「オルタナティブ美術館」

五百四十六号書架 き 百五十六区

二十四番

八千二百五十二巻 六百九十九頁 四百六十六章

六十四節


「オルタナティブ美術館」


 美術館の壁は吐く息よりも白い。

 バスを降りたのはわたしだけだった。隣接する公園に人影はなく、普段は子供たちが走り回っている芝生は一面雪に覆われている。

 その真ん中にぽつんと建つ漆喰塗りの建物が、私の目的地だった。

 寒さで真っ赤に染まっているだろう鼻を、ぐるぐるに巻いたマフラーに埋めるようにして駐車場を横切っていく。停まっている車は片手で数えて足りるほどだ。今日はきっと静かに違いない。特別展があるわけでもない、しかもこんな大雪の平日に、やってくるのはわたしみたいなよほどの物好きだから。

 入り口へ進みながら髪と服をさっと拭い、自動ドアが開いたとたんにぶわりとあたたかい空気が流れてきた。凍てついた頬が大きな手に包み込まれたように、血が通い出してじんじんとしびれる。大きく深呼吸すると肺まで緩んでいく気がした。寒さに負けまいと、気がつかないうちに全身を強張らせていたらしい。

 安堵のあまりに顔が緩み切ったらしく、受け付けカウンターに立つ顔馴染みのスタッフさんがくすくす笑う声で我に返る。今度は寒さではなく気恥ずかしさのために耳が真っ赤になりそうだ。そそくさと入館料を払い荷物を預け、展示室へ続く階段を上る。

 幅十数メートルはありそうな広々とした階段は、エントランスホールの主だ。

 どの展示物よりも真っ先に来館者の目に飛び込んでくる、この空間のシンボル。コンサート会場として使われることもある。無数の人が降りては下るこの場所に、今日は誰もいない。ホールの壁や床、天井に至るまですべて白に染まり、大きく取られた踊り場へまっすぐに続く階段はさながら天国へ続く道のようだ。

 私はそれを一歩ずつ、濡れた靴底が滑らないよう踏みしめながら昇る。

 あまりに天井が高いので足音が反響しない。発する音はたちまち吸い込まれて消えていく。黒いブーツと白い階段のコントラストが目を焼くのに、それすらも静かな風景だった。

 二階は打って変わって、灰色がかった淡い紫の絨毯が敷き詰められている。

 絞った照明のために部屋全体に薄く影がかかったようで、自然と目を凝らし、息をひそめてしまう。展示室を区切る大きな壁は上辺が半ば薄闇に沈み、輪郭を捉えることはできない。人ひとりぶんだけ開けられた窓のような入り口をくぐり、等間隔に並ぶ額縁を見ると、思わず安堵のため息が漏れた。

 よかった、やっぱりここは美術館だ。わたしの住む世界にある場所だ。

 美術品に関することはほとんど何も知らない。

 お気に入りの作品のタイトルやその作者名くらいは記憶しているけれど、時代背景とか、その頃に起きた事柄が作品に与えた影響とか、そういう知識は皆無だ。だから何を見てもよくわからない。それでも、なんとなくこの場所が好きだった。わからないなりに絵や彫刻を眺める時間は日々ささくれる心を宥めてくれるし、美術館をあとにするときは清々しい気持ちになる。美術館で過ごす時間はいつもわたしにとって特別なものだ。

 展示室には思った通り誰もいない。学芸員がひとり、壁際の椅子に座っているのが遠くに見えるだけだ。わたしは心置きなく遠くから近くから、ときには低い姿勢から、あるいはほとんど真横から、並んだ絵を眺めた。筆跡も生々しい油絵、写真と見紛うほどのスケッチ、深い青のグラデーションで画面全部を塗り潰した巨大な一枚絵、構図を掴むために描いたらしい無数の鉛筆画、図形を積み重ねた抽象画。それらを丹念に鑑賞した。

 髪の長い天使の絵を眺めていると、ふと人の気配を感じた。

 背筋をすっと伸ばし、博覧会のポスターのために作られたシルクスクリーンを眺めている。その眼差しは作品に向けられているものの、何かを思い出すように焦点は額縁のずっと向こう側にあった。

 綺麗な人だ、と思った。

 石膏のような肌。つやのある茶色い髪は肩に届くほどで緩くウェーブしている。体にぴったりと沿うシャツには染みひとつない。

 ふと、その人がこちらを向いた。

 アーチを描く眉。軽く結んだ唇。こちらの視線をまっすぐに受け止める榛色の瞳は、磨き上げた鉱石よりも澄んで透明だった。

 額縁から抜け出してきた、なんてちゃちな表現だ。だけど言い表すなら、それ以外思いつかない