山口清太郎
翌日の放課後、さっそく俺たち学生支援部は職員室へ赴いた。
慌ただしく小テストを採点したり次の授業用のペーパーを作ったりしている教師連中が、近くを通るたびにこちらを横目で見てくる。ツレは夢月と櫻井さんと永町というか弱い女子三人衆であり、戦力としては幾分不安な部分があったため、俺はスラックスの両ポケットに手を突っ込んでやや前かがみになり、ガムを噛むフリをして眉間にしわを寄せながらガン飛ばすことをもって威嚇とした。
山口清太郎先生のデスクは職員室の端っこの方にあって、先生本人はコーヒーを飲みながら、猫背でパソコンのキーを叩いていた。
「山口先生」
夢月に声をかけられた先生はビクッとなって恐る恐る顔を上げ、夢月を認めたところで安堵の息をついた。家族共用パソコンでエロサイトを検索してたら母ちゃんに声かけられた時の俺の反応に似ている。
「夢月さんか。どうしたんですか?」
「ちょっと聞きたいことがあって……できれば職員室以外の場所で。よろしいでしょうか?」
「うーん、まあ、いいですよ」
と言って立ち上がる。
先生を仲間に加えた俺たち勇者一行は、学生支援部の部室へと戻った。
「どうぞおかけください」
「ありがとう」
先生は「おいしょ」と言って出された椅子に座った。俺たち四人は彼に対して弧を描くようにして座る。
「先生、単刀直入に伺います。三日前の放課後、あなたは美術室に行きましたか?」
「……なんだって?」
分厚い黒ぶちメガネの奥の瞳が驚きに見張られた。
「先週の放課後に美術室に行ったか聞いたのです」
「そう言われてもなあ……行ってませんけど、それがどうしたんですか?」
「もう一つ聞かせてください。三日前、先生は何時まで・誰と学校にいて、家に帰るまでは何をしたのか、帰ってから何をしていたのか、それを証言できる人はいるのか、教えてください」
俺が横合いから口を挟むと、先生は困惑したように笑った。
「おやおや、これは尋問なんですか?……そうですねえ。勤怠表を見れば分かることなんですが、多分21時まで残業していたんじゃないかな? ほら、もうすぐ定期試験でしょう。物理と物理基礎のテストを作ってたんです。他の先生もまあそのくらいの時間までは残っていました。それで退勤した後は、通勤路にある牛丼屋に立ち寄って夕飯を済ませて、家にまっすぐ帰ってすぐに寝ましたよ。それを証言できる人は――いないんじゃないかな」
教師の忙しさともうすぐ定期試験があるという驚きに引き裂かれそうになりながらも、俺は質問を続ける。
「帰るときは一人で帰ったんですか?」
「ええ」
「通勤手段は?」
「徒歩です。最近健康に気を遣い始めたので……」
「牛丼屋では何を食べたんですか?」
「牛丼の並盛です」
「成人男性にしては少ないですね」
「小食なんですよ」
山口先生の首から下を見る。足元まである白衣に包まれたブカブカのチェックシャツとズボンの下の体型はイマイチ推し量れないが、身長は俺よりだいぶ小さい。立つと、夢月とそう変わらない程度だった。160センチと少しだろうか。
「失礼ですけど、一人暮らしですか?」
「はい。市内の2DKの賃貸に住んでます」
「一人暮らしにしては広いっすね。寮とかですか?」
「いやあ、部屋が広くないと落ち着かないんですよ。結構高いんですけど、しょうがないかなって」
その後、先生の利用した牛丼屋の名前と住所を聞いた。先生は最後まで何のことか分からなかったらしく、「遊びもほどほどにしてくださいね」と言って出て行った。
「いい先生だね。わたしの物理基礎の先生って違う人だからさ」
しばらくして、櫻井さんが言った。
「ええ。分からないところを質問しに行けば、他の先生よりも丁寧に教えてくれるわ」
「まあ、それとこれとは別だがな」
ぼそっと言うと、夢月ににらまれた。
「これからどうするの?」
「さあ。……夢月はどうすんだよ」
「どうすると言われても――」
夢月は困惑と苛立ちの混じった声で答えた。身体を抱きしめるように抱えた両腕をしきりにさすり、ゴム底の上履きで薄汚れたフローリングの床を叩いている。
「とりあえず、さっきの牛丼屋行ってみるか」
