ドッペルゲンガー先生の謎 ~The Doppelgänger Teacher Mystery~

プロローグ ~親睦会~


 土曜日、午後6時43分。


 俺は仙台駅構内のステンドグラスに立ち、口笛を吹くフリをしながらスマホでエロ小説を読んでいた。


 思わず前かがみになっていると、改札を出てきた永町が姿を見せる。キョロキョロとしているので出迎えに言ってやると、彼女は俺を見つけて一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに不機嫌そうな表情を浮かべた。


「なんだ、江神か……」

「なんだとはなんだよ」


 二人で再びステンドグラス前に戻る。


 ステンドグラスステンドグラスっつってるけど、このステンドグラスって何なんだろうなマジで。ステンドグラスっつうと普通教会を思い浮かべるだろうし、イエスやら12使徒やら聖人伝説やらが描かれてるもんだが、これはなんだかよく分からない図柄だ。強いて言うなら、小学四年生の図工の時間に俺がビー玉に絵の具つけてテキトーに転がした結果出来上がった図柄に似ている。


「今日どこ行くんだっけ?」


 そんなことを考えていると、永町が話しかけてきた。


「あ? 焼肉じゃなかったっけな確か……」

「焼肉か~。あたしこう見えても焼肉好きなんだよね」

「こう見えてもっつうか見たまんまだよな」

「えーそれどうゆうこと?」


 永町が笑いながら言う。


 今日の彼女はゆったりしたTシャツにショートパンツというラフなファッションで、それ何が入んの?って思うくらいの小さいバッグを肩にひっかけている。


「なんかお前肉食系っつうかさ。そんな感じがすンだわ」

「あたし全然そんなんじゃないよ。どっちかってゆうと奥手だし」

「へえ~」


 沈黙。


 最近永町とか夢月とかと話すようになって一気にコミュ障克服したと思ってたけど、現実はそんなに簡単じゃなかったらしい。


 俺は沈黙があまり苦じゃないからボケーっと突っ立っているが、永町は所在なさげにシャンソン歌手みたいに身体をゆらゆら揺らしている。スマホをいじろうにも、俺という存在がいるせいで遠慮しているらしい。


 なんかめっちゃ申し訳なくなってきた……陰キャでごめんなさい……。


 永町が話しかけてくる。


「そういえば、江神って友達いないの?」

「おいおい、的確に俺の弱点攻撃すんじゃねえよ」


 こいつモンハンだったらシルソル一式で弱点特攻プラス2くらいついてるな。


「やー、あたしも最初はド陰キャだと思ってたんだけどさ。江神って普通に話せるし、面白いし、友達くらいいてもおかしくないのになあって思ってさ」

「俺はお前がたった一人の友達だよ」

「は? マジでやめてくれない?」


 こいつモンハンだったらゴルルナ一式で破壊王プラス2くらいついてるな。どうでもいいけどシルソルはシルソルで通じるのにゴルルナをゴルルナって言ってるのって意外と聞かない。


「あ、もう来てたんだ」


 櫻井さんが夢月さんと連れ立ってこちらへ歩いてきた。そこらの男たちの目はすべて彼女たちに盗まれている。それくらい彼女たちには華があった。


 櫻井さんは白のフワッとした半袖に黒のロングスカートを合わせている。対する夢月は、襟付きのシャツに黒の七分のズボンを履いていた。二人ともそれぞれに個性があって、それぞれ綺麗だった。特に肩掛けカバンのヒモによって、櫻井さんのおっぱいが強調されているのが非常に俺としても助かる。服の勉強ちょっとしといてよかった。


「あ、やっほー二人とも!」

「おはよ。日向、江神くん」

「……おはよう」

「うっす」


 永町と櫻井さんが両手をワチャワチャ組み合わせたり抱きあったりしている。これが宮城県の秘境に住むと言われるジョシ族の伝統的な挨拶か。なんかこう、胸にこみあげてくるものがあるな。


