事件の依頼

 ある週、授業を終えたかったるいコンディションの下でガタガタウルセードアを開けると、夢月が見知らぬ男子生徒と向かい合っていた。


「あら、お疲れ様」

「……うっす」


 二人からはなるべく離れた場所に陣取って本を読み始める。


「ちょっと」

「ああ?」


 顔を上げると、夢月が俺の目の前まで来て腕を組み、蔑む目で俺のことを見下ろしている。


「んだよ」

「んだよ、じゃないでしょう。依頼人が来てるのだから、今は部活動の最中よ」

「……マジか」


 ったく、ホイホイ来んじゃねーよ。高齢者御用達の病院じゃねえんだからここは。


 依頼人は所在なさげに古びた椅子に腰かけていた。肩を落として陰を帯びた表情を浮かべていたが、丸刈りの頭やゴツイ身体つきからして、まあ野球部だろう。俺が最も苦手とする人種の一人だ。


「話の腰を折ってごめんなさい。彼もここの部員だから、一緒に聞いてもらおうと思って」

「あ、ああ、そうだったのか」


 小型ステイサムみたいな男子は俺の方を一瞬だけ見ると、すぐに夢月の方に視線を戻した。いや、正確には――夢月の胸元。しかし彼女は巨乳とかそういうわけじゃないし、制服を着崩してるなんてこともない。一体何を見てるんだ……幻覚か……レッドクリフか……?


「だからさ、智美を襲った犯人は山口なんだよ! アイツを告発してくれ!」

「物騒な話だな。何があったんだ?」


 ステイサムJrはこちらを向いた。


 夢月が説明する。


「手身近に言うと、彼の彼女さんが美術室で何者かに頭を殴られた。その犯人は山口やまぐち先生に違いない。だから彼を警察に突き出してくれっていうこと」

「ふーん……なら警察行けよ」

「無理なんだよ! 先生に言ったら……『警察沙汰にはしないでくれ』の一点張りでさあ! ぜってー身内かばってんだよアイツら!」


 ステイサムが吠えるのを、夢月は冷然と見ていた。


「夢月、お前は信じてないみたいだな」

「ええ。私は山口先生がやったとは思えない。彼、とてもいい先生だもの」

「あんな噂が広まってるのにか?」

「それは……」


 夢月は膝の上でつくった拳を握りしめた。


「……すまん」

「いいえ。ただ、やっぱり私には先生がやったとは思えない。少なくとも、本人が認めない限りは」

「だが――!」

「落ち着けよステイサム」


 横合いから口を出した俺を、彼はギロリとにらんだ。


「俺には川原一郎かわはらいちろうって名前があんだよ」

「分かった、川原。俺にも教えてくれよ、その話。えーっと、彼女が殴られたんだよな? 具体的に、どういう状況で?」

「……智美は、一昨日の放課後、美術室で頭から血を流していたのを発見されたらしい。俺がそれを知ったのは、彼女が病院に搬送されたということを知った時だった。野球の練習中だったんでな」

