真田茉由

 学生支援部の部室で読書していると、ドアがノックされる音が聞こえた。


「どうぞ」


 奏音が言うと、ガタピシいうドアがゆっくりと開けられて、黒い髪の長い、おとなしそうな女子生徒が入ってきた。


「失礼しま~す……あ、奏音ちゃん」

「茉由ちゃん、待ってたよ~」


 二人はハイタッチしてやたらとぴょんぴょん跳ねる。俺と夢月はそれを遠巻きに眺めていた。


「まあまず座れよ」


 俺が椅子を勧めると、女子生徒は今俺の存在を認識したようで、おっかなびっくり腰かけた。


 俺と夢月と奏音は彼女に向かい合うように座る。


 夢月が口を開く。


「お名前は?」

真田茉由さなだまゆです」


 真田は警戒しながら答えた。


「あなたは円城智美さんが美術室で倒れているところを発見された日の放課後、美術室に入っていく山口先生を見た、と言ったわね」

「はい」

「何時頃に見たの?」

「さあ、正確な時間は……ただ、私は6時半に学校を出たので、それ以前だということは言えます」

「それを証言できる人は?」

「友達と一緒に帰りました。手芸部の」

「その時の山口先生の服装は覚えてる?」

「いやあ、後ろから見ただけですから……白衣は来てましたけど。コートくらいの長さの」

「背丈はどんくらいだった?」


 俺が言う。


「うーん。男にしては小さいくらい、かな」

「もう一つだけ教えてくれ。美術室に入ったことはあるか?」

「はい」

「美術室の中で、物を隠すにはうってつけの場所って知ってるか?」


 真田の顔が一瞬にして青ざめた。幾分落ち着いていた身体が、絶えず不安に揺れるようになった。


「……し、知らないです……そんな場所」

「そうか」

「ちょっと待って」


 夢月がそこで割り込んできた。


「なんだよ」

「あなたはどうして、美術室に白衣が隠されているなんて思ったのかしら」


「ああ。この学校は夕方から深夜にかけてはセンサーが起動して、人は侵入できないようになってる。そして朝方に用務員と教員が各教室を点検して、怪しいところがないか調べる。つまりだな、先生が全員いなくなってから翌日の朝まで、この学校には立ち入ることができない。


 さて、あんたは山口先生を見たって言ったな。ただ厳密に言えば、。背の低い人間が白衣さえ手に入れればその人物になりうる。ならばその白衣はどこから持ってきたのか? 実際白衣なんてAmazonでワンポチで買えちまうから、出どころなんて分からない。だがどこへ消えたのかはある程度推測できる。持ち帰ったか、それともか。可能性は限りなく前者が高い。わざわざ物証を残していく馬鹿はいない。だがしかし、それでも持ち帰るわけにはいかない理由があるとすれば――つまり、学校のどこかにとすれば、それはなんだろうか。最も妥当な理由は、返り血がついたから、というものだな。なにせ被害者は頭から血を流して倒れていたんだ。頭ってのは血の通る量が多いから、ちょっとの傷でもたくさんの血が出る。おまけに山口先生の白衣はズボンの裾まで届くくらい長いもんだから、気を付けてても血の一滴や二滴はついちまう。で、犯人は気づいて焦るわけだ。どうすっかと。一番いいのは川にでも捨てて流しちまうかゴミ袋に入れてゴミ収集車に引き取ってもらうことだが、川に捨てるとどっかで誰かに見つかる可能性が高い。ゴミ袋に入れて捨てるのは一見安全かつ確実かもしれないが、まず家族に不審がられる。もし捨てる前に見つかれば『どうしたのその血?』って聞かれるだろう。それに――このあたりのゴミの日っていつだったっけ?」


 俺は奏音に尋ねた。


「木曜日と土曜日だね、確か」

「犯行が行われたのが月曜日ということは、ゴミを処分できるまで二日のラグがあったわけだな。その間はどうしても自分の手元で管理しないといけない。だがそれだとバレる可能性がかなり高いだろう。一人暮らしならまだしも、高校生なんて家族と暮らしてるのがほとんどだからな」