「何気持ち悪い顔をしてるのよ、江神くん」


 夢月が不快そうな顔でこちらを見てくる。


「お前もやんないの? ああいうスキンシップ」

「やるわけないでしょ。あんなの意味ないもの」

「とか言ってほんとは恥ずかしいんだろ」

「恥ずかしいわね、人前であんなにベタベタと。動物じゃないのだから」


 少なくとも友達に対して言う言葉じゃない。


 夢月は俺の頭からつま先をジロジロと見ると、ため息をついた。


「どうした? 天皇賞の予想でも外れたか?」

「そんなわけないでしょう。……なぜあなた、学校の体操着を着ているの?」


 彼女の言う通り、俺の今日の服装はなんか英語がビッシリ書かれた半袖に、学校指定の体育着の半ズボンというものだ。


「いいだろ別に。今日は学生支援部としての集まりなんだろ? じゃあ体育着が無難だろうが」

「私や櫻井さんの服装を見てもそんなことが言えるの?」

「すまん、服持ってないんだよ俺」


 スマホでエロ小説の続きを読んでいると、最後の待ち合わせの人物がやって来た。女性の中ではかなりの長身を誇るその女性は、遠くからでも見分けがつくほど目立っている。


「お、もう四人とも来てるな」


 松村先生は休日だというのに上下スーツでバッチリ決めている。バリキャリOLみたいな風格を出しているが、しきりとポケットを探った挙句にお目当てのタバコを見つけて目を輝かせている様子とのギャップがすごい。


「先生、おはようございます」


 櫻井さんがぺこりと頭を下げる。


「うむ、おはよう。さて、では行こうか」

「あの、ちょっといいスか?」


 右手を上げて発言の許可を求めると、


「なにかね?」


 と尊大な態度で先生は言った。


「これ、生活支援部の懇親会なんですよね?」

「ああ、そうだな」

「じゃあなんで永町いるんすか? 部外者でしょコイツ」

「はあっ!? なんでそんなことゆーの!?」


 俺が指さすと、永町は怒って突っかかってきた。


 松村先生はチッチッと指を振る。


「来るものは拒まずの精神だよ。それに櫻井も知り合いがいた方が気が楽だろう?」

「俺と夢月は知り合いいないんすけど」

「私がいるだろう? 江神」

「先生……」


 目をそらしながら言わないでください……。





 俺たちは駅前にある焼き肉屋に移動した。


 すでに先生が予約してくれており、奥の個室に通される。掘りごたつ式の席で、テーブルの中央には金網が置かれている。なかなか良さげなんじゃねえの?


 俺と夢月と先生、櫻井さんと永町がそれぞれ隣り合って座り、向かい合う。


「まずは注文をさっさと済ませてしまおう」

「っす。ちなみにこれ、先生の奢りなんすよね?」

「ああ、もちろん。どんどん頼んでいいぞ」


 先生はえっへんと、豊かな胸を張った。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。生徒は先生に甘えるもんだし。


