第104話 消えたアルノルトさん

「アルノルトが、消えた」


 順調だった私達のスローライフにさざ波がたったのは、ヴァイツ村から伝達兵の長として来た騎士ダニエルさんの、この言葉からだった。


「消えた、とは?」


 私は思わず反問する。捕まったとか死んだとか出ていったとかじゃなく、「消えた」って何なのよ。もちろん彼が危ない調査をしているのはわかっている私達だから、ログハウスの中にぴりっと緊張が走る。


「文字通り、二週間前に突然『消えた』んだ。ある朝を境に勤務にも食事にも出てこなくなって、私室を見に行ったらすべての荷物がなくなっていた。他の基地へ異動の辞令が出たわけではなく、ある日唐突にいなくなったというのに、司令官以下、駐留軍の幹部たちはまるで何事もなかったかのように振舞っているんだ。まるでアルノルトなんて奴は最初からいなかったかのようにな」


「いや、しかし、『あいつはどうなったんだ?』ってくらい聞く奴はいなかったのか?」


 ヴィクトルも疑問を呈する。


 彼は最近、人化している時間の方が長くなっている。やっぱり、私やカミル以外の人と意思が通じないのは、何かと不便だもんね。もともとの魔力量が多いからできることなんだけど、定期的に添い寝で魔力補充もしてあげている。


 金色の眼が怪訝そうに細められるのを横に見て、こういう顔も素敵だなとか思ってしまう私……いやいや、今はそういう場合じゃないんだって。どうもヴィクトルが私に好意を持ってくれているのがわかって以来、何かの拍子につい彼を意識してしまう、いけないいけない。


「ああ、思い切って聞いた奴は、確かにいた。ただそいつはその翌日に別の基地へ転属を命じられて、後はもう連絡もつかない有様さ。それを見た他の奴らはもう怖くなってしまって、上の連中にアルノルトに関することを何も聞けない状況になっているんだ」


「基地の上層部がすべてグルになって、コトの隠蔽を図っているということですの?」


 みんなにお茶を淹れてくれながら、クララがいつものクールな表情で口を開く。そのグレーの髪がさらっと揺れて、翡翠の瞳がきらりと光る。


「たぶん、そういうことなのだと思う。アルノルトの嗅ぎ付けた例の不正は、基地上層部が総ぐるみで行っているのだろうね。だから、なりふり構っていられないのかな……」


「そういうことなら残念だけど、もうアルノルトさんは消されちゃってるということなのかな」

「あらカミル、そうとは限らないわよ。捕まって幽閉されている可能性だってあるわけだし……」


 いきなり不吉な予測をしたカミルを、ビアンカがたしなめる。


 十一歳になったカミルは、ぐっと背が伸びた。桜色の頬はまだまだ美少年って印象だけど、暇さえあれば身体を鍛えていて、どんどんたくましくなってきて……急速に青年に近づいてる感じなの。


 ビアンカも十三歳、亜麻色の髪を揺らすほんわか美少女って基本線は変わらないけれど、さすが成長期。もう背丈は私と同じになって、胸は……言いたくないけど私やクララより、確実に大きい。なんだか世の中、不公平よね。


 いやいや、そんなこと考えてる場合では、なかった。


「まあ……この状況だからな、生きている可能性は、高くないだろうな」


 視線をテーブルに落とし、声を低めるダニエルさん。とても仲良しだったみたいだし……それはショックよね。でも私、アルノルトさんは死んでいないと思うの。


「あの……彼が上層部の人達に捕まったんだとしたら、今も生かされている可能性の方が、高いのではないかと思うのですが?」


「どうしてそう思うんだい、『黒髪の聖女』様? あの連中にしてみれば、さっさとアルノルトの口をふさいでしまった方が、安心なんじゃないか?」


「そうでしょうか? アルノルトさんは相当の覚悟をもってこの不正調査を始めていました。だから自分に何かあった時のことを考えて、私達のところにも事実を伝え、証拠資料を一部預けて下さってましたよね。不正を行っている者達も、当然それを想定しているでしょう。私が首謀者だったら、アルノルトさんが情報を流した先を全部吐いて、そこを全部押さえ切ったことを確認するまで、彼を殺したりはしません。拷問は……するでしょうけど」


