現場検証
「美術室に入りたいィ?」
放課後、職員室で景気よく10ミリのメビウスを吸っていた先生に頼み込むと、スケバンみたいな唸り声をあげる。
「はい」
「ダメだ。認めん」
「そこをなんとか~」
「ダメったらダメだ」
「ママ~鍵貸ちて~!!」
「死ぬか? 今ここで」
俺の108個あると言われる必殺技の一つ・『母性コーリング』を使ってみたものの、逆効果だったようだ。
一緒に来ていた夢月が頭を下げる。
「お願いします、先生。学生支援部の部活動に必要なんです」
「なぜ部活に……まさか依頼か?」
夢月が無言でうなづく。先生は目を丸くした。
「まさかそうくるとはなあ。厄介なことになったなあ」
そう言って、頭をかくが、その実あんまり困ってるようには思えない。この人は多分子どもっぽいというか規則に縛られない部分があるから、そこに響いたのだろう。教師としての態度と事件の真相解明が天秤にかけられ、今まさに後者に傾こうとしている。もう一押しだな。
俺の108個あると言われる必殺技の一つ・『江戸時代を偲ばせる土下座』を披露しようとしていたところ、櫻井さんもつっと前に出て頭を下げる。
「わたしからもお願いします、先生。夢月さんのために」
先生は腕を組んでしばらく考え込んでいるようだったが、やがて顔を上げてOKサインを出した。ついでに俺も頭を下げておくことで、「あ、コイツには協調性があるんだな」というところをアピールしておいた。
美術室は旧校舎の三階にある。世界史準備室と書道室に挟まれており、廊下を挟んだ向かいには今は使われていない家庭科室がある。
美術室に入るのって初めてなんだよな。
室内は長方形のやたら長いテーブルが四つ置かれており、それぞれに椅子がワチャワチャと並べられている。黒板の前には教卓のほかにキャンバスが何個か置いてある。リンゴの絵やら校舎の絵やら、人物画などもあった。
「そういや美術室っていつから閉め切りになったんだっけ」
「事件の翌日にはもう閉まってたと思うよ」
櫻井さんが答えた。
ウロウロと床を見回していると、ちょうど教室の真ん中あたりに血痕が残っていた。恐らくタオルで拭き取られたのだろうが、その残滓が残っている。
「これが血痕か」
俺がかがみこむと、肩越しに夢月が声をかけてくる。
「もうほとんど分からないくらいね」
「ああ。これじゃあどっからどう流れていったのかも分からんな」
膝をついたまま両手をつき、四つん這いになって何かなんでもいいから証拠が残ってないか探してみる。
「ん?」
木製の椅子の四本ある足のうちの一つ、その真ん中あたりに、かすかだが血痕がついている。四角に角ばっているつくりで、これで殴られるとまあ痛いだろうなとは思えるくらいには凶器である。
「凶器はこれね」
「……だが妙だぜ」
「何が?」
櫻井さんが首をかしげる。
「なんでわざわざ椅子なんかを凶器に使ったんだ?」
「それは、近くに椅子があったから……」
「だがなぜ椅子なんだ? ほら見てみろよ」
俺は彫刻刀、ガラス製の壺、やたら尖った竹串など、軽々と持てかつ凶器にも容易に変貌しうるものを指さしていく。二人はなるほどといった風に顎に手を当てて唸った。
「確かに――妙といえば妙ね」
「思いから鈍器としては威力があるんだろうけど、上手く扱えないよねえ」
「ヒョロい山口先生ならなおさら、だな」
俺が何気なく付け加えると、夢月はハッとして俺を見た。が、すぐに顔を赤らめてプイっと目をそらしてしまった。
まあなんにせよ、椅子が本当に凶器だとするのなら、山口先生の線はだいぶ薄れたことになる。かといって先生が椅子を持てないほどのもやしだとは言えないから、完全に疑いが晴れたわけではない。むしろ椅子を凶器に使ったということは、犯人像を一層不明瞭なものにした。
「犯人はアフリカのジャングルから密輸入されたところを脱走したゴリラか。学名はゴリラ・ゴリラ・ゴリラ……」
「真面目にやりなさい」
「つってもよぉ~。さっぱり分かんねえし今日は帰んね?」
録画したプリキュア観たいし。
夢月はそれでも納得しかねるのか、美術室の隅から隅までをくまなく探している。特に床は這いつくばって念入りに観察しているものだから、自然と俺も這いつくばって捜査せざるを得なくなった。
ハッ、これは罠か!?
見えそうで見えない夢月のスカートに覆われたDas Dingを凝視するのをやめ、改めて念入りに調べる。
血痕は床と椅子にしかついていない。その二つの血痕の場所が若干離れているのが気になると言えば気になる。
窓ガラスは割れていない。
テーブルにも血は一切ついていない。ちょっち妙だなと思った。
「おーい、そっちはどうよ?」
櫻井さんと夢月に声をかける。俺が立ち上がったのに対して彼女たちは未だ四つん這いでいたからどこにいるのか分からなかったが、二人ともアザラシが海面から頭を出すみたいにひょっこりと姿を現した。
「こっちは何も見つからなかったよ~」
「同じく」
憮然として夢月が言う。
窓の外に目をやると、もう夕方だった。スケベな格好して走ってた女子陸部は姿を消し、遠くで野球部がトチ狂ったように白球を追いかけてる以外はヒッソリとしたグランドが、心霊スポットみたいにナイターの中に浮かび上がっている。
「じゃあ帰んべ」
「でも――まだ見落としているものがあるかもしれないわ」
夢月がなおも諦めかねているように言う。
「いや、もう美術室を探しても非効率的だろ。証人尋問に戻ろうぜ。遠藤と真田」
「……そう言うからには、あなたは何か分かったのでしょうね」
夢月が皮肉っぽく言う。対する俺はクールに、
「まあな」
とだけ言った。
「え、ほんと!?」
「ああ。後は細かいところを調べてくだけだ」
「あなたって――」
夢月が何か言いかけたが、躊躇した挙句に口をつぐんだ。
学校を出る。こんなに遅くまで残ったことがあまりないから、独特の雰囲気にまだ慣れていない。
「ねえねえ、神奈ちゃんと江神くんって家はどちら?」
ふと、櫻井さんがそんなことを聞いてくる。
「俺は南側」
「私は駅の方だから、北ね」
「ふ~ん。ね、ご飯食べに行かない?」
「急だなあ」
とは言ったものの、青春っぽくていいじゃないの。部活の仲間と帰りに飯なんて、ちょっと前の俺だったら考えられなかったことだ。なにせ中学までは学校行ってソッコー家帰って今期アニメ観るだけの生活だったんだ。
ただ今月はラノベ買い過ぎてちょっとキツいんだよな……。
「ごめんなさい。お誘いは嬉しいのだけど、私の家は門限があるから」
夢月が申し訳なさそうな顔をする。
「あ、そっか~。それならしょうがないね。じゃあ江神くん、二人で行こっか」
「え?」
さりげなく直帰ムーブをかまそうとしてるところに声をかけられ、俺はひとかたならぬ驚きの声を上げた。
「いいの? 俺と二人でって」
「うん。なんで?」
「だってよぉ――」
それデートじゃん、と言おうか迷ったが、あまりにもダサすぎてやめた。モテる男ってこういう時はドンと構えるらしいしな。最悪金無かったら櫻井さんにツケとけばいいし。
「いや、なんでもねぇ。行くか」
「うん。神奈ちゃん、またね」
「ええ。お疲れ様」
「おう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます