第5話 初仕事~鶏を探せ編スタート~
「……午後から休講か。」
講師に急用が入ったとかで、午後から休講になった。いつもだったら喜んで帰宅するところだが、今日はそうもいかない。昨日決まったばかりの就職先『兎川オフィス』に学校が終わり次第くるように言われているのだ。
半分言いくるめられるような形で決まった就職先だけど…。どんな仕事なのか未だに良くわからないし、大丈夫なんだろうか。
「はあ。」
思わずため息が零れる。とりあえず、適当に時間つぶして夕方くらいに兎川オフィスに顔を出したらいいよね。そういえばコンビニに新商品が入ったとか聞いたから、まずはコンビニに寄って、それから学食で適当に何か食べようかな、なんて考えていた時だった。
「桜さん発見。」
「え?」
後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこにはにっこりと笑みを浮かべた文人さんが立っていた。
「あ、文人さん?」
「昨日ぶりですね、桜さん。」
「どうしてここに。」
「社長の指示で迎えに来たんですよ。午後から休講ですよね。」
なんで午後から休講のこと知ってるんですか。私だってさっき知ったばかりの情報なのに。文人さんは私の顔をじっと見る。そして私の顔が相当面白かったのかフフッと小さく吹き出して笑った。
「うち、情報屋ですよ。これくらいの情報はすぐに入ってきます。車停めてるんで行きましょうか。」
文人さんは慣れた手つきで私の腰に手を添えると、そのまま大学の正門に向かってエスコートするように歩き出した。ちょっと、何してるんですか!慌てて文人さんの顔を見ると、文人さんは特に表情を変えることもなく、前を見て歩く。
日陰キャラの私はこんなお嬢様扱いに慣れていない。というか、慣れる以前にこんな扱いを受けたことは生まれてこの方一度もない。恥ずかしいやら、どうしたらいいやら、感情の大渋滞が巻き起こる。あーもう、無理。私は思わず視線を落とした。
「どうしました?うつむいちゃって。もしかして体調悪いとか?」
そんな文人さんの声色は明らかに楽しそうだ。心配している声じゃない。
「文人さん、声が笑ってますよね。この状況を楽しんでませんか。」
そんなことないですよ、と言葉を添えて文人さんは再び笑った。ほら、やっぱり私が困る様子をみて楽しんでいる。この人、優しそうに見えて実は結構性格が悪いのでは。
「さて、着きました。さあ、乗ってください。」
正門の前には、昨日伊子さんに乗せてもらったのとは違う車が止まっていた。ご丁寧に後部座席のドアを開ける文人さん。やっと腰に回された手から解放された私は、ふう、と小さく息を吐いて車に乗り込もうと足を上げた。もうこんなのは勘弁してほしいです。
「なんだ。変な顔をして。」
「え?」
後部座席には先客がいた。長い足を組んで、丁寧に眼鏡を拭いている。
「華島さん?」
「何でお前がいるんだよ、そう言いたげな顔だな。」
「別にそんなことないです。」
「顔に書いてある。」
「書いてません!」
「いーや、書いてあるな。」
「二人とも痴話喧嘩は車が出てからにしてね。桜さんは早く乗ってください。草介も意地悪しないで奥に詰めて座って。」
文人さんに背中をポンと軽く押される。華島さんもブツブツ言いながら詰めて座ってくれた。私たちが座ったのを確認すると、文人さんは丁寧にドアを閉めて運転席へと移動した。
「じゃ、皆揃ったところで出発しますね。あ、その前に。これどうぞ。」
文人さんはコンビニ袋を私に渡した。
「なんでしょうか。」
「コンビニの新商品。欲しいかなーと思って。良かったら食べてください。」
「なっ。」
なんでコンビニで新商品を買おうと思ってたことがバレてるんだろう。私誰にも言ってないし、ふとコンビニ寄ろうかなーって思い立ったレベルだよ?この人…もしかして人の心が読めるエスパーじゃないだろうか。
「ふふっ、安心してください。エスパーでも心を読めるみたいな特殊な能力者でもないですから。たまたまここに来る前にコンビニに寄ったついでに買っただけなので。あとこれから体力を使うのでカロリーは取っておいた方がいいですよ。」
「え?」
「じゃあ行きます。シートベルトはしっかり閉めておいてくださいね。」
文人さんは緩やかにアクセルを踏み、車は目的地へ向かい出発をした。