「それは誰から聞いたんだ?」

「第一発見者の遠藤って奴だよ。仲良いから俺と智美が付き合ってることも知ってる」

「遠藤はどういう経緯で見つけたんだ?」

「それは……知らねえ」


 川原の鉢に力が入った。


「愛しい彼女は無事だったのか?」

「後遺症は残らないっていう話らしい」

「彼女は事件についてなんて言ってるんだ?」

「聞くわけねえだろそんなこと。事件のことなんか思い出させないに決まってんだろうが」

「なんで山口先生が犯人だって言うんだ?」

「んなもん見た奴がいるからに決まってんだろうが」

「見た? 誰が? 何を?」

「だからよお! 真田って女子が山口が美術室に入って出て行ったのを見たんだと! その後すぐに遠藤が美術室に入ったっつうんだから、これ確定だろうが!」

「ほかに知ってることは?」

「ねえよ! これでもう分かっただろ? 山口がやったんだってぜってー!」


 その後もヒステリックに山口先生を糾弾する川原をなだめて帰すと、不快感を隠しもせずに、夢月には珍しく感情的な声で言った。


「知性の欠片もない男ね。下劣で、おまけに自分の言動が周りにどんな影響を及ぼすかも理解できていない。類人猿以下よ」

「言ってやんなよ。ただ、アイツから大したことが聞けなかったのも事実だな。もしお前が依頼を受けるんだったら、聞き込みもしなくちゃならん」

「受けるに決まってるでしょう!」


 夢月が声を荒げた。自分の声が教室に反響した音を聞き、ハッとしてつぶやくように「先生の濡れ衣がかかってるんだもの」と言った。


 ひょっとしてコイツ山口先生のこと好きなのかな? 学校屈指の美少女の男の趣味としては決していいとは言えんが……まあ、他人の恋愛に口を出せるほど俺も経験があるわけじゃないし、ここは善き隣人として応援してやろうじゃないの。


 ガラガラとドアが開き、櫻井さんが息を切らしながら入ってきた。


「はあっ、はあっ、ご、ごめん、遅くなって!」

「気にすんなよ。俺も今来たとこだし」

「いやーそんなわけにはいかないよ」


 櫻井さんはカバンをガサゴソと漁って、


「はいこれ、遅刻のお詫び」


 そう言って、俺と夢月の手のひらにチロルチョコをチョコンと載せた。


「おお? チョコ?」

「うん。いつも持ち歩いてるから」

「賞味期限切れてんじゃねえだろうなこれ……」

「あなたは人の厚意をなんだと思っているの?」


 それにしても女の子からチョコか。遅すぎたバレンタインデーだな。ったく……江神涼介は365日バレンタインデーだからいつでも大歓迎ですよ。チョコ大好き。もっと言えば女の子の体温で若干溶けかかってたらなお良し。


「二人とも何の話してたの?」


 櫻井さんが椅子に腰かけながら話しかけてくる。


「ん? まあ、ちょっとな。部活動だよ」

「とゆーことは、依頼来たの?」

「まあそういうことになるな」


 櫻井は目を輝かせた。


「じゃあわたしにとっては初めての部活動だね! ど、どんな依頼が来たの……?」

「簡単に言うと、女子生徒を襲った犯人を捕まえてくれということね」

「女子生徒を……襲った……?」

「被害者は入院中らしいぞ」

「そ、それってもしかして――智美さとみちゃんのこと?」

「なんだ知ってるのか」

「知ってるも何も、友達だもん。入院してるってことは聞いたけど……まさかそんな、襲われただなんて」


 友達だというのに聞いていないのだろうか?


「野球部の川原って奴曰く、そうらしいぞ」

「ああ、彼氏さんね」

「それも知ってるのか。櫻井さんは俺らよりも事情に詳しいかもな」

「で、でも襲われたなんてことは……」


 櫻井さんが悲痛な顔を浮かべた。


「とりあえず、現時点で分かってることは


  ・現場は美術室

  ・川原が部活動中に事件が発覚したってことだから、だいたい放課後に凶行が行われた

  ・第一発見者は遠藤という男子生徒

  ・事件発覚の前、真田という女子生徒が、美術室に入る山口先生を見ていた


 ってところだな」

「なんかそれだけだと山口先生が怪しい感じもするけど……」

「決定的な証拠はないわ」


 夢月が毅然として言い放つ。

「ああ、決定的な証拠はないが……まずは山口先生、遠藤という男子生徒、真田という女子生徒から話を聞いてみる必要があるな」

「江神くん、やる気満々だね」


 櫻井さんがふふっと微笑む。


「あァ? んなこたあねーよ。ちゃっちゃと片付けりゃあまた自由になれんだろうが」


 俺は頭をかいて目をそむけた。

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