 あまり愉快ではない想像だけど、あえてそこも口にする。おそらくは厳しい拷問を受けて……それでもアルノルトさんはしゃべっていないはず。だって、あの連中がまだ、この村に押し掛けて来ていないのだから。


「くっ……すぐにでも助けなければいけないところだが……」


「さすがに千人からの兵が詰めている基地の中となると、私達にはどうにもできません。せめてどこに監禁されているかだけでも、つかまないと」


「確かにそうだが、今もアルノルトが身の毛もよだつ拷問をされていると思うと……」


「お気持ちはわかります。ただ、捕らえられて二週間ということになると、すでに激しい拷問の段階は、終わってしまっていると思います。あとは長期監禁して気力が衰えるのを待つか、家族や恋人など大切な人を襲うとかさらうといった、からめ手から脅すかでしょうね」


「聖女様は時々、怖いことを言うな……だが、的を射ていると思う。さすがは陰謀渦巻くと言われるロワール宮廷におられた方というべきか……」


「いえ、自分に対する陰謀にはまったく気付けなかったので、こうやって追放されてしまったわけですから」


 思わず自虐的なセリフを吐いてしまい、話を振ったダニエルさんがちょっとしょげている、反省。うん、そういえば、一番経験のありそうな相談相手がいるし、聞いてみよう。


「ねえグルヴェイグ、どう思う?」


(うむ、そなたの推定、概ね正しいじゃろう。今頃は、地下牢にでも閉じ込められておるじゃろうの。妾も危ない主に多く仕えたゆえな、地下牢での拷問などについては経験豊富での、まずは二百と三十年ほど前……)


 うん、もうわかったよ。ロクな経験じゃなさそうだから、言わなくていいよグルヴェイグ。でも、人間の抱く敵意に関しては、彼女……グルヴェイグが一番、情にとらわれない的確な判断が下せるはずだから、私の推定はそれほど外れていないはず。


「やっぱり、アルノルトさんが基地のどこかに捕らわれている前提で考えた方がいいと思います。ダニエルさんには無理しない範囲で監禁場所を探って頂くしかないかと。地下牢のようなものがあるのではと考えていますが。あとはアルノルトさんに近しい方の安全をどう確保するかですが……」


「ああ、奴は実家の子爵家とはほとんど絶縁状態で顔も出してないし、付き合っている娘もいないから、そこは大丈夫だ。おっと、あまりゆっくりしていると眼をつけられてしまう……今日はこれを持ってきた、君に預ける」


 ダニエルさんが取り出したのは、紐を通して綴じられた書類の束。


 パラパラとめくってみると、各村から徴収した「保護税」の目録、商人に売却した取引の明細、利益の分配状況……司令官や商人、そして受け取った貴族らしい方のサインまであり、配布リストには司令官のものらしき指示事項が直接書き込んである。先日ワインの箱に忍ばせてあった書類より、はるかに詳しく、ヤバい内容だ。


「アルノルトが基地の片隅に埋めて隠していたものだ。自分に何かあったら、これを聖女に託すようにと、前々から言われていたのでな」


 うわぁ、それ、私に来るんだ……さすがにこれはちょっと重たいわ~。気楽なスローライフが、どんどん遠くなっていきそう。でも、受け取らないわけには、いかないわよね。


「お預かりします。とはいっても私達の手元に置いておくといろいろ危ないので、信頼できる筋に送って保管してもらうことにしますね」


 まあ、ようは姫騎士マーレの実家……ハイデルベルグ家に送るわけだけれど、ダニエルさんにそれを伝える必要はない。知ってしまったら、むしろ彼の危険を増すだけだからね。


 この先に待ち受けるであろう面倒ごとをあれこれ想像して、私は深いため息をついた。肩に止まったルルが、不思議そうに私の顔をのぞきこんでくる。ありがと、心配してくれて。


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