江神涼介の推理

 俺と夢月、永町と櫻井さん的な人がそれぞれ隣り合って座る。


 各自注文を済ませたところで、櫻井さんがまず口を開いた。


「さっきはごめんなさい」

「え?」


 俺が聞き返すと、櫻井さんは一層表情を暗くさせた。


「わたしが人目が怖いことを察してくれたんだよね?」

「いや、そんなことない。ただ単に俺が人混み苦手すぎてきな。あの場にあと三秒いたら、翌朝には冷たくなっているところを発見されただろうな」

「あはは、なにそれ」


 永町が笑うのにつられて、櫻井さんも微笑みを浮かべた。可愛いと思ってしまった。いや、正直に言おう。俺この子のこと好きになっちゃうかもしれない。


 櫻井さんは何というか、ものすごく可愛い女の子なんだけど、連日の精神的疲労にやられてしまって表情に覇気がなく、やつれているようにも思える。


「そういや俺と永町って同じクラスなんだよな。櫻井さんはどのクラス?」

「あ、わたしはC組」

「C組かあ。あそこ知り合い居ないんだよなあ。どんなクラス?」


 こう聞くことで、さりげない話題提供をしつつ俺が友達のいないボッチであることを隠すことができて一石二鳥なのだ。というかいきなり友達が得体のしれないボッチを連れてきたら、普通怖くて何も喋れんだろ。


 櫻井さんは小首をかしげた。


「どうだろ、みんないい人だけど」

「そっかあ。いやA組はやばいぜマジで。全然馴染めないわ」

「はあ!? んなことないっしょ!」


 やべ、A組が他にいることすっかり忘れてた。永町は半分小ばかにしたような、半分イラっとしたような表情を浮かべている。


「それ江神が単にコミュ力なさすぎなだけっしょ」

「あ、江神くんっていうんだ」


 今更のように櫻井は言った。


「あ、そういえば自己紹介とかしてなかったっけ。江神涼介こうがみりょうすけです。A組でアウトサイダーやってます」


櫻井奏音さくらいかのんです。奏音って字はね、奏でるに音って書くんだよ」

「へえ、じゃあ音楽とかやんの?」


 俺がそう言った途端、櫻井と永町は暗い表情を浮かべた。


 やべ、もしかして地雷踏んだ?


 俺の危険回避センターが柳沢慎吾のようにウーウー鳴り響く。そんな時に俺が打つべき手は一つ。すなわち諧謔だ!


「や、俺も実は音楽やってたんだよ。90年代UK志向の。レディオヘッドとかオアシスとか好きなんだよね俺。でもラストライブでヤクの発作出ちまってさ、ぶっ倒れて終わっちゃったんだよ」


 見事に滑り倒した空気感になった。


 店員が来て俺たちの前に料理を配膳していく。俺は担々麺、夢月はエビチリ、永町はチャーハン、櫻井さんは天津飯。


 4人とも黙々と食事を進める。


 元来人と話すことが苦手な俺とさっきから一言もしゃべってない夢月は自然の成り行きだったが、今どきのJKっぽい二人は食事中もぺちゃくちゃ喋るもんだと思ってたわ。連れの俺の株も上がるってもんだ。そして彼女たちは俺を連れていることによって株が下がっているから、これはゼロサムゲームになるわけか。

 人知れず希死念慮に苛まれている俺に対し、永町が話しかけてきた。


「ねえ、江神。そろそろ本題に入ったら?」

「ん? ああ。櫻井さんもいい?」


 櫻井さんは天津飯をやっと半分食べたところだったが、うなずいてスプーンを置いた。夢月も耳だけをこちらに貸しているようだ。


「よく心して聞いてほしい。そしてできれば質問に答えてほしい。もしツラかったらすぐ言ってくれ。実は俺、あんまり友達がいないから、そういうところの線引きができないんだ」


