第56話 ヴィクトルを助けて
魔剣持ちが斃れたことで、形勢は一気に私達の方に傾いた。騎士様たちが傭兵をあらかた討ち取り、戦意を失った最後の三人ほどを捕虜としたところで、戦いは終わった。
だけど、だけど……魔剣の一突きを受けたヴィクトルは、今は立ち続ける力も失って、地面に力なく横たわっている。吐いた血の量はおびただしい。
そしてその致命傷は、私を守るために負ったものだ。私なんかを助けるために。
「ヴィクトル、ねえヴィクトル、しっかりして。私の魔力だったら、いくらでもあげるから……」
そう、私はクララやカミルを癒したときのように、ヴィクトルの巨躯を背中から抱き締めている。確かに、私からヴィクトルに「何か」が流れていく。だけどその流れは極めてゆっくりで、失われつつある彼の生命をつなぎとめるには、あまりに頼りない。
「なんで? なんでヴィクトルの時には、うまくできないの?」
(獣人達のほうが、人間であるロッテの力を受け取りやすいのかもね。それは仕方ないことさ、ここで死んだって、俺は君を守ることができて満足だよ)
密着したもふもふからヴィクトルの鼓動が伝わってくるけど、それがだんだん、少しずつ少しずつ弱くなっていくの。
「何言ってるの! 死んじゃやだ、やだ、いやなの!」
だめだ、また私は、泣いてしまう。泣いても何も解決しないのに。そう思っているのに、涙は勝手にあふれちゃうんだ。そして私が流した涙が、つややかな毛皮の表面を滑って首筋の傷口に触れた時……ヴィクトルの鼓動が、少し強くなったような気がした。
「ヴィクトル?」
(うん? なんだか少しだけ、楽になったような気がする)
むむ? これは、もしかして?
そうすると、今やるべきことは何なんだ……考えるんだ、泣き虫のロッテ。
そして私は一つの結論に達して、ヴィクトルの首筋に……魔剣で突き刺された生々しい傷口に……唇を付けた。そして、かつてクララが私にしてくれたように、その傷口を、一心になめた。
「え? 何を? ロッテ様?」
「ロッテ嬢、一体どうしたんだ?」
「お姉さん?」
顔を血だらけにして、ひたすら傷をなめる私に、みんなが次々と戸惑いの声を掛けるけど、今はそれどころじゃないの。これが最後の、望みなんだから。
不意にヴィクトルが、もう一度大きく血を吐いた。あれ? もしかして、かえってマズいことしちゃった?
(ごめんロッテ、びっくりさせちゃったけど、この血はノドに残ってたぶん。不思議なんだけど、ロッテがなめてくれてから、どんどん気分が良くなっていくんだ)
そう、効いてるのね。ヴィクトルの念話に勇気づけられて、私はひたすらなめ続けた。顔面血だらけで獣をなめ続ける聖女……どんな物語にも吟遊詩人の叙事詩にも出てこない、奇抜な構図だわね。そんなことを考えられる余裕も、出てきちゃったよ。
気が付くと、血まみれの刺し傷をなめていたはずの私は、いつのまにかつやつやした毛皮の表面をなめていた。ん? 傷がない? もしかして、治っちゃった?