 だがなあ、これだと一つ不可解な点が残るんだよな。その点はどうしても今の時点では解決を見出せないだろう。


「いずれにせよ、持ち帰ることは必ずしも賢明とは言えない。高校生のカーチャンなんてのは黙って部屋に入って掃除してエロ本見つけてひっそり処分しちまう凶暴生物なんだからな。だからおそらく、犯人は白衣をどこかに隠した。じゃあどこへ? 犯人だけの知るスポットだったらお手上げだな。探し出せるわけがない。が、その場合は事件当日の容疑者と一緒にいた奴らがいる。先生を除けば遠藤も真田さんも一緒に帰った奴らがいる。そいつらに聞けば、帰り道で変な行動をしてなかったかが分かるはずだ。……もっとも、それでも一人きりになれる時間は残る。その場合でも、制服や靴に土とか草とかがついてないか、あるいは近所にそれらしい場所がないかを調べればある程度見当はつく。


 さて、そういう秘密基地がなかったとしよう。さっき家に隠すのは得策じゃないことを仮定したから、そうなると犯行のすぐ後に校内のどこかに隠したんだろう。毎朝教師と用務員が校内を詳しく点検することに加え、日中は生徒たちがいる。放課後も各教室には部活動やら勉強やらで生徒がいるだろう。さあ、どこへ隠せばいいか? 絶対バレない秘密の場所があるってのなら別だが、よっぽど学校が好きでもない限りそんな場所は知らないだろう。……奏音、お前は中学三年間エンジョイしたか?」

「え? うん、それなりには」

「校舎は何階建てだった?」

「3階建てだよ」

「そのフロアのすべての教室を回ったことはあったか?」

「さすがにないかなあ」

「だろう? そんなもんなんだよ。だから誰も知らない隠し場所を知ってるって線は薄い。それに、そもそも、用務員は十何年もここに勤めてるんだから、そんな場所は全部知ってるだろうし、毎朝の点検でそこも検めてると考えていい。


 絶好の隠し場所という可能性は一応消すことができた。なら普通の教室にでも隠すか? いやいや、それは愚にもつかない。すぐバレてしまう。だが、? 誰も入れないのだとしたら――そして入れる人間もあえて入らなくなるのだとしたら?」

「そっか、だから――」


 奏音のつぶやきに、俺はうなずく。


「そう、美術室だよ。だから俺は美術室に変装に使われた白衣が隠されているに違いないと思った。もう一度現場へのガサ入れだ。……おっと、真田さん、あんたも一緒に来るんだぜ」


 俺はすっかり血の気の引いてしまった真田茉由を促した。彼女は心ここにあらずの体だったが、フラフラと立ち上がって俺たちについてきた。


 職員室に立ち寄って松村先生から鍵を借り、美術室の鍵を開ける。


「っしゃあテメエら、気合入れて探せエッ!」


 俺の気合の入ったハッパとは裏腹に、夢月と奏音は黙って探し始めた。


「真田さんはそこらへんに座ってくれ。俺がいいって言うまで教室から出るなよ?」


 念のために言ったが、真田さんはうなだれたままで反応を示さなかった。


「やっぱり見つからないよ」


 奏音が顔を上げて俺に訴えてくる。


「探す場所が甘いんじゃねえの?」

「じゃあ涼介が探してみてよ。突っ立ってないでさ」

「ああ。ま、見てろ」


 と言い、俺は黒板の方へ向かった。夢月と奏音が恐る恐る近づいてくる。


「教卓の中? そこならもう調べたわよ」

「ちげえよ」


 俺は無数に並んだキャンバスの一つに手をかけた。それは一人の女子生徒が座っている姿を横から描いたもので、厚塗りの絵の具で重厚な色彩感を刻まれている。


「見ろよこの絵。ヘッタクソだな」

「少なくともあなたの言えた義理ではないわよね」

「バッカオメー。小学二年生から早くも独創的な抽象画を次々と発表し、『なんちゃってパウル・クレー』の二つ名でPTAを騒がせた俺だぞ。……ここを見ろよ。キャンバスがはがれかけてる」


 キャンバスの右上の隅を指さす。きっちりと留められているはずのキャンバス地が、そこだけめくれていた。


「確かに……」

「で、後ろ見てみろ」


 キャンバスの後ろには、木枠をキャンバス地と挟み込むようにして、木製のボードが接着されていた。


「で、こう」


 そして絵をはがすと、木枠とボードに囲まれた中に、クシャクシャに折られた白衣とよれよれのチェックシャツ、伸び切ったズボン、黒ぶちのメガネ、長髪の小汚いカツラ、そして血のついたカッターナイフがあった。


「これ――」


 奏音が絶句する。


「ああ。こっから先の話は、多分俺よりもそこの女生徒の方が語り手にふさわしいぜ」


 俺の指さす先には、真田茉由が椅子を蹴倒して立っており、顔面蒼白、目はうつろなまま限界まで見開かれ、犯罪の証拠物品を凝視していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る