 櫻井さんは真剣な表情でうなずいた。


「あの動画のことなんだが……まず、合成ではないよな?」


 櫻井さんはびくりとしたが、おずおずと首を振る。俺は続けて、


「あの本は絵本だったな。タイトルは確か――」

「『ゴリラのTとなつのふしぎのぼうけん』……」


 かすかな声で櫻井さんが言う。


「そう、『ゴリラのTとなつのふしぎのぼうけん』。それそれ、それだ。いや、そんな絵本聞いたことなかったもんだから、俺もインターネットで調べてみたんだよ。そしたら驚いたな。初版が1903年。そしてそれ以降の版は出ていない。つまり稀覯本と言いうるってことだ」

「きこーぼんって何?」


 永町がきいてきた。


「めったに出回らない貴重な古本ってことよ」


 夢月が補足する。


「つまりその『ゴリラのTとなつのふしぎのぼうけん』は滅多に出回らない本ってことなのね?」

「そういうことだよ。で、滅多に出回らないってことは値段も張るってことだ。これも調べてみたんだが、その絵本は初版で15冊が出されただけ。つまり世界に15冊しかない。驚いたよ。古本屋の通販で見たら10万は下らなかった。保存状態が良ければ、あれは30万いってもおかしくない」

「さ、さん……」


 永町が目を白黒させながら指を折って数えていた。櫻井はやはり暗い表情を浮かべたままで、それが俺が今まで述べてきたことが真実であることを告げていた。そして多分、彼女は見てしまったのだろう。


「さて、櫻井さん。あんたが手に取った絵本はいくらだった?」

「……16万円だったよ」


 櫻井は力なく笑い、永町は彼女を張りつめた目で凝視した。夢月の表情にも多少の驚きが浮かんだ。


「ちょ、ちょっとタンマ!」


 ふいに永町が声を上げた。


「なんだよ」

「それだとまるで、『櫻井奏音は絵本が欲しかった。しかしそれはとても高価で、高校生が手を出せる代物じゃなかった。だから万引きした』って聞こえるんだけど。それじゃあまるで、奏音が完全に悪いみたいじゃん!」

「そうとも言えるな」

「全然そんなの良くない! あたしが頼んだのは、奏音の濡れ衣を晴らすってことだったじゃん!」


 永町がテーブルをバンと叩いて腰を浮かせる。


「おいおい、お前は親友から何を聞いていたんだ? そして昨日俺に何を話した?」

「え? えーっと……」


 永町は例のゴテッゴテのスマホを取り出して(なんかアクセサリが一つ増えてた気がする)、俺とのメッセージ履歴を見た。


「ああ、これ? 『なんか、おじいちゃんがどうこうって言ってたよ。ちょっと取り乱しちゃってたから詳しくは分からないけど……』ってやつ」

「そう、それだよ」

「だからこれがどう繋がんの?」

「つまりだな、『櫻井奏音は絵本が欲しかった。。しかしそれはとても高価で、高校生が手を出せる代物じゃなかった。だから万引きした』っていう解釈ができるんだよ」

「あっ……」


 永町が固まった。

 そして、櫻井さんは目を見開いて俺を見た。


「ど、どうしてそれを?」

「推測だけど当たったみたいだな。まあ、高校生にもなって絵本を読む目的で買う奴はいない。一方で櫻井さんはコレクターでもない。じゃあ何のためだ? いろいろな推論が成り立つが、最も妥当なのは、ってことだよ。絵本にまつわる思い出、それは昔よく読んでいたものだというのが一番確からしい。そこにおじいちゃんという単語が入ると、多分それはおじいちゃんが櫻井さんにその絵本を読み聞かせていたんじゃないかって思ったわけだ」

「確かに……奏音っておじいちゃん子だったし……」


 櫻井さんは、もはや驚きを通り越して変なものでも見る目で俺を見ていた。やめてほしい。その目を見てると中学時代思い出しちゃうから。右目に眼帯付けて登校してたこと思い出すから。


