第43話 モルトー子爵とベルフォール伯
子爵邸の前には、派手ではないけどしっかりした造りの、見る人が見ればおカネがかかっていることがわかる馬車が停まっていた。ベルフォール伯爵様のものみたい。う~ん、お客様が見えているときに押し掛けるのも気が引けるんだけど、今回ばかりはそんなこと言ってられないわよね。
「子爵様はいらっしゃる……わよね?」
玄関を開けてくれた家令さんに、前置き抜きで迫る私。家令さんは私の黒髪を見てぎょっとした顔になり、さらにサーベルタイガーのヴィクトルが後ろにいるのを見て、絶望的な表情になった。ああ、この人には、ご主君が「やらかしちゃった」自覚があるんだな。
「いえ、あ、主人は……」
「通るわよ」
私は構わず邸内にずかずか踏み込む。ヴィクトルや、クララたちも一緒に。ここは、遠慮するところじゃないからね。
この邸の間取りは覚えているわ。廊下突き当りにある左側の扉を開けると、そこが応接室のはず。あえてノックなどせず、私はその扉を力いっぱい開ける。
「誰だ! 無礼な!」
子爵の怒声が聞こえるけど、知ったことじゃないわ。私達はずかずかと応接に踏み込む。
さすがに子爵は私の姿を覚えていたらしく、ばつの悪い表情を浮かべた。そして私の後ろから巨大なサーベルタイガーが現れると、怒りで真っ赤だった顔色は白く……やがて青く変わった。
「あら、子爵様。どうなさったのかしら? その様子ですと、私がここに来た意味は、ご存じのようですわね?」
「う、うるさい! 異端偽聖女のお前など、ここに来る資格はないはずだ! 帰れ!」
みっともなく小さく震えながら虚勢を張る、小心者おぼっちゃまの……とはいえもう三十過ぎのおじさんだけど……子爵。
「ん? うむ? 君は、リモージュ伯爵令嬢ではないか。なぜ、こんなところに?」
背中を向けていた紳士が振り向いて、優しいバリトンで呼びかけてくる。そう、この方が、ベルフォール伯爵様。
もう年齢は四十くらいなのだけれど、まるでいぶし銀のようなグレーの髪に引き締まったお顔立ち、優しいブラウンの眼……すごく、素敵なおじ様なの。聖女だった時には、伯爵様のご領地にもお仕事しに行ったし、この方のことはよく知っている。何よりも正義を重んじる、とても古風で立派な方。
「ご無沙汰いたしております、ベルフォール伯爵様」
スカートをちょいとつまんで、カーテシーでご挨拶。震えているどなたかは放っておいて、この方には、礼をつくさないといけないわ。
「ほう、本物のサーベルタイガーとは。私も初めて見たが、見事なものだな。力強く、そして美しい」
後ろから突然現れた巨大な魔獣に恐怖することもなく、その威容を素直に賞賛する伯爵様って、すっごく肝が据わっていて、人間が大きいわ。褒められたヴィクトルは床に伏せのポーズをとって、伯爵様への害意が無いことを示してる。
「ええ、ヴィクトルはこの森に住まうサーベルタイガーの次期族長。おそらく一番強い虎ですわ」
「そうか。竜族と双璧であるサーベルタイガーの貴種ですら、そのように親しく交わるとは……やはりリモージュ伯爵令嬢の力は、別格だな」
「恐れ入りますわ」
この館の主人を無視して進む和やかな雰囲気にいらだったモルトー子爵が、また顔色を真っ赤に変えて私達を睨む。
「お、お尋ね者のお前たちが、こんなところにのこのこ出て来おって! 捕らえて教会に突き出してやるわ! さすればお前は異端の罪で火あぶりだ!」
「確かに、捕まればそうなってしまうでしょうね。だから私も、真っ直ぐ国外に逃げるはずでしたわ。貴方が、魔獣との盟約を、違えなければね……」
そう、私が危険を冒して里に下りてこざるを得なくなったのは、子爵の愚かな行動のせい。
「盟約を、違えたとは?」
ベルフォール伯爵のバリトンが咎めるようなトーンを帯びる。この方は正義を重んじる方だから、盟約を神聖なものと考えておられるのよね。
「ええ。二年前、子爵のたっての願いを聞き、私が仲立ちをして盟約を結びました。虎族は子爵領の人間達に五ケ所の開拓地を与え、その代わり人族は開拓地以外の森に踏み込まないと。しかし子爵は今、踏み込まないと約した森に山師を呼び込み、大規模に金の採掘を進めようとしています、それも、森を汚す水銀を使って。私が危険を承知でここに参りましたのは、サーベルタイガーの族長に頼まれた故……今まで通り人と虎とで住み分けてくれることを、お願いするためです」
「モルトー子爵。ご令嬢の仰られたことは、事実かね?」
伯爵様のバリトンが怒りのトーンを孕んで少し低くなる。うん、渋いおじ様は、お怒りになってもかっこいいわ。
「伯爵、そんな小娘の言うことに乗せられてはいけませんぞ!」
モルトー子爵が場を取り繕い始めるけど、無駄ね。こっちはいろいろ証拠を持ってるから。
「では、これが二年前に交わした証文ですわ。伯爵様、御改め下さい」
「む、ふむ……内容は伯爵令嬢の言われた通り。そして、このサインは……紛う方なきモルトー子爵、貴方の筆跡だな」
「ぐ……だとしても、異端の聖女が仲立ちをした盟約など無効だ!」
「貴殿がサインをした以上、盟約は神聖で侵すべからざるものだ。それに、令嬢が異端とされたのは、魔獣との盟約を仲介した故ではなく、王位継承争いのとばっちりを受けただけのこと。そのようなことは、フランソワ殿下に与する我々は皆、知っておろう」
ああ、伯爵様は、見た目だけでなく中味も渋くて、素敵だわ。伯爵様は第一王子派、本来ならアルフォンス様の婚約者である私を排斥すべき立場なのに、こうやって私の仕事を認めてくださっている。まあ、伯爵様が第一王子フランソワ様を支持しているのは王にふさわしいからという理由ではなく、王位継承は長幼の序に従うべきという、正統派の道徳観を大事にしていらっしゃるからなのだろうけれど。
「子爵。鉱山開発に資金を貸して欲しいとの頼みに応じ、私はこうやって話を聞きに来た。子爵が先ほどまでされていた話では、権利関係も何ら問題ないということであったな。問題ありありではないか。しかも、私に対しては銀の鉱山と説明されていたな。本当のところは……金鉱だったわけか、私を騙して開発資金を引っ張ろうとしていたわけだな」
「いや、決して悪気ではなく過度の期待をさせてはいけないと……」
「貴族の間では子爵の出自について、とやかく言う者も多い。しかし私は隣接する領地を持つ辺境貴族同士として、子爵とは親しく付き合いたいと考えていた。しかし、これだけ侮られては、もはやあり得ぬ。鉱山出資の話はもちろんなしだ、そして怒りに燃えるサーベルタイガーが貴殿の館を襲ったとしても、我が領地からは一兵の援軍も出せぬな」
まだ見苦しく言い訳する子爵を、冷徹に見放すベルフォール伯爵。素敵なおじ様の厳しい視線に射抜かれた子爵はまた顔色を青く変えて、だらだらと冷や汗を流すだけ。
「うむ、こうなった上は……」
子爵が応接テーブルの上から大型の振り鐘を取り、全力で鳴らした。
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