第7話 職務妨害ちんちくりん地味女子
「まっ、待ってください、文人さん。」
「え?」
足を止めて振り返る文人さん。全力疾走でボサボサの髪の毛に、日頃の運動不足が祟ってか、それともさっきまでの車の運転で消耗した体力のせいか、死にそうな顔というワードがぴったりの私。息が切れすぎてまともに話せない。
「すみません。ちょっと急ぎすぎましたね。顔色も良くない。」
文人さんは掴んでいた私の腕をパッと話して、そのまま私の乱れた髪の毛を整える。
「少し休憩しましょうか。」
「……そうしていただけると、ありがたいです。」
文人さんは、キョロキョロと回りを見渡し、適当な高さの石の上にハンカチを置いた。
「どうぞ。座ってください。」
「ハンカチが汚れますよ。」
「桜さんの服を汚すわけには行かないので。」
「これ、伊子さんに渡されたジャージですよ?」
「それでも女性の服を汚すのは気が進みませんから。」
ね、と添えて文人さんはにっこり笑った。まさにアイドルスマイル。元がアイドル系フェイスなのも相まって、こんな顔で微笑まれたら大概の女子は陥落するだろうな。私は促されるままに石に座り、目を閉じて大きく深呼吸をする。耳に入って来るのは、何処か遠くの川のせせらぎと、サラサラと揺れる木の葉の音。そして遠くから聞こえる鶏のコッココッコという鳴き声。………ん?鶏の鳴き声?
「文人さん!鶏!鶏の鳴き声が聞こえます!」
「え、僕は何にも聞こえないんですが、どこから聞こえますか。」
「ちょっと待ってください。」
もう一度目を閉じて、耳を澄ませる。やっぱり聞こえるコッココッコという鶏の鳴き声。方角は……あっちだ。
カッと目を開いて、私は聞こえてきた方向を指差した。
「あっちです。あっちから聞こえます。」
「間違いないですか?」
「はい。………多分。」
文人さんは一瞬驚いた顔をして私を見ると、ポン、と私の頭を軽く撫でながら囁いた。
「なるほど、これは驚きました。さすが社長が選んだ人だ。」
「え、何て?」
「いいえ、何でもありません。歩けそうですか。」
「はい。」
文人さんの手を借りて立ち上がる。お尻に敷いていたハンカチはクシャクシャになっていた。
「すみません。洗って返しますので。」
「別にいいですよ。さあ、今度は歩いて向かいましょうか。」
文人さんは今度は腕を掴むのではなく、私の指を絡めとるようにして手をつないで山道を歩き出した。繋いでいる手が熱い。っていうか手汗がやばい。絶対文人さんに手汗がやばい女だと思われているに違いない。文人さんの顔を見ると、彼はクスッと笑ってそのまま何も言わず歩いている。
「桜さん、鶏の鳴き声は聞こえますか。」
「はい。向こうからです。」
所々立ち止まっては、鶏の鳴き声の聞こえる方向を確認したり、躓きそうなところなどは、足元に気を付けるように声をかけてもらったりしつつ、私たちは足を運ぶ。
さっきまで走らされたのに、今は私の様子を伺いつつゆっくり歩いてくれる文人さん。やっぱり優しい人なのかな…いやいや、騙されるな桜。大学まで迎えに堪えた時の事を忘れたのか。文人さんは優しそうに見えて意外と性格が悪いはずだ。騙されてはいけない。空いている方の手で自分の顔をパチンと叩く。頬がヒリヒリした。
「どうしました、桜さん。」
「何でもないです。」
「そうですか。ん?あれは、草介ですね。」
「え?」
文人さんが指さした方向には、華島さんがいた。しかも何か腰をかがめて臨戦態勢をとっている。何をしているんだろう。
「華島さん!どうしました?」
私が声をかけた瞬間、私たちに気付いた華島さんが思いっきり私を睨んだ。そんなに睨まなくても良いじゃないですか。顔が怖すぎです。その瞬間だった。華島さんから、ほんのスーメートル離れたところで動く白い影。そしてその白い影は、ビクっと大きく体を揺らすと、ものすごいスピードで山の奥へ走って行ってしまった。その場に残されたのは、白い羽だけ。
あ、もしかして華島さんの目の前にいたのって、鶏?