「た、確かにその通りだよ! すごいよ江神くん! すごい!」


 今まで受けたことのない女子からの賛辞を受けて俺は固まった。と同時に、櫻井さんの顔から暗い影が払われたのを見て、俺は安心した。


「でも、結局それだと奏音はただの万引き犯ってことになっちゃう……」

「ううん、それが事実だから。しょうがないよ」


 櫻井さんはそう言って寂しげな笑顔を浮かべ、罪を認めた。


 確かに、真実とは一面的に見るとそんな風になるのだろう。一つのスポットを取り上げると、そんな風に事件は単純な現象として解決されるのだろう。


 櫻井さんは窃盗の罪で裁かれるべきだ。それは間違いない。


 しかし、同時に俺は永町からまったく反対の依頼を受けている。それも達成しなければならない。なんだこれ、かぐや姫よりもえげつない問題じゃねーか。


「俺もそう思うよ。だから最後の希望にすがんだよ」

「さいごの……きぼう?」


 櫻井さんが小首をかしげる。めっちゃ可愛い。


「櫻井さん、あれ持ってきてくれた?」

「あれ……ああ、うん」


 そう言って櫻井さんがカバンから取り出したのは、「買取目録」という名前の入ったA4の紙。「櫻井 ヒロシ様」という宛名があって、半分以上は本の名前と買取査定額で埋め尽くされている。


「おばあちゃん、ものを大事にとっておくタイプだからさ。段ボール探したらあったよ」

「ありがとう、助かる」


 紙を受け取り、目を通す。最後まで読んだところで、思わず俺は口をニヤつかせた。


「なにニヤニヤしてんの、キモ……」


 永町の心ない暴言にもめげずに、


「これで光明は見つけられた。後はどう学校の空気を払しょくするかだが――」

「ちょ、ちょっと待って」


 櫻井さんが俺の言葉をさえぎる。


「どうした?」

「光明って、どういうこと?」

「ああ」


 俺はテーブルに置いた目録を指でトントンと叩いた。


「この目録には『ゴリラのTとなつのふしぎのぼうけん』なんてタイトルはどこにもない」

「……って、どういうこと?」

「俺が思うに、

「だ――誰に!?」

「そりゃその古本屋にだよ。モチのロンで」

「確かに……この目録に書いてる古本屋、この前入ったあの古本屋と名前が同じ……」

「まだ可能性の域は出ていないが、俺は多分これで正解だと思う。古本屋は好きじゃないとできない商売だから、そういうマニアが思わずやっちまった可能性は否定できないし、状況からして十分ありうる。多分絵本は盗んでからすぐに書庫にでも仕舞ったんだろうが、店の収益が悪化したかして売りに出したんだろうな。……ところで」


 俺はそこではっと思い至った。


「なんで櫻井さんは、並んでいる絵本がおじいさんのだって分かったんだ?」

「ああ、それはね。絵本の最後のページの隅に、おじいちゃんは小さくサインを書いてたんだ。ほんとに小さいから、よく見ないと気付かないくらい。……わたしが絵本を万引きしたのも、懐かしいなあって読んでた時にそれを見つけたからで……」

「なるほどな。だが、それで万引きをするのは褒められたものじゃない。むしろ、絶対に許されるものじゃない」

「そ、そうだよね……」

「ちょっと、江神!」


 分かりやすく落ち込む櫻井さんをかばって、永町が抗議の声を上げた。


「いや、すまん。だが事実を言っただけだ。犯罪は許されるもんじゃない」

「けど、何も今言わなくったって――」

「まあ、許されるものじゃないが、グレーゾーンに引き込むことはできるぜ」


 櫻井さんが顔を上げた。それに対して笑みをつくる。俺はうまく笑えているだろうか。


「つまり、相手の罪で相殺すりゃあいいんだ」

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