「……そうね」
夢月はうなずいた。
俺たちは学校を出て、すぐに件の牛丼屋に向かうことにした。
学校から先生の家までは徒歩でだいたい30分ほどだが、牛丼屋はその半分くらいの道のりにあった。
交通量がほどほどにある国道線沿いに建てられており、駐車場には3台くらい車が停められている。なんの変哲もない牛丼屋だ。
「ご注文おうかがいしますー」
ボタンを押すと、若い女性の店員が水の入ったコップを持ってこちらへ歩いてきた。大学生くらいだろう。茶色に染めた髪の毛をポニーテールに結び、サンバイザーみたいなやつの下に見える目は大きい。
「牛丼並一つと、ネギ玉牛丼一つと、あと3種のチーズ牛丼特盛に温玉付きでお願いします」
「かしこまりましたー。牛丼並一つと、ネギ玉牛丼一つと、3種のチーズ牛丼特盛に温玉付きですねー?」
「はーい。あ、あと一ついいっすか?」
「なんでしょう?」
「店員さんって3日前シフトに入ってました?」
「3日前? えーっと……ああ、多分入ってますね」
「何時から何時まででした?」
「18時から22時まででしたよ」
「その間に来たお客さんの中に、身長165センチくらいの痩せた男はいませんでしたか? 眼鏡をかけた」
「うーん……てか君、なんでそんなこと聞くの? もしかして私服警察とか?」
ふいに砕けた口調でフランクに接してきた店員に面食らいながら、俺は秘密を打ち明けるように声をひそめた。
「アララ、バレちゃったか。何を隠そう、西の服部、東の工藤、北のサブちゃんに南の江神とはまさしく俺がァことよ」
「南は拓実じゃないの?」
店員はうんうん唸っていたが、
「ああ、そういえば……閉店間際に慌てて入ってきた人が一人いたかも。『すみません、今から大丈夫ですか!?』って汗だくで言ってさ。ちょっと笑っちゃったんだよね」
「その人はどんな服装でしたか?」
「どんな服装……緑と黒のチェックシャツに、ぶかぶかのズボンだったよ」
「その人は何を注文しました?」
「伝票見れば分かるけど、多分牛丼並盛だったと思うなあ」
「ほかに何か気づいたことは?」
「えーっと……なんかすごく焦ってるみたいだったけど」
「焦ってる?」
「うん。走って店に入って来たし、注文して待ってる間もそわそわしてたし、食べるのもすごく早かったから、それはすっごく印象に残ってる」
「そうですか。ありがとうございました」
牛丼が来た。俺たちは無言で飯を食った。櫻井は意外にも健啖ぶりを発揮したが、夢月は長い髪の毛を耳にかけ、小さな口で牛丼を食べた。並盛の半分もいかないうちにペースが落ちて、食べ終わった頃には腹をさすっていた。
店を出ると、すでに日は西へ傾いていた。赤と黄と紫のグラデーションの中に、黒い鳥の影が1羽飛んでいき、消えていった。
「なんか分かった?」
櫻井さんが俺と夢月に聞いてきた。
「……いえ、あれだけでは先生がここへ来たとは」
「ああ。ミスったな。先生の写真を持ってくるんだった。あと、証人尋問は後回しにして現場を見るべきだった」
「でも現場は今立ち入り禁止になっているでしょう」
「松村先生に頼めば開けてくれるだろ」
「でも私たちが見たところで――」
「なに今更及び腰になってんだよ。もうやるっきゃねえだろうが」
俺は夢月をにらんだ。彼女は消え入りそうな表情を浮かべ、左腕でしきりに右腕の二の腕あたりをさすっている。
「ええ、そう、そうだけど、もし……」
「もし先生が犯人だったら、か?」
夢月は下唇を噛みしめた。ちょっと言い方間違えたかな。
夢月の気にかかっているのは、牛丼屋に来た山口先生が――仮にそれが山口先生だとしたらの話だが――焦っていた、という証言だろう。あまり良い状況とは言えない。
こういう時、気の利いたことが一言でも言えたら俺も今日からモテ男の仲間入りなのだろう。ちょっと悔しいな。
「ま、地道にやろーや。千里の道も一歩からっつうだろ」
「そうね……」
夢月は腕をさするのをやめ、きびきびと歩き始めた。
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