第87話 もと聖女ですからっ!

 腕を骨折した人に対しても、おおむね同じような結果が再現された。


 最初は驚きからがっつり引いていた村人たちも、今度は素直に喜びを表してくれる。


「これが聖女様の力ってやつか!」

「これはすげえ! こんなの初めて見たよ!」

「ありがとうよ……父ちゃんの腕が動かないとウチは暮らしてゆけなかったよ……」


 捻挫を癒やすのはどうってことなかったけど、骨折はかなり精神力を使うから、疲れちゃったな。でも喜んでもらえてよかった。


「聖女様……聖女様の力でローラを治して頂くわけにはいきませんので?」


 一人のおじさんが遠慮がちに、だけど強い意志を眼に浮かべて切り出す。


「ローラさん?」


「先ほど申し上げた、毒刃にやられた者です」


 村長さんがフォローしてくれる。


「あ、ごめんなさい。ゴブリンの毒はとても強力で……私の『聖女の力』では癒やせないのです」


「やはりそうですか……残念です。ローラはうちの娘を逃がすために踏みとどまって、ゴブリンの刃を受けてしまいました。あんな優しい娘を失うのは……うちの娘も含め村の子供たちが、ローラの狐耳をからかい嘲ってきたというのに……」


 え、ちょっと待って。


「おじさん! 今、狐耳って言った??」


「そうさ、ローラは妖狐のクオーターだから、耳と尻尾があるぞ。こんな田舎だ、大人ともなれば獣人も人間も差別なく仲良くやっているが、子供は時々容赦がなくなるからな……」


「くっ、すぐそのローラのとこに連れていって! すぐよ!」


 ああ、しまった。毒にやられたのが獣人だなんて思いもしなかった。聖女の力ではゴブリンの毒に抗えないけれど、獣の血を引いている者ならば、私の紫の魔力で癒やせるかもしれないのに。捻挫の治療なんかで時間を使っている場合じゃなかったわ。


「聖女様を連れて来たぞ!」


 とある小さな鍛冶工房の奥に、ローラという娘は寝かされていた。すでに顔色は限りなく白く、呼吸は浅く脈は弱い。でも、生きてる、可能性があるならがんばるしかないわ。


「聖女様、ローラ姉ちゃんを助けて!」


 ベッドの傍らで泣いていた子供たちが真剣な眼で見上げて来る。狐耳をバカにした子って、この子たちなんだろうな。でも、すこしだけこの子たちの気持ちはわかる……気になる年上のお姉さんに、構って欲しくて………自分の方を向いて欲しかったんだよ。


「うん、出来る限りのことはするわ。任せてね」


 手早く服を脱がせて傷口を覆う包帯もほどく。肩から背中にかけて斜めに横切る、粗末な刃物で切られたらしいいびつな傷が痛々しい。私は時間を惜しむように彼女の傷口に唇をつけ、あとはひたすら、なめた。なめながら自分のシャツを脱いで、ローラの背中に素肌をくっつける。少しでも私の魔力が伝わるように。


「殿方は遠慮してくださいませ!」


 クララが村長以外の男を部屋から追い出してくれる。ありがたいと思うけれど、今の私は恥ずかしさを感じている余裕もない。とっかかりが遅れた分全身に毒が回りきっているローラの生命力を呼び戻すことができるのか、私にもわからないんだもの。


「あっ、傷が治っていくわ!」


 村の女性が驚きの声を上げている。そう、私がひたすらなめている傷口は、徐々にふさがりつつあった。だけど胸の鼓動は、弱いままだ。このままではマズいわ、ふさがった傷をなめ続けても、獣を癒す「体液交換」にはならないから。


 私はローラを仰向けにすると、今度はその唇に私のそれを重ねた。そして彼女に唾液を注ぎ込むように意識しつつ、ひたすら口づけた……お願い、戻ってきて。


 どのくらいの時間がたったか、わからない。気が付くとローラの脈拍は規則正しく戻り、その頬にわずかに血色が差している。私になされるがままだった彼女の舌も、無意識なんだと思うけど、何かを求めて動き始めている。