(もしかして……じゃなくて本当に、治っちゃったみたいだ。さっきまで血がたまって苦しかった胸も、もう楽になったし、刺されたところの痛みもないよ)
そして、ヴィクトルがゆっくりと起き上がる。その姿にも動きにも、致命傷を負わされた痕跡は、ない。
「ヴィクトルっ!」
私はヴィクトルの首に飛びついて……結局、また大泣きしてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「どういうことですの? なぜ『なめる』と傷が癒せるのですか?」
血まみれになった私の顔を一生懸命湿らせた布で拭いてくれながら、クララが言う。うん、その疑問は、もっともだよね。だけど私は、たぶんその意味がわかったような気がする、みんなにもわかるように、丁寧に説明しよう。
「うん。私の魔力は獣を癒すことができるよね。獣人だったら、死にそうな怪我でも、ひっついていれば勝手に魔力が流れ込んで、治しちゃったよね」
「そうですわね。私のときも、カミルの時も、触れていただけで魔力が癒してくれました」
「だけど、それは獣人だからなんだと思うの。半分人間である獣人は、魔力回路とでもいうのかな、魔力をやりとりする仕組みが人間である私と近いから、触れるだけで魔力がいくらでも渡せるんじゃないかしら。だけど魔獣は魔力回路の作りが全然違うから、触れているだけだと、魔力をゆっくりしかやりとりできないんだと思うの。だから、致命傷を受けて生命力がどんどん減っているようなときには、単純に触っているだけでは癒すことが出来ないのではないかしら」
「それは何となく理解できますけれど……なぜ『なめる』と魔力が速く渡せるのですか?」
「えっと……それはね。私の涙が傷に触れた時に、ヴィクトルの生命力がちょっとだけ回復した気がしたのね。それで、ふと思いついたの。私の『体液』を直接魔獣の身体に入れると、一気に魔力をあげられるんじゃないかって」
ちょっと表現が生々しくなって、ものすごく恥ずかしいのだけど、適切かつ上品な言葉が思いつかないので、こう言うしかないのだ。
「体液……ですか?」
「そう、涙で効くのなら、きっと唾液でも効くんじゃないかって。だってほら、クララとキスすると、添い寝するよりずっと速く、魔力を渡せるでしょう?」
「あ、そうですね。そうか、キスは唾液の交換とも、言えますわね……」
「だから、ヴィクトルの傷付いた身体に直接私の体液を……と思ったら、傷口をなめることしか思いつかなかったわけなの。死にかけてるヴィクトルにキスを迫るわけにもいかないし、ね」
いやだ、自分で言っておいて、どんどん顔が紅くなっていく。ほんのひと月前まで、可憐で清純な伯爵令嬢だったはずなのに、気が付くとずいぶん品のない発言をする娘になってしまったものよね。
「そうだったのですね。そうすると、ちょっと前にロッテ様がゴブリンの毒刃を受けた時に、私が『なめて』治ったのも、そういう仕組みなのでしょうか」
「う〜ん、そうかも知れないわね」
「それなら、早速お願いしたいことが……ビアンカ、いらっしゃい」
「あ、つっ……はいっ」
かなり辛そうな顔で近づいてくるビアンカ。気のせいか、上半身の動きがぎこちない。
「ロッテ様にお見せして」
「はい……」
次の瞬間、私は息を飲んだ。ビアンカの右掌には、深く焼けただれた太い一本の傷。そして、クララがブラウスを脱がせたその上半身には……まるでタスキのように胸を斜めに横切る痛々しい火傷。
「ビアンカっ! それは……」
「あ……魔剣を、抱いてしまいましたので」
そうだ。ビアンカが、敵の腕ごと魔剣をその身体で封じてくれたから、今の私達は生きていられるんだ。高位の魔剣は、それを持つ資格のない者が触れると、その者の身体を焼き、一生消えぬ傷を負わせるのだと聞いたことがあるけれど……。
「ご……ごめんなさい。まだ小さいビアンカにこんな辛い思いをさせて……」
「いいんですよ、ロッテお姉さん。お姉さん達は私とカミルを、救ってくれたんですもの。少しでも恩返しがしたかったの、役に立ちました……よね?」
う わダメだ、また私は泣いてしまう。なんでビアンカは、こんなにいい子なんだろう。こんないい子に、消えない傷を残すなんてダメだ、絶対治さなきゃ。
私はビアンカの右手をとると、その無残な傷口に、舌を這わせていった。
「あ、痛っ……でも、何だか気持ちいいです……」
何やらビアンカの台詞が微妙にえっちな感じがするけど、そんなことを気にしていられない。私は無心で、傷をなめ続ける。そして五分もたったころ……。
あれほど焼けただれていたビアンカの掌は、何もなかったかのように白く、滑らかでぷにぷにの、少女らしい肌触りに戻っていた。
「うわぁ、お姉さんの力、本当にすごい……」
「ヴィクトルさんの時も感心しましたけれど、こうやって眼の前で見る間に治癒するところを見てしまうと……驚くしかありませんわ」
「うん、びっくりだね」
みんなが口々に褒めてくれるけど、まだ終わっていないわ。ビアンカの綺麗なもちぷに肌に、一筋でも痕を残すもんですか。私はビアンカを抱き締めながら、左肩から右わき腹にかけて走る火傷を、また満遍なく「なめなめ」していくのだった。
「う~ん、治療行為だってのはもちろんわかってるんだけど、なにかイケナイものを見ているような気がしちゃうよね……」
「……くっ! 殿方はご覧になってはいけません! カミル、あなたもよっ!」
「はぁい……」
クララが、一同を叱って回る声が、背中に聞こえた。
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