第9話 鶏捕獲!任務完了!
「随分時間がかかったわね。フルーツカクテルだけじゃなくて、夕飯も頂いちゃったじゃないの。」
「社長すみません。このちんちくりん地味女子が、声を掛けてきたせいで全ての計画が狂ったのが原因です。」
「ちんちくりん地味女子じゃなくて桜でしょう?可愛い女の子なんだからちゃんと名前で呼びなさい。」
「………桜が声をかけたせいで鶏を一旦取り逃がしました。ただ、この通り再度捕獲してきました。」
「はい、よくできました。」
華島さんの宣言通り、ログハウスまでは三十分で到着した。華島さんは息を切らすこともなく、そのまま伊子さんのもとへ向かいミッション完了の報告をしたのだった。ちなみに伊子さんは、山川さんと文人さんと一緒にちゃっかりテーブルを囲んで夕飯を平らげた後だった。今はちょうど食後のデザートを食べている最中だったらしい。しかも文人さんいつの間にか着替えているし。山道を走り回ったせいでボロボロになったジャージに加え、鶏を抱えて並んでいる私と華島さんは、さもバラエティ企画で身体を張っている芸人のようだ。
「二人ともお帰りなさい。桜さんは初仕事お疲れ様でした。はい、あーん。」
文人さんは、お洒落な食器に乗った上品なケーキを一口分フォークでとると、私の口元へ差し出してきた。私がやんわり拒否すると、残念です、と笑いながら自分の口元へケーキを運んだ。
「おお…麗子。よく無事で。」
オーナーさんに鶏を渡すと、鶏は嬉しそうに喉を鳴らしながらオーナーさんの胸元に収まった。オーナーさんも、麗子…鶏の背を優しく撫でながら部屋の片隅にある高級そうなクッションの上に鶏を座らせた。なんだか人間よりリッチな待遇を受けている気がする。
「さて、二人とも大変だっただろう。うちのログハウスには温泉も完備しているから、入ってくるといい。夕食も御馳走しよう。」
オーナーはとても上機嫌だった。そもそも温泉完備のログハウスで、山一個所有ってこのオーナーどれだけ金持ちなんだ。心の中でツッコミを入れていると、華島さんが私にタオルを投げつけてきた。私は慌ててそれを受け取った。
「先に入ってこい。」
「良いんですか。」
「ふーん。草介が優しいなんて珍しいこともあるんですね。」
「文人は黙ってろ。」
「文人じゃなくて、文人さん。何回言ったら呼び方直してくれるのかな?草介。」
にっこり笑う文人さん。そんな文人さんを見下して鼻で笑う文人さん。なんだろう、顔はにこやかなのに空気が張り詰めているような。
「桜。さっさと温泉に行ってらっしゃい。この二人に構ってるといつまでたってもお風呂にも夕食にもありつけないわよ。」
グラスのワインのお代わりを自分で注いで席に戻る途中の伊子さんにポンっと背中を押された。
「ではお先に失礼します。」
「いってらっしゃい。」
パタパタと長い廊下を歩いて温泉へ向かう。今日は大変な日だったな。朝までは普通の大学生の生活だったのに、まさか昼からこんなことになるとは思わなかった。今風呂に入ったら確実に寝てしまいそうな気がする。さすがにお風呂で溺れたくはないなあ。なんてぼんやり考えていると、聞き覚えのある歌が耳に入ってきた。とても小さな声で、囁くような歌声。声からしておそらく男性だ。でも華島さんの声でもなければ文人さんでもない。ましてはオーナーさんでもない。誰が歌っているんだろう。辺りを見渡しても、広い廊下が見えるだけだ。首を傾げていると、あっという間に曲は終わってしまった。……気のせいだったのかな。私は頭に疑問符を浮かべながらも温泉へと足を運んだ。
入浴後の私を待ち構えていたのは、豪華な夕食とデザート、そして酔って気持ちよさそうに寝ているオーナーさんと伊子さん。私よりも先に夕食を終え、眼鏡のメンテナンス中の華島さん。そしてカタカタと音を立ててパソコンに入力をしている文人さんだった。
「ああ、桜さん。お帰りなさい。」
文人さんはパタン、とノートパソコンを閉じて、私を食卓のテーブルまでエスコートした。椅子を引かれ、促されるままに座る私。文人さんは鼻歌を歌いながら、飲み物を注いでくれている。ふと思い出すのは、さっき温泉に向かう時に耳に飛び込んできた歌声。やっぱり文人さんの声じゃない。そもそも曲も違うし…。