「ぷはぁっ! はぁ……たぶん、これで、大丈夫ではないかと……」


 獣系向け限定の癒し業を終えたつもりの私を、村の女性と村長さんが、眼を丸くして見ている。


「む……聖女殿。ただ今ローラに施して頂いた業は、教会が推奨するものとは、とても思えないものなのだが……」


 ええ、おっしゃりたいことはわかりますわ、村長さん。いくら何でもおカタい教会が、血をなめるとか唾液を飲ませるとか、奨めるわけないわよねえ。


「これは聖女の力ではなく、私個人の血がもたらす力なのです。私には魔獣と意思を通じ、魔獣の血を引く者の傷を癒し、その力を増幅させる力が、生まれつき備わっているのです」



「なるほど……西教会の中枢に居づらくなるはずですな。風の噂に聞いておりました、異端の聖女シャルロット様と。魔獣を強化するとか癒すとかいう件については、初耳ですが」


 あは、ばれてら~的な。仕方ないわよね、こうなったら下手に隠しても印象悪くなるだけだし、ぶっちゃけちゃおう。


「う~ん、バイエルンの東端まで来れば、ロワールでの悪名も届いていないかと思ったんですが、甘かったみたいですね。名前も変えたのに……」


「いや、シャルロットとシャルロッテじゃ、変えてないのと一緒ですよ」


 が~ん、村長さんにダメ出しされてしまった。まあそこはおいといて、私はここにたどりつくまでの経緯を、ほとんど隠すことなく彼に話した。あの変な王子に絡んでしまったことも含めて……王子が報復するために手の者を送ってこないとも限らないから、一応ね。


「ああ、あの困った殿下ですな。そこは王都にでも行かれない限りご心配はいりませんよ。それにしても、聖女様の経歴はすごいですな……数百のゴブリンや魔剣持ちを倒し、コカトリスやサーベルタイガーが付き従っていると。ベルフォール辺境伯の陞爵はバイエルンでもいたく話題になりましたが、そこにまで関わっておられたとは……」


「いえ、私自身はまったく戦う力がございませんの。この通り、強い仲間がたくさんおりますので、彼らの力です。それに、ロワールでのあれこれは、姉の力が大きく……」


「西教会の大聖女、レイモンド様ですな。あのような尊い方を姉君に持たれながら、聖女様は謙虚ですなあ」


 あれ? 大聖女? いつの間に? 


「姉君は、先ごろ『溢れた』迷宮の封印に成功されたそうではないですか。それを讃えての『大聖女』称号付与だと聞いておりますよ」


 私の微妙な表情に気が付いた村長さんが教えてくれる。そうか~、姉様は大聖女になられたのか、嬉しいな。その称号自体には興味がおありでないでしょうけど、四十年以上空席だった「大聖女」の権力は枢機卿より大きく、いろんなことができるようになるわ。姉様は腐った教会を変えるために、その力を振るわれるはずよ。


「それで、このあたりに落ち着くところをお探しということでしたな。であれば、ぜひ当村に住まって頂くわけにはいきませんかな。先ほどの襲撃はちょっと珍しい規模でしたが、ここは森が深く、妖魔の出現も多く村人が襲われることもよくあるのです。皆さんのような能力の高い冒険者の方々が常駐して下さるなら我々も安心、貴女方も討伐報酬がたっぷり稼げると……ご検討お願いできませんかな?」


「お申し出は願ってもないことですけど、お話した通り私達を狙う者がいないわけではありません。ご迷惑をおかけするかも知れませんけど?」


「皆さんが居て下さるという大きなメリットに比べれば、リスクは小さいですな。それにこうやって、私達には助けられなかったローラを眼の前で救って頂いた。この恩は、お返しせねばなりますまいよ」


「嬉しいです。だけど、数日ほどこのあたりの森を見てから、決めてもいいでしょうか?」


「それは勿論のこと。深い森がご希望ということであれば、きっとお気に召すと思いますが」


 うん、私は、ほとんど気持ちを決めていた。この村に住もう。


 もちろんクララ達みんなに相談してだけど、反対はしないと思うんだ。だって、こんなにワケありだって全部話しちゃったのに、受け入れてくれると言うんだもの。


「村長さん! 私達をこの村に住まわせたいなら、そのご丁寧な話し方をやめて下さい。最初のフランクな話し方でお願いしますね」……


「あ、はあ。よろしく検討してくれ、頼む……」

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