「すいませーん」


 俺が声を上げると、店員が電卓みたいなコンソール片手に小走りで駆け寄ってきた。


「注文お願いします。特上カルビ、特上タン、ハラミ、ヒレ、和牛タン塩全部五人前で」

「かしこまりました。繰り返します。特上カルビ、特上タン、ハラミ、ヒレ、和牛タン塩全部五人前でよろしかったでしょうか?」

「はい、お願いしゃーっす」


 店員が部屋を出ていき、先生の顔を見ると、仏陀が魔界に落ちたらこんな顔になるのかなと思うほどの形相を浮かべて俺をにらんでいた。


「な、なんですか」

「江神……今のでいくらくらいだ?」

「うぇ? えーっと……2万くらいですね」

「江神、お前に命令だ。明日日雇いのバイトを入れろ。16時間、休憩抜きでな」


 労基署も真っ青な発言をした先生は、「今月のクレカの残額は……」と思い詰めた表情でスマホを操作し始めた。


「ね、ねえ、いいのかな?」


 櫻井さんが不安そうな顔で聞いてくる。


「アァ? 別にいいだろ。生徒の手前自分の発言を撤回なんてできないだろうし」


 代わりに俺の明日が犠牲になったけどね。


 しばらくして、さっきの店員が皿を五つ持って部屋へ入ってくる。なんか皿回し芸人みたいだなと思った。


「お待たせしました、こちら特上カルビ、特上タン、ハラミ、ヒレ、和牛タン塩になります」

「おお、来たよ来たよ」


 揃いも揃ってあほ面下げて皿に載ってやがる。ククク、これから地獄の業火でダンスっちまうということも知らずに……。


「てかなんで江神はこれセレクトしたの?」

「ん? まあなんつーか、ビビッと来たっていうかな。ジャニーさんが松潤に会った時みたいな感じだよ」


 ほんとは一番高いものを注文しただけなんだけどな。


 櫻井さんがトングを手に取って率先して肉を焼いていく。焼肉屋で率先して肉焼いてくれる女は合コンでサラダ取り分ける女よりも点数高いって、これマメね。


 最初は弱かった火勢が徐々に強くなり、やがて威勢のいい音を立てながら肉が煙を上げ始める。やがて瞬く間に煙でお互いの顔が分からないくらいになっていく。ってちょっと待て。いくらなんでも煙出すぎじゃねえか?


「あ! 先生! タバコ吸わないでくださいよ!」


 なんかほのかにミントっぽい香りがするなと思ったら、先生が何食わぬ顔でスパスパとタバコを吸っていた。


「いいだろう別に。室内禁煙なんて言われてないからな」

「だからって未成年の前で吸わないでくださいよ! しかもメビウスの臭いと肉の焼けるにおいが混ざってなんか鼻曲がりそうだし」

「どうして未成年なのにタバコの銘柄が分かるんだお前は……」


 ちょっとしたテロだぞこれ。


 やがて肉が程よい具合に焼けてきたので、今度は永町がみんなの取り皿に肉を焼け始めた。焼肉を取り皿に分ける女は焼肉を率先して焼く女と甲乙つけがたいってマイケル〇岡も言ってるからね。


「あ、俺そのあんま焼けてないやつね」

「いいけど……お腹壊さないの?」

「ばっかおめー、牛肉は生焼けがちょうどいいんだよ」


 そう言いながら夢月の皿に真っ黒に焦げた肉だったものを置いたら、掘りごたつの下で思い切り脚を踏まれた。地味に痛かった。


 一通り食べ終え、俺たちの満腹具合と先生の顔の青ざめ具合がいい感じになってきたところで、永町が最近の学校の噂なんかをペラペラ話し始めた。櫻井さんはフムフムとかわいらしく頷いて聞いており、意外なことに夢月も耳を傾けているらしかった。まあコイツ学校に友達いなさそうだしな。こういう機会でネタを得るのもいいだろう。


「そんで物理の山口センセがさあ~。最近ちょっとアレなんだよね~」

「アレって?」

「女生徒に円持ちかけてるらしいってゆーか」


 円? 円ってJAPANESE YENか? 「今フィリピンペソがアツいから買っときゃ当たるって!」とか言って持ち掛けんのか? 女子高生にFX持ちかけるとか証券営業マン並みにやり口がきたねーな。


「それって……」

「まあもちろん噂でしかないんだけどねー。ただ、実際に持ちかけられた人もいるみたいだから信ぴょう性は高いかも」


 噂だけで断罪されるとか魔女狩りかよ。


「ねえ江神、聞いてる?」

「ん? ああ、聞いてるぜ。JKに外為ディーリングははえーよ。分散投資で我慢しときな」


 ヘルシュタット・ナイトメアが再現される日も近いなこりゃ。


「あなたは何を言っているの?」


 夢月がデザートの杏仁豆腐をほおばりながらあきれ声を出す。


「え?」

「円っていうのは援助交際の略よ。女性にお金を渡して性的な交渉をすることよ、お猿さん」


 なっ……!



