第8話 クソ眼鏡と罵ったことを後悔すると良い

「せいぜいお荷物にならないように、余計な行動はとるな。いいな。」


 それだけいうと、華島さんは私を抱えたまま全速力で山の中を走り出した。あまりにも速すぎて目が回る。先ほどまでの車の運転を彷彿とさせるスピードと揺れに思わずめまいがする。

 走りながら華島さんが口をひらく。


「眼鏡の横に、小さなボタンがある。それを押せ。」

「え?」

「早く。」


「ちょっと待ってくださいよ。」

 抱えられるままに私は眼鏡に手を添える。確かにレンズ横に小さなボタンのようなものがあった。言われるままに押すと、視界が明るくなった。何この眼鏡。


「それは暗いところでもまるで昼間のように見えるように改良してある眼鏡だ。鶏を見つけたら即俺に知らせろ。」


 華島さんも空いている手でプチっと自分の眼鏡のボタンを押す。確かにこの眼鏡越しだと、薄暗くなった森の中がまるで真昼間のように明るくはっきり見える。まるで魔法の眼鏡だ。


「すごい。」

「ふん、クソ眼鏡と罵ったことを後悔すると良い。」

「すみません。」

「謝るなら、さっさと鶏を見つけろ。鳴き声の方向はこっちで合っているのか。」

「待ってください。」


 耳を澄ませると、さっきよりも大きく鶏の鳴き声が聞こえる。確実に鶏に近づいているんだ。


「そのまま真っ直ぐ進んでください。」


 華島さんは小さく頷くと、一旦足を止めて私を下ろした。そしてそのまま、そこでしゃがんだ。


「ほら、乗れ。」


 え、これって、……おんぶでは。


「早くしろ。両手が空いている方がスピードを出して走れる。それとも今ここで放置されたいのか。」

「それは嫌ですけど。」

「なら早くしろ。」


 私は言われるままに華島さんの背中に乗る。腕と足を組んで華島さんにしがみつくような形になるように指示される。


「しっかり掴まってろ。いいな。」


 華島さんは自由になった両手をまるで陸上選手のように大きく振りながら走り出した。山道だというのに先ほどよりもスピードが出ている。この人実は山猿の類なのでは。なんてことを考えていると、華島さんに吐き捨てるように言われる。


「すごく失礼なことを考えているんじゃないだろうな。良いからお前は鶏の声がする方向を探れ。」

「はいっ。」


 ピャッと肩を上げて、私は耳を澄ませた。大丈夫、方向は合ってる。どんどん鶏の声は近づいている。


 コッコ、コッココ、と聞こえる鳴き声。もうかなり近くまで来ているはずだ。揺れる視界で目を凝らして鶏を探す。どこにいるんだ。大きな木に視線を移した時だった。華島さんがピタッと足を止めた。


「見つけた。」


 え、どこ?華島さんは私を意外にも丁寧に着地させると、足音を立てないようにゆっくりと大木へ近づいていく。私も追いかけようとしたが、華島さんに思いっきり睨まれた。音を立てないように口パクで何かを言っている。えーと。


「う、ご、く、な、地、味、女、子……。」


本当に一言余計な人だ。しかしここで反撃してしまえば、また鶏が逃げてしまうかもしれない。グッと口を一文字に結んで、頷くと華島さんは再び大木へ視線を移した。

 ゆっくりゆっくりと近づき、次の瞬間。華島さんは大木の後ろへ飛び込んだ。


「動くな!」


 私の位置からは良く見えないが、木の後ろでバタバタと動く青いジャージと、宙に舞う白い羽が見えた。

 数秒後、華島さんは何食わぬ顔で小脇に鶏を抱えてこちらに向かって歩いて来た。良かった、捕獲できたんだ。鶏も無事そうだ。ちょっと写真で見るより目つきの悪い鶏だけど。多分麗子さんで間違いないだろう。華島さんの頬には、鶏に蹴られたのか突かれたのか、うっすら血が滲んでいた。


「大丈夫ですか。」

「何が?」

「頬に傷が出来ています。」

「こんなのは傷の内に入らない。とにかく無事捕獲完了だ。時間は?」


 促されるままにポケットに手を突っ込み、携帯電話を取り出す。時刻は午後七時を回っていた。


「まあまあだな。今からならパンケーキというより、夕飯を食べたいところだが。」


 華島さんが鶏に視線を移す。捕食者の目をしている。鶏はコケっと声を上げて体を震わせた。


「華島さん。その鶏は食べちゃダメですよ。」

「生の鳥をここで捌いて食べるわけないだろう。君は馬鹿か。」


 ほら、と言葉を続けて華島さんは私に鶏を渡してきた。あわてて受け取ったはいいものの、鶏の持ち方なんて知らない私は、とりあえず抱え込むように鶏を持った。


「しっかり持っていろ。逃がすなよ。」

「そんなこと言ったって、鶏を持ったことなんてないですし!持ち方これで合ってます?」

「逃げなければ何でもいい。」


 華島さんはそれだけ言うと、鶏を抱えた私ごと抱き上げた。今度はおんぶではない。俗にいうお姫様抱っこだ。


「え、ちょっと、華島さん?」

「ログハウスまでは結構な距離がある。ここから君と歩くと二時間はかかる。そんな悠長に時間をかけている暇はない。俺が抱えて走った方が、その四分の一の時間で済む。」

「それじゃ華島さんに負担が…。」

「余裕だな。負担の欠片もない。これ以上君の話を聞いているだけ時間の無駄だ。さっさと戻るぞ。鶏は死んでも離すな。良いな?」


 華島さんはそのまま走りだした。ただでさえ走りにくい山道も軽々と軽快に足を運ぶ。この人の身体能力は一体どうなっているんだろう。しかも鶏を抱えた人間を持っていて、一切スピードが落ちない、むしろどんどんスピードアップしているではないか。


「華島さん。」

「口を閉じてろ。舌を噛むぞ。」


 頷いて私は鶏を落とさないように強めに抱きしめる。鶏は苦しいのか、ストレスが溜まっているのか私を睨んではいたが、攻撃はしてこなかった。

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