をかなぐり捨てて迫ってきて……母は一人を斬り捨てたものの大腿に一太刀を浴び、バランスを崩して倒れました。賊が一斉に殺到してのしかかられて……。
その瞬間、母に馬乗りになって剣を振り下ろそうとしていた賊が不意に吹っ飛んだのだそうです。まわりを取り囲んでいた十人ほどの賊も、二十を数える間に打ち倒されるか喉を裂かれて、地に転がりました。そして……最後にうっそりと立っていたのは、とても雄々しい、暗灰色の狼。
ああ、これで私の人生も終わりか……そう思ったのを最後に、母は気を失ったそうです。
◇◇◇◇◇◇◇◇
太腿が暖かく濡れる感触で、母は意識を取り戻しました。見れば大きな獣が自分の左脚に覆いかぶさり、何やら大腿のあたりを懸命になめているところ。
驚いて身じろぎする母に気付いた獣は、すっと身を引いて離れた位置に座り、じっと見つめていたそうです。そして母が気づくと、肩の矢傷もふくらはぎの刀傷もなく、先ほどまで獣がなめていた大腿の深い傷さえ、半ば治りかけていました。
「あなたが……助けてくれたの?」
母は、暗灰色の獣に呼びかけました。獣は、賊たちを残らず打ち倒した、あの大きな狼。狼は母の言葉がわかったのかどうか……それでも小さくうなずいたのだそうです。周りを見ればそこは広い洞穴で、狼は自分の住処に母を連れてきたようでした。母が警戒を解いたのを見るや、また近付いて傷をなめ始めて……見る間にその傷はふさがってゆきました。
「この力は癒しの魔法……あなた、魔狼なのね?」
また狼が小さくうなずいて、今度は母の横に自分も寝そべって、その柔らかな毛並みが覆う身体で、ふわっと包み込んでくれたんですって。その暖かい安らぎと激しい疲労が合わさって、母はあっという間に深い眠りに誘いこまれてしまったそうですわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、母と魔狼は、森の洞穴で一緒に暮らすようになりました。
言葉は通じなかったけど、すぐにお互いの考えていることが何となくわかるようになったんですって。昼には協力して妖魔や獣を狩り、時には母が魔石や毛皮を人間の街に売りに行っては、代わりに人間らしい生活に必要なあれこれを購ってきます。そして夜には二人抱き合って眠り……そうやっているうちにいつしか母のおなかに新しい生命が、そう、私が宿ったのです。
癒しの力をもつ父の助けもあり、母は洞穴で無事に私を産みました。そして二人で、私を本当に大切に……慈しんで育ててくれたのです。父は私に狩りのスキルや癒しの業を教えてくれて、母は優しくも厳しく、料理や裁縫、そして剣術、加えて上流社会の人間に必要な知識やマナーを手ほどきしてくれたのです。ロッテ様の侍女が私に務まったのは、母のお陰なのですね。
だけどその幸せな生活は、私が九歳の時に終わりました。母が……あんなに丈夫で強かった母が、病に冒されたのです。身体の中で徐々に変異がおこり、それが成長して肉体を侵していくこの病には、父の癒しも通じませんでした。だんだん弱って長距離の移動が難しくなり、その上ときどき薬師のもとに通わねばならない母のために、私達は街に近い森の小屋を借りて移り住みました。それが悲劇の始まりだったのです。
父は人間の眼に触れぬよう、昼は森の奥深くで獲物を狩っては、夜になるとこっそり私と母の元を訪れることにしていました。しばらくはそれで何とかなっていたのですが……母の美しさがこの場合不幸のもとだったのです。街で母を見初め、人気のない森の一軒家に暮らしていることを知った一人の男が、夜陰に紛れて私たちの家に忍び込もうとして……狼の姿である父を見つけてしまったのです。
夜這い男は街に逃げ帰り、狩人達を募りました。魔狼の毛皮は王都の貴族が争って珍重し、傷がなければ二百エキユにもなろうという貴重品ですから。しかし相手は上位種の魔獣、本職の狩人だけでは力が足らず、ならず者の剣士たちも仲間に加えて。
夜這い男の存在に気づいていた父は、当然その襲撃を予想していました。私達を森に逃がし、一人狩人達に立ち向かって……圧倒したのです。瞬く間に狩人達は全滅しました。
しかし、同行してきたならず者剣士達は、狩人よりはるかに狡猾でした。私と母が家に居ないと見るや徹底して周辺の森を捜し、藪に隠れた私達を追い立てたのです。母の剣術は本来のコンディションであればならず者などに負けはしないはずでしたが……病のせいで吐血して隙ができたところを突かれて敗れ、私と共に捕らえられました。
私の首筋に剣を突きつけたならず者が薄ら笑いを浮かべて父に近づくと、誇り高い魔狼であったはずの父が……抵抗をやめ耳と尾を垂れました。魔獣にとっては、自らの命よりもなによりも、家族が第一なのです。
そして父は、惨殺されました。眼に剣を突き込まれ脳を刺し貫かれて殺された後、私達の眼の前で生皮を剥がれたのです。
さすがに母と私は殺されず、そのまま打ち捨てられました……人間を殺せば犯罪になりますからね。そして私達はリモージュ家に奉公していた母の姉を頼り……そこで、一生仕えるべきご主人たる、貴女様にお会いしたのですよ、ねえロッテ様。
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