第75話 コカトリスのお母さん

 バイエルン国内で出来るだけ東に向かって、どこか小さな村の近くで、あまり人手の入っていない森を探して、根拠地をつくる。面白いものではないけど、それが結論。


 だから三日ほどは、人里から離れた森の中を進む。日当たりが悪くてひたすら木しか見えない陰樹の森で、ヴィクトルの背に揺られるだけの旅は退屈だけれど、贅沢も言っていられないわね。


 唯一の楽しみは、夕方からのキャンプだ。ちょっとだけ見通しが開けて湿気の少なそうなところにテントを張って、焚火を囲んでみんなでお食事。こないだインチキ渡し船の小屋からクララがくすねてきた黒パンとかジャガイモなんかがあるから、炭水化物大好きな私も、楽しくお食事できるわ。


 そして、私とクララと人化したヴィクトルは、ハムをつまみながらお酒をちょっぴりいただくの。ええ、私は十六歳、成人だから、お酒も飲めるのよ。クララがかっぱらってきたお酒は蒸留酒……いわゆるジンだから、ちょっと私には辛すぎるのだけど……これを少しだけ飲んでほんわかした気分でいろんなお話をして……気持ちよく眠れるの。


 寝ぼけ眼の私の頬を、クララが何やら冷たく濡れた布でぽんぽんしてくれる……なんでも焚火にあたっていると、お肌が乾燥して美容によろしくないのですって。もう私は貴族籍を外れているから夜会やお茶会に呼ばれることなんてないのだし、お肌なんか気にしなくてもいいのに……いつまでもお嬢様扱いしてくれるのよね、クララは。


 そんなこんなで、国境を越えて四日後……旅を続ける私達は、森のはずれでウロウロしながら心配そうに街のほうを見つめる、おかしな魔獣を見つけることになったのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 それは、鳥みたいな姿の魔獣だった。


 ちょっと見は、大人の男性より背が高い、巨大なニワトリ。だけどよく見れば、その尾は蛇のように長く伸び、羽根ではなくつややかな鱗をまとっている。


「あれは?」


(ああ、あれはコカトリスだね。ロワールにはいないけど、バイエルンにはポツポツ生息しているんだよ)


「え、コカトリス……」


 ヴィクトルの念話に応えた私の声を聴いて、クララとビアンカが背筋を硬くする。


「ロッテ様、逃げましょう! 石にされてしまいますわ!」


 クララが慌て始める。そう、コカトリスはその視線の力で、生物を石に変えてしまう力があると言われているのだ。


「う~ん、たぶん大丈夫なんじゃないかな? 石化の業はかなりの魔力を必要とする、一発芸だと聞いてるよ。俺達が余程危険を感じさせるような怪しい動きをしない限り、やたらには使わないはずだけどな」


 それより、あの心配そうな様子が気になる。


 コカトリスの見つめる先には、小さな街……私達にとっては久しぶりの、人が住む街が広がっている。聖女の修行で習った知識によると、コカトリスは恐ろしい石化や毒液の業を持っているけれど、積極的に人を襲ったりはしないし、そもそも人里になんか近寄らず、自分の巣を守るだけの穏やかな魔獣であったはず。きっと、何か異常が起こったのよね。これは……話してみるしか、ないかな?


 すっと前に出る私を心配そうに見つめるクララ。大丈夫、無茶はしないから。


「どうしたというの、コカトリス? こんな人里まで出て来るなんて、何かあったの?」


 声を出しながら念を送る私。魔獣と話すだけなら声はいらないけれど、クララやビアンカにも聞かせた方がいいからね。


(我が子……可愛い我が子が……)


「えっ? あなたの子供が、あの街にいるの??」


 いや、いくらコカトリスが穏やかな性質の魔獣だと言っても、街の人が飼うってのは、絶対なしでしょ。


(いや、人間の娘よ。我が愛しい子供が宿る卵が、あの街にいる悪しき人間に、盗まれてしまったのじゃ……)


「なんですって? コカトリスの卵を盗むなんて大胆なことする人間がいるの?」


(我々の抱卵は長い、その間飲まず食わずとはいかぬ。少しだけ巣を離れて狩りをしておる隙に、いまいましい人間が我が卵を持ち去ったのじゃ……)


「何のために? あなた達の卵じゃ食べることもできないし、コカトリスの子を飼うことなんて、人間には無理よ?」


(人間、特に冒険者とかいう連中は、我々を目の敵にしておる。我々を根絶やしにするつもりで、卵を奪ったのではないか?)


「ねえ、それは多分違うと思うわ。コカトリスの繁殖を防ぐだけならば、その場で卵を壊してしまえばよいこと。危険を冒してわざわざ持ち去ったのだとすれば、何か他の目的があるはずよ」


(む、確かにそうかも知れぬ……しかし、何ゆえ人間が我が卵を欲するのじゃ?)


(コカトリスの姉さん。君達の卵は確か……大きくて、石のように硬いよね。そしてその外殻が、美しい虹色に輝いているはずだったね?)


 念話に割り込んできたのは、ヴィクトルだ。


(そうじゃが……)


(人間は、それを卵ではなく、綺麗な石だと思って持って行ったんじゃないかな?)


「あっ、そうかあっ!」


 ヴィクトルの推理に、私は思わず手を打った。そうだ、虹色に輝く大きな石なんて見つけたら、人間ならだれでも自分のものにしたくなるだろう。コカトリスの卵なんて見た人間はほとんどいないから、卵と気づかずその美しさだけに魅かれて持って行っちゃったんだ。


「だったら、ちゃんとその人間に説明して、返してもらおう? ねえ、コカトリスさん……貴女が街に行ったら大騒ぎになるから、私達に任せてくれない? 無事に貴女の卵が戻るように、全力を尽くすから」


(良いのか? それは、有難いのじゃが……我も人間を襲うことは避けたいからのう……)


「ロッテ様! またそうやって危ないことに首を突っ込まれるのですか!」


 あっ、またクララを怒らせちゃう。そうだよね、クララは何よりも私の安全を最優先してくれる。でも、コカトリスのお母さんも、放っておけないよ。


「ごめんクララ。また迷惑かけちゃうけど、助けられるのは私しかいないよ。このままじゃ、コカトリスが街に突撃することになる……みんな不幸になっちゃうよ」


 はぁ~っと、クララのため息が聞こえる。


「相変わらず流されやすいお嬢様ですね、ロッテ様は。でも、そういうところも含めて、私達はロッテ様をお慕いしておりますわ。承知いたしました、私はロッテ様のご意思に従います」


 あきれたようなクララの声に、恐る恐る彼女の顔色をうかがう私。でも、クララが私を見る眼は少し細められて……とっても優しい色をたたえているの。まるですべてを許してくれたかのように。


「そうと決まったら、みんなで一緒に行こうよ。ロッテお姉さんだけ行かせるわけには、いかないからね」

「もちろんです。私も、お姉さんのお供、させて下さい……」


 カミルとビアンカが上目遣いで見つめてくる。


(もちろん、俺も数に入ってるよな?)


 うんヴィクトル、もちろん……もちろん頼りにしてる。


「ありがとう、みんな……じゃ、卵が無事なうちに、早く行こう」


 じわっと湧いてくる涙をごまかしながら、私は出発を告げた。

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