第6話 今日の仕事は鶏探しよ!
「さーて、到着しました。あれ?桜さん。これから仕事なのにぐったりしすぎじゃないですか。」
「そりゃ、あんなジェットコースター顔負けのドライブの後ですから。」
「楽しかったですか。」
「いえ、全然。」
「そうですか。残念です。じゃあ、帰りはもっと楽しめるように、五割増しでアグレッシブな運転にしますね。」
は?それは困る。今度同じ運転されたら確実に胃の中がやばいことになる。私は手を大きく振りながら必死で答えた。
「とっても楽しかったです。とっても楽しかったんで、帰りはもっとゆっくり、安全運転でよろしくお願いします。」
「ははっ、了解しました。」
文人さんは爽やかに笑いながら、車のキーを指先でくるくる器用に回した。華島さんも、けろっとした表情で、車から降りると大きく背伸びをした。
「んー…、山は最高だな。この眼鏡のレンズを通してみる山々、美しい。最高だ。」
「………。」
もう勝手に言っててください。なんて心の中で吐き捨てるように言いつつ、先ほどまで抱かれていた肩の感触を思い出して急に顔が火照ってきた。はー、暑い。
「桜さん。どうされました。」
顔を手でパタパタと仰いでいると、文人さんが私の顔を覗き込んできた。
「いっいえ。大丈夫です。ちょっと車酔いしちゃったみたいで。もう大丈夫なので。ほら。」
私はその場で大きく深呼吸をしてみせた。肺を満たすのは少し涼しい山の澄んだ空気。空気に味なんてないはずなのに、何となくだけど良く冷えた甘いソーダを飲んだような気持になった。なるほど、よく聞く空気が美味しいとは、こういうことを言うんだろうな。
「三人とも遅かったわね。急がないと日が暮れるわ。」
スラッとした長い脚でこちらに向かってきたのは、我らが社長、兎川伊子さんだった。伊子さんは、今日も高そうなパンツスーツスタイルに、肩から羽織っているジャケット。まさにキャリアウーマンスタイル……だが、手に持っているのはそれとは不釣り合いな…。
「お酒…ですか?」
「フルーツカクテルよ。この山の管理人さんが果物を作るのが趣味なんですって。」
「そうなんですか…って、伊子さん仕事中じゃないんですか?お酒飲んで大丈夫なんですか。」
「これも仕事の一環だから問題ないわ。というわけで、どうぞ。」
伊子さんは私に紙袋を渡してきた。もしかして私の分のフルーツカクテルなのかな。それにしては大きいな。
「後ろにログハウスがあるでしょう?あそこで今渡したそれに着替えて、もう一度ここで集合。いいわね。華島と小湊は車で着替えて。」
「はい。」
二人は返事をして車の中へ向かった。
着替えて…ってことは、伊子さんに渡されたこれは服ってことだよね。カクテルじゃなくて残念。
「サイズは問題ないと思うわ。ほら、時間が迫ってきてるわ。急いで着替えてらっしゃい。」
伊子さんに背中をポン、と押された。何が何だかわからない。振り向くと、伊子さんは満面の笑みを浮かべているが、顔に『さっさと着替えてこい』って書いてあるような有無を言わさない空気を漂わせていた。
「い、行ってきます。」
「はい。行ってらっしゃい。」
私は半強制的にログハウスに向かった。
「伊子さん…、これはどういうことでしょうか。」
「あら、良く似合ってるじゃない。」
「………。」
伊子さんに渡された紙袋の中身は服だった。それもジャージ。ログハウスで言われた通りに着替えてきたが、なぜジャージなんだろう。今から畑仕事でもするのかな。
「君がジャージを着ると、ただでさえちんちくりんなのに、余計にガキっぽく見えるな。ああ、ガキそのものだったか。」
「………。」
「桜さん。若々しく見えるってことですよ。」
「文人さん。お世辞は結構ですので。」
「そうですか。まあ、僕はとても可愛らしくて良いと思いますけどね。」
文人さんも華島さんもジャージ姿だ。ちなみに私が赤、華島さんが青、文人さんが黄色のジャージを着ているので三人並べばまるで信号機だ。テレビでよく見かけるようなジャージはまるでお笑い芸人のようでもあった。
「ぷっ、やっぱりそのジャージにして正解だったわ。並ぶだけで面白いもの。」
「ああ今朝、伊子さんあてに届いた荷物ってこのジャージだったんですね。」
「ええ、そうよ。」
「ふふっ、やっぱりそうでしたか。」
呑気に笑っている文人さん。伊子さんはパシャリ、と携帯で私たちの写真を撮って携帯をポケットにしまうと、パンっと手を叩いた。
「さて、今日の仕事について説明するわ。」
「今日の仕事は、鶏探しよ。」
……はい?今何て?鶏探し?