「ふっ――ざけんな!」



 俺が義憤にかられる声を出したせいか、向かいの永町と櫻井さんがビクッと震えた。


「あ、あなた……やけに反応するのね」

「あン? ったりめーだろ!」


 JKに……JKに援交ってそんなうらや――ダメだろ! あれはAVとかエロ小説の設定に使うからいいのであって、そんな先生が生徒となんて――ダメだろ!


「クソッ、マジで許せねえ。俺のエロ小説購入代返せ……」

「何をブツブツ言っているの?」

「いや、別に」


 夢月は怪訝そうに眉をひそめた。





 懇親会も終わり、俺は松村先生と二人っきりで日の暮れた青葉通りを歩いていた。なんか永町も櫻井さんも夢月も親が迎えに来てくれていた。先生も地下鉄で帰る予定だったのだが、俺が一人で帰るということを聞いて、「なら私も一緒に帰ろう。ちょっと歩こうか」と言ってくれた。マジでイケメン。


 先生は歩きタバコをしていたが、俺が文句を言う前に吸うのをやめた。


「江神、今日はどうだった?」

「どうって――」


 俺は先生から先行していた歩みを止めた。


「懇親会だよ。楽しかったか?」

「ああ、まあ」


 俺はポケットに突っ込んだ手に力を込めた。夏らしくなってきたとはいえまだ夜は寒気が痕跡を残しているので、半袖半ズボンの俺にはそれが少し応えた。


 先生は力なく笑った。


「それなら良かったよ。今回の会はな、お前のために開いたんだよ。お節介だと思われてたらどうしようと思ったが――」

「お節介だとは思ってます。ほっといてくれりゃあいいのに」

「そうはいかんよ」


 先生は俺の右肩に左手をかけた。


「私はお前の教師だ。教師っていうのは勉強を教えるだけでなく、生徒を正しい道に導いてやらないといけない」

「大変っすねえ。なんか俺が間違った道を進んでるように聞こえますけど」

「私にはそう思う。お前も夢月もそうだが、もう少し人と仲良くしたらどうだ」

「仲良くしてるじゃないですか。普通に会話できてるし」

「そういうことじゃないんだがなあ」


 夜の街はますます活気づき始め、若者や社畜っぽいスーツ姿の人たちがそこの支配者になる。居酒屋と市場とスーパーが混在したこの辺りでは見慣れた光景だが、それでも俺にとってこの変貌ぶりは、別の世界に迷い込んだかのような不安感を与える。


「ま、気にかけてくれるだけでもありがたいですよ。しかもこんな美人に」

「お前は将来女を泣かせるような男になりそうで今から心配だよ」


 そう言って先生は苦笑いした。


「そういえば」


 松村先生は思い出したように言い、顔を陰らせた。


「どうしたんすか?」

「永町のあの話――本当なのか?」

「永町の……ああ。山口先生の噂ですか。教室でも話してる奴は何人もいますね。うちには被害者いないみたいですけど、他のクラスだとどうだか」


 山口先生っていうのは物理の先生で、30も半ばを過ぎたくらいだと聞いている。手入れのされていないボサボサの髪に野暮ったい眼鏡、四六時中身長ほどもある白衣を着ていて服装もだらしがない。その外見に加えて話し方もボソボソとしていて聞き取りにくいし、いつもオドオドしていて頼りなさそうな感じだから、女子生徒には完全になめられている。俺でさえもうちょいシャキッとしてほしいと思うくらいなのだ。


「そうか」

「なんか先生、悲しそうですね。好きなんすか?」

「そういうわけじゃないが……尊敬はしているよ。教師として」

「へえ~。そうは見えませんけど」

「色々あったんだよ、彼にも」


 俺はそれ以上聞こうと思わなかった。聞いてしまえば何かしらの義務が発生しそうだった。そうして俺はその義務を放棄できないだろうなと思った。


 先生もそれ以上話題に触れたくないようで、再びタバコを吸い始めた。先生の口から出た煙が、街灯の中で幻のように揺らめいていた。

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