「そんな恐い顔をしてどうしました?」
「いえ、何でもないです。あ、文人さん。この曲知ってますか?」
「ん?」
私はさっき聞いた曲を鼻歌で再現してみる。文人さんは私のことをじっと見つめて、それから笑い出した。
「ふふっ、桜さん耳はとっても良いのに、音程をとるのはそんなに得意じゃないんですね。」
「えっ。」
「音痴とまでは行きませんが、所々音を外していますね。」
クスクスと笑いながら、私の目の前にグラスを置いた。そして文人さんも自分の分を注いで私とグラスを合わせた。チンッと軽い音が鳴る。
「君の瞳に乾杯、なんてキザ過ぎましたかね。どうぞ、ここの山で取れた果物で作ったフルーツカクテルですよ。」
「……いただきます。」
顔が熱い。私はグイッとカクテルを一気飲みした。美味しい。フルーティだけど甘すぎず、喉をするっと通っていくひんやりとしたカクテル。文人さんは一口だけカクテルを口に含んでテーブルにグラスを置くと、再びノートパソコンを開こうとした。
「文人さんは、お酒はお好きじゃないんですか。」
「嫌いではないですよ。苦手ではありますが。ああ、でも桜さんが口移しで飲ませてくれるなら克服できるかもしれませんね。」
文人さんは悪戯な笑みを浮かべて、私と距離を詰める。顔、顔が近い!思わず顔を背けて私は慌てて答えた。
「しませんよ!」
「そう言うと思いました。」
ははっ、と軽く笑う文人さん。華島さんは怪訝な顔でチラッと見てから、また眼鏡に視線を戻した。
「そうそう、桜さん。あとで携帯に大学から連絡が入るとは思いますが、明日も休講なので、今日はこのログハウスに泊ることになりました。オーナーさんが明日の朝ごはんに麗子さんの卵で作ったパンケーキを御馳走してくれるそうなので、それを食べてから自宅までお送りしますね。」
ん?今さらっと何か言ったような。瞬間、携帯が振動する。画面を見れば、大学から休講のお知らせが来ていた。だからいつもどこからその情報を得るんですか。
「あ、大学から連絡来ました?」
「はい。たった今。……いつから知ってたんですか。明日休講って。」
「山の中で桜さんたちと別れてからですね。」
それは随分前から知ってたんだな。さすが情報屋というべきか。
「オーナーさんからの伝言ですが、桜さんのゲストルームは階段を上がって左手のお部屋を使ってくださいとのことです。」
「……ありがとうございます。」
疲れているせいか、いちいち突っ込む気力もなく、私はただ返事をした。
「すみません。話しすぎましたね。冷めないうちにお食事をどうぞ。」
文人さんに促されて、私は夕食を口に運んだ。
翌朝、早朝から鶏の麗子さんの高らかな鳴き声で起こされた私たちは、オーナー自慢のフルーツたっぷりパンケーキと、美味しい紅茶を御馳走になって、ログハウスを後にした。
伊子さんは用事があるとか言って、私たちより先に出発してしまった。残された私たちは、来た時と同じように運転席には文人さん、後部座席に私と華島さんが並んで乗った。帰りは行きとは打って変わってとても静かでゆったりとした安全運転だった。ということは行きの激しい揺れはわざとなのか?…文人さんならあり得る。
「文人なんか睨んでも何も出ないぞ。」
華島さんが眼鏡を拭きながら口を開く。
「別に睨んでません。」
「そうか。ああ、そうだ。今度から俺が渡した眼鏡は肌身離さずもつこと。いいな。」
私の返事を待つこともなく、華島さんはそれだけ言うと話しかけるなオーラを出しながら眼鏡の手入れを続けた。私は大きなため息をついて、外の景色を眺めた。
これからこんな日が続いていくのか少し体を鍛えた方がいいのかな、体力つけないとこの先が持たない気がする。
「私、大丈夫かな。」
朝日が差し込む社内で車に揺られながら私は呟いた。
「ようこそ、兎川オフィスへ。」 茶葉まこと @to_371
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