「社長、どんな鶏ですか。」
伊子さんが言いだしたことに特に疑問を抱くわけでもなく、華島さんは眼鏡をクイっと上げながら聞いた。なぜ疑問を持たないんだこの人は。
「あら華島、良い質問ね。皆に写真を送るわ。」
その瞬間、ポケットに入れていた携帯電話が振動する。画面を開けば、白くて絵にかいたような鶏の画像が映し出されていた。……って本当に鶏なんだ。
「この山のオーナーが飼っている鶏よ。今朝脱走したの。それを捕まえるのが今日の仕事。」
「どうして脱走したんですか。」
「それについてはオーナー直々に説明してもらうわ。お願いしますね、オーナー。」
いつの間にか伊子さんの横には、白いヒゲが特徴的なおじさんが立っていた。ちょっとぽっちゃり体形で、お洒落なチェックのシャツにサロペット姿はまるで海外の農夫のようだ。麦わら帽子でも被ればもうそれにしか見えないだろう。
「やあ皆さん、こんにちは。この山のオーナー山川だ。実はうちの麗子が朝方卵を取りに行ったら脱走していることに気付いてな…。あ、麗子っていうのは鶏の名前だ。大事に大事に育てた箱入り娘だからまさか脱走するとは思わなかったんだ。それでどうしようか悩んでいたところ、たまたま伊子ちゃんから連絡があって、麗子の捜索を手伝ってもらえることになったというわけさ。」
………。どうしよう、ツッコミどころが満載過ぎる。何で鶏に名前を付けているんだとか、そもそも何でこんな山の中で鶏を飼っているんだとか、オーナーのファッションセンスとか、言いたいことが山積みだが、それをぐっと飲み込んだ。
「と、いうわけよ。皆分かった?あと、その鶏の麗子ちゃんは送った画像の通りよ。」
分かった?じゃないです。理解が追い付かないです。あたふたしている私をよそに、華島さんと文人さんが質問を始めた。
「社長、捜索範囲は?」
「この山全体よ。」
「伊子さん。捜索期限は?」
「本日中。」
「「報酬は?」」
「麗子ちゃんの卵で作ったフルーツたっぷりパンケーキ。」
「「了解。」」
いやいやいや、了解じゃないですよ。今からこの山全体で鶏捜索して報酬がパンケーキって。しかも声を揃えて納得してる二人もおかしい。っていうかこの場にいる全員頭おかしい………もしかして私がおかしいのかな。いや、そんなことはないはず。しっかりしろ私。
「桜、どうしたの。変な顔して。お腹でも痛いのかしら。トイレはあっちよ?」
伊子さんはログハウスを指差した。
「違います。」
「じゃあ、車の運転で酔った?」
「それも違います。」
「そ。じゃあ、さっそくだけど行動に移して頂戴。時間は限られているのよ。さあ、行ってらっしゃい。」
パンっと手を鳴らす伊子さんの合図で、華島さんはやたら綺麗なフォームで走り出し、あっという間に姿が見えなくなった。チラッと横に視線を移せば、まだ動き出していない文人さんと目が合った。
「桜さん。一緒にいきましょうか。」
「えっ。」
「早く麗子さんを見つけて、美味しいパンケーキをごちそうになりましょう。」
有無を言わさず、文人さんは私の腕を掴むとグイッと引いて走り出した。私は思いのほか足の速い文人さんに付いていくのに必死でで口答えするタイミングを見失った。
「山川さん、ごめんなさいね。急に無理を言って。」
「いいや、伊子ちゃんには世話になったからね。これくらいなんてことはないよ。」
「ありがたいです。」
「フルーツカクテル、もう一杯いかがですかな。」
「ごちそうになりますわ。」
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