「なんてことをしてくれたんだ君は。最悪だ。全て君のせいだ。あともう少しで捕獲できそうだったのに。君が声を掛けたせいで逃げられたじゃないか。このちんちくりん地味女子。いや、職務妨害ちんちくりん地味女子。」
名前が長すぎて覚えられない。っていうか噛まずにスラスラ言える華島さんある意味すごいな。何だかんだで『地味女子』といいうワードに慣れつつある自分も問題だとは思うが。
華島さんは私の頭をクシャクシャと掻き乱した。さっき文人さんに直してもらったのに、再びボサボサになる。なんて人だ。そりゃ、空気を読まずに声をかけてしまった私が悪いですよ?だけど、ここまでいろいろ言われるのはいかがなものかと。しかもまだ出会って二日の人間に。私は華島さんをキッと睨むが、華島さんはフンっと鼻で笑ってきた。……なんなの。むかつく。
「ふざけんなよ。クソ眼鏡。」
あ……。心の中にとどめておくつもりだった、とっても口の悪い言葉。思わず口先から漏れてしまっていた。もう遅いのは分かっているが、両手で口を覆う自分。最悪だ。華島さんは、ほー、と私を見下した。文人さんはお腹を抱えて笑っている。
「あはははっ、クソ眼鏡!最高です。桜さんよく言ってくれました!あー、おかしすぎて涙出てきた。今の動画に取っておけばよかったです。桜さん、もう一度言ってください。」
文人さんお願いだから今の言葉を蒸し返さないでください。さっきから突き刺さっている華島さんの視線が痛いんです。目を合わせないように華島さんを見ないようにしている私。
「おい。」
「はひっ、なんでしょう。」
「こっち向け。」
「えーと。」
「話している人の方を見るって小学校で習うはずだが。現に小学生どころか幼稚園児でも出来ていることが君には出来ないと?」
「そ、そんなことはありませんよー…ほ、ほら。」
恐る恐る華島さんを見る。華島さんは、口元は笑っているが目が笑っていない。あ、これ怒ってる顔ですよね、多分。いや、絶対。
「俺がクソ眼鏡、だと。」
「えっと、何と言いますか、言葉の誤と言いますか。」
「もういい。」
華島さんはそう言って、私の目の前に手を出してきた。やばい、殴られる。確か昨日もこんなことあったな。でも今回ばかりは本当に怒らせたかもしれない。覚悟を決めて目を瞑る私。
すると、遠くの方でコケッという鶏の声が幽かに聞こえた。
「あっ!」
目を開けると、華島さんの顔が真ん前にあった。何事だ。私は大慌てで後退った。ゴン、と後ろにある太い大木の幹に後頭部をぶつける。地味に痛い。
「何を慌てているんだ。俺は君に眼鏡をかけただけだが。」
「え?眼鏡?」
あまりにも視界の変動がない上に、かけ心地が軽すぎて気付かなかった。いつの間にか私の顔には昨日貰ったのとは別の眼鏡が掛けられていた。何のつもりだろう。ってそれどころじゃない。さっき聞こえたのは、多分鶏の鳴き声だ。早く二人に言わないと。私は鳴き声が聞こえた方向を思いっきり勢いよく指差した。
「あっちから鶏の鳴き声が聞こえたんです。」
「それは本当か。俺には全く聞こえないが。」
「あっちの方向です。間違いありません。」
驚いたように目を見開いてから、でかした、と告げて華島さんは私をひょいと抱えた。ふわりと宙に浮く体。華島さん、私は犬とか猫じゃないんですけど。腹ばいになってる状態で抱えられ、華島さんは私が指さした方向へ向いた。
「ちょっと何するんですか。」
「案内しろ。」
「おろしてください。」
「君は足が遅いだろう。俺のスピードについてこられない。」
文人さんに助けを求めるように視線を送るも、文人さんは呑気に空を眺めながら、背伸びをしている。
「そろそろ日が落ちてくるので早めに見つけちゃってください。草介頼んだよ。僕の分はないんでしょ。その眼鏡。」
「ああ。今日は二つしか持ち合わせてなかったからな。この地味女子が家に眼鏡を置いてこなければ三人分用意できたというのに。」
「じゃ、僕が行っても意味ないよね。僕は先にログハウスに向かってるから、麗子ちゃんの捕獲よろしく。桜さんも頑張ってください。」
ヒラヒラと手を振って、文人さんは踵を返した。え、ちょっと、助けてくれないんですか。
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