どのくらい車に揺られているだろうか。軽く三十分は経過している。華島さんはさっきからずっと眼鏡を拭いたり眺めたりしているし、文人さんは特に何も言わず運転中。変な沈黙が流れている。私はただ、街中からどんどん山の中へと変わりつつある景色を眺めているだけだった。
「桜さん。一応最小限の揺れになるように運転はしていますが、ここからちょっと蛇行した道に入ります。車酔いとかしますか?」
蛇行?いつの間にか目の前は木々が生い茂って、車がやっとで通れる幅の道しかない。かなり山の中だった。まだ昼下がりの時間帯とは言え、大きな木に囲まれている小さな道路は光をさえぎられて薄暗い。
「桜さん?」
「はいっ。えっと、乗り物酔いは結構するほうなので…出来るだけ安全運転だと助かります。」
私が答えるのと同時に隣からポンっと箱が飛んできて、私の頭に命中する。角が当たって地味に痛い。箱はそのまま落下して座席に着地した。箱には『酔い止め』と記載されていた。
「隣で吐かれては困るからな。飲んでおくと良い。」
華島さんは眼鏡に視線を落としたまま話した。すぐに酔い止めが出てきたってことは、もしかして華島さんも車酔いするタイプなのかな。だったらちょっと親近感があって嬉しいかも。
「何笑ってるんだ。」
「いえ。華島さんも車酔いするんですか。」
「君は馬鹿か。俺の三半規管をなめてもらっては困る。」
「別になめてません。」
「うるさい。」
プイっと華島さんはそっぽ向いてしまった。車酔いするタイプじゃなかったのか。じゃあ何で酔い止めを持ってたんだろう。
「草介は意地っ張りだなー。桜さん。実はここに来る前にコンビニのついでに薬局も寄ってきたんですよ。草介が、山道なら桜さんが車酔いするかもしれないから酔い止めを買っておくって。」
「文人。余計なことは言わなくていい。」
「文人さん、だろ。」
「ふんっ。それはそうと、昨日渡した眼鏡は持ってきたか。」
華島さんはちらっとこっちをみて聞いてきた。丁度酔い止めを口に放り込んだ私は、予想外の質問にむせ込んでしまった。
「おい、大丈夫か。ちんちくりん地味女子から、死にかけの地味女子の顔になってるぞ。」
どっちにしろ地味女子なのか。まあその通りですけど、死にかけの地味女子ってどんな顔なんだ、なんて思いながらなんとか呼吸を整えた。
「はー…えっと、なんでしたっけ。眼鏡?だったら家に置いてきましたけど。」
そうだ。昨日華島さんに貰った眼鏡は、家の机の上に置いて来た。視力も特に低くないし、いつも持ち歩く理由がない。華島さんは、呆れたように大きく、車内全体が二酸化炭素で満たされるんじゃないかってくらい大きいため息をついた。
「君は馬鹿だとは思っていたが、本当に馬鹿だな。大馬鹿地味女子。」
さっきから地味女子に拘りすぎじゃないか。確かに地味女子なことは自覚してますけど、そこまで地味地味言わなくてもいいんじゃないでしょうかね、なんて喉の先まで言葉が出かかっていたが、何とか堪えて酔い止めと一緒に言葉も飲みこんだ。
「まあまあ、喧嘩しないでください。あと五分ほどで着きますが、かなり揺れるのでシートベルトはしっかりしめて、何かに掴まっていてくださいね。では行きますよ。」
山道の上り。文人さんは強めにアクセルを踏んだ。舗装されていない道はガタガタと車体を大きく揺らす。おまけに、クネクネと曲がった道で、いくら即効性がある酔い止めを内服したからといって、これはかなり気分が悪い。私はシートベルトをぎゅっと握りしめていたが、あまりにも激しい揺れに思わず手が離れてしまう。幸いにも体はシートベルトである程度固定はされているが、体が左右に揺れる。
「うわあ。ちょっと、うわっ、やばいです。揺れすぎです!」
「うるさい。文人にしっかりつかまっていろと言われただろ。聞いてなかったのか。」
「思いのほか揺れが激しすぎて手が外れたんです。」
「―-全く。」
瞬間だった。華島さんは私の肩をぎゅっと抱いた。
「あと五分だ。我慢しろ。あとこの状態で吐くなよ。」
「ぜ、善処します。」
一瞬、バックミラーに映る文人さんと目が合った。文人さんはスッと目を細めて笑みを浮かべた。なんだ?今の表情は。そんなことを考える隙もなく車はさらに激しく揺れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます