第49話 迷宮を封印

 最終決戦の地下広間は、ものすごく大きかった。


 その広間一杯に、ゴブリンの群れ。おそらく四百はいるだろう。悪いことに、上級ゴブリンが三十体くらい混じっている。普通のゴブリンは集団戦以外では弱いけど、上級種は熟練の騎士様でも苦戦する相手だ。


 広間の奥に、禍々しい赤色のオーラを放つ石が置かれている。その周辺から、次々とゴブリンが湧いて出て来る、あれが元凶ね。元を断たなければ、私達の勝利はないわ。


「皆さん、お願いします!」


 姉様が右手を左胸、左手を右胸に当て、長い長い祈りを捧げ始める。「封印」は数ある聖女の業において最も難度の高いもの……ロワール王国の現存聖女では、姉様しか発動できる者がいないはず。その姉様でも、必要な精神集中を行うには、長い長い準備期間が必要なの。普通であれば、妖魔たちを兵士や他の聖女が排除した後に、落ち着いて行うべき業なんだけど、今は眼の前でどんどん妖魔が生成している状況だし……戦いながら、封印準備をするしかないのだ。


 最強聖女の姉様も、この準備の間は完全に無防備になる。数では圧倒的に劣る私達だけど、全力で姉様を守らないといけない。私自身は、ほぼ役立たずだけど。


 ヴィクトルが先頭を切って飛び出し、瞬く間に三体のゴブリンを引き裂いて、上級ゴブリンに体当たりしていく。続いて右に魔狼に変化したクララ、左にサーベルタイガーのビアンカが突進し、上級種を狙って挑んでいる。人間達……騎士様や義勇兵さんに負担をかけないようにしてくれてるんだね。騎士様達はビアンカ達がスルーした「下級の」ゴブリンを着実に討ち取って、姉様に近づけないようにしてくれて……打ち合わせしたわけでもないのに、魔獣組と人間組の連携がバッチリで、感心しちゃうわ。


 カミルは人間の姿のままで、ずっと私のそばで戦っている。どう見ても体格にそぐわない長さのロングソードを軽々と振り回しては、姉様と私にゴブリンの刃が届かないように、守ってくれている。男の子だから、前線に出て戦いたいんじゃないかと思うんだけど……本当に頼りになる、小さなナイト様なんだよね。


 それにしたって、敵の数が多すぎるわ。前線の戦いぶりは目覚ましくて……特にヴィクトルは、上級種を含めてもう三十体以上のゴブリンを葬っているけれど、敵の数が減った感じがしないの。倒れた仲間の死骸を踏み越えては前に出て来るゴブリンの圧力に、徐々にだけど私達は押されていく。


 騎士様の一人が、奮闘の末にゴブリンの刃を浴びてよろめくと、四~五体の敵が次々と彼に短剣を突き込む。仲間の騎士様が急いでゴブリンを追い払ったけど、もう彼は戦闘不能、おそらく一時間と持たず、死ぬだろう。聖女として戦った三年の間に、こういうシーンは何回も体験したのに……慣れることはとてもできない。毎回、絶叫したい気持ちを抑えるのに、精一杯。


 騎士様が脱落したすき間をついて、十体弱のゴブリンが姉様に近づこうとする。そうはさせるもんか……姉様の「封印」が完成するまでは、私が盾になっても、必ず守るわ。姉様から譲り受けた聖女の杖を半身で構え、姿勢を低くしてゴブリンに叩きつける。三体のゴブリンを跳ね返したところに、カミルが止めを刺す。


 続いて二体を打ち倒した私だけど、斜め横から接近する上級ゴブリンには気付けなかった。そして不意に私は横殴りの一撃を浴びて、石の床に倒れ込んだ。ああ、こういう戦いでは、倒れたら終わりだというのに。三体のゴブリンが短剣を私に振り下ろそうとしているのを見て、私は死を覚悟した。


「ロッテ姉さん!」


 聞きなれたハイトーンの声とともに、カミルの身体が私をかばうようにかぶさってきた。ゴブリンはその刃を容赦なくカミルに突き立てる。


「いやあああああっ!」


 私は絶叫してカミルの身体を抱き締めた。こんな形でカミルが死ぬのはいやだ。私の魔力を全部持って行ってもいいから、生きて欲しい。お願い、死なないで……。


 と……カミルの着ていたシャツのボタンがはじけ飛び、身頃が破れていく。これは……何?


 その身体が大きさを増すとともに、皮膚の表面は深紅の鱗に変わる。隠してた背中の黒い翼が大きく広がって……十を数える間にカミルは小型の竜、いや小型と言っても馬ほどの大きさはある、まごうかたなき竜の姿に変化した。


(人間達が驚くから、竜に変化したくなかったんだけど、ロッテ姉さんを守るためだからね。こうなったら、もう僕は自重しないよ)


「カミル!」


 私はカミルの首に飛びついた。泣いてる場合じゃないってわかっているけど、涙があふれて止まらない。カミルは私を横抱きにすると、ゆっくり姉様の隣に降ろして、ゴブリン達に向かっていった。


「うおおっ、あれは……火竜だ!」


「魔獣の王と言われる竜……それも最上位種の火竜とは……」


 騎士様達も一瞬戦いを忘れ、変化したカミルに見とれる。そう、本当に綺麗なんですもの。その赤い鱗は、まるでガーネットのように艶めいて、光り輝いて……。


 そしてカミルが息を大きく吸い込んだ。あれ、もしかして……。


 まさにその「もしかして」だった。ゴブリンが一番集まっている辺りに向かってカミルがその口を開けた瞬間、そこから真紅の炎が一直線に吐き出され……三つ数える間に、すべてが焼き尽くされた。


 あれ? あの辺りには、上級種も合わせて、三十体はいたよね?


「鋼も溶かすと言われる火竜のブレス……あの少年が??」


 ベルフォール伯爵様も、呆然としながらつぶやいている。


 そして、今まで仲間がいくら死のうと、恐れを見せず前進してきたゴブリンが、初めて恐怖の感情を見せて、じりじりと後退していく。しかしその動きは、無意味に密集してカミルの狙いを絞りやすくしているだけのこと。二度目のブレスで、さらに四十体あまりが蒸発した。辛うじて炎を避けたゴブリンは、すばやく飛び出したヴィクトルの餌食となる。彼が倒した敵の数も、六十や七十ではきかないわね。


 そして、みんなで稼いだ……命を懸けて稼いだ貴重な時が、ようやく満ちた。


「みなさん、ありがとう……神よ! 悪しきものを、封印せよ!」


 レイモンド姉様のアルトが、力強く石の広間に響いた。胸に当てていた白く滑らかな両掌をすっと前に向けると、そこから虹色に輝く光が一直線に、あの禍々しい石の方向へ伸びて・・石は私達の眼前で徐々にその形を失い、砂となり崩れ去った。生き残っていたゴブリン達も、溶けるようにその姿を失っていく。


 ああ、ようやっとだけど、私達は……勝ったんだ。



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