第47話 迷宮の「溢れ」

 ふにっと柔らかくて弾力がある何かが、顔に押し付けられている感触で、私は目覚めた。


「む~ん……」


 それは、私やクララと違ってたっぷりボリュームのある、胸の感触だった。


「あら、ようやく目覚めたわね」


 そして、聞き覚えのあるこの優しいアルト、幼いころから馴染んできたこのいい匂い……


「姉様……レイモンド姉様……」


 眼を開けると、そこには豪奢な色濃い金髪と、ラピス色の瞳。間違いなく姉様だ。もう会えないと思っていたのに……また、涙があふれてくる。


「急報があってからすぐ駆け付けたけど、間に合わなくてごめんね。よく頑張ったわね、シャル……じゃなく、ロッテ」


「あっ! ゴブリンはどうなったの!?」


 そうだ、大事なことを忘れていた。私は最後に全力で弱体化を仕掛けて・・そのまま精神力を使い切ってそのまま気を失ったんだった。


「ええ、もう大丈夫よ。ロッテの仲間が、全部倒してくれたからね」


 姉様が優しい、本当に優しい微笑みを浮かべる。


「ああ……よかった。ありがとう、みんな。私の『弱体化』も、少しは役に立ったのかな」


「役に立ったとかいうレベルじゃなかったですわ、ロッテ様。三百以上のゴブリンがみんなカカシのように棒立ちになっていて。私達はそれをなぎ倒せばいいだけでした。ロッテ様の聖女としての力が、ここまでとは……」


「そうかあ。私の力じゃあんな多くの妖魔は倒せないから、『広く浅く』浄化の魔法をバラまくつもりでアレを編みだしたんだけど、結果は悪くなかったんだね・・」


 まだ気づかわしげな眼を私に向けながらフォローを入れてくれるクララだけど、まだ自分の戦術が正しかったのかどうか疑問を持っている私は、あいまいな返事をする。


「ねえロッテ。私にもその『弱体化』を教えて欲しいんだけど」


 すると姉様が意外なことをおっしゃるんだ。


「でも姉様は、一回の『浄化』で百体ほども妖魔を消失させられるでしょう? 私みたいなしみったれたやり方をしなくても、戦えるはずじゃ?」


「あのね、ロッテ。ロッテの自己評価はいっつも低いけど、これはすごい発明なのよ。確かに私の『浄化』は強力だけど、ものすごく疲れるからそんなに連発できるものではないよね。今回みたいにものすごい数の妖魔が押し寄せたら、対応できないわ。消費する精神力を抑えつつ、より多数の敵を無力化できるロッテの『弱体化』は、長時間戦い続ける能力をぐっと高めてくれる……ぜひ使いたいわ」


「姉様が、そうおっしゃるなら……やり方は、簡単だけど」


 私が「弱体化」を使うイメージをごにょごにょと説明すると、さすが姉様、すぐ理解してくれたわ。


「なるほどね。これなら、私にもできそう。これで騎士様達の士気も上がるわ」


「どういうこと?」


「あの方たちは、自ら剣を振るって国民の敵を撃ち払おうという、高い志を持って厳しい修行に耐え、ようやく騎士になられたのよ。だけど聖女付きの騎士は、攻撃役である私達の「盾」になりひたすら守るのが役目よね。肝心の妖魔を全部聖女が倒してしまうのでは、不満は漏らさないにしろ、徐々に鬱屈がたまってくるでしょう。『弱体化』を使えば、直接妖魔を倒すのは騎士様達だから、彼らの志や理想に近づけるのではないかしら?」


 さすが姉様だなあ。自分の戦いだけ気にしているんじゃなくて、自分を守る人たちの気持ちにも、きちんと配慮しているんだ。人の上に立つ素質を自然に身に付けているんだよね。やっぱり、素敵だなあ。


「だけど、あの大量のゴブリンは、どこから来たのかしら? 五百体ではきかないわね? サーベルタイガーの護りがなくなったというだけでは、説明がつかないけれど……」


 姉様の疑問は、そのまま私の疑問だ。いくら繁殖力に優れるゴブリンと言えど、あんなに多数が集まることなど、普通はあり得ないはずよね。


(この村の近くには古代神殿の遺跡がある。それが「溢れ」たのではないか?)


「え、『溢れ』ですって?」


 ヴィクトルと私のやり取りに姉様の顔色が変わる。もっとも姉様には私の声しか聞こえていないのだけれど。


「ロッテ! 急いで詳しく教えて。『溢れ』るような迷宮が近くにあるの? 『溢れ』だったら必ず第二波が来るわ。その前に封印しないと、大変なことになる」


 詳しいことを知っているのは、ヴィクトルだけ。私が通訳をして、みんなで情報を共有化していく。


 イリアの村から歩いて一時間くらいのところに、旧文明の神殿であったらしい遺跡がある。そこは強い魔力に覆われていて、内部は妖魔の巣となっている。普段の妖魔は遺跡の外に出ることはなく、たまにふらふら出てきたゴブリン達を、サーベルタイガーの一族が狩っていたのだという。そこが何かの理由で「溢れ」たのではないか、というのがヴィクトルの意見だった。


 「溢れ」は、私達聖女にとって、まさに悪夢だ。


 迷宮の魔力が何らかの要因で暴走することによって大量の妖魔が生み出され、それが外界にあふれだす現象なの。迷宮に溜まった膨大な魔力が尽きるか、聖女によって迷宮が「封印」されるまでそれは続くのだ。


 ここ二十年の間に、ロワール国内で二回の「溢れ」が発生している。一回はレイモンド姉様が「封印」し、もう一回は二人の聖女が殉職した末に国軍の半数を投入してようやく鎮圧した……それほどの大事なんだ。


「ならば、急いでその古代神殿を『封印』せねばなりませんね。第一波をロッテ達が潰滅させた今が好機です。戦える人たちは私と共に」


 姉様の瞳が深いラピスの色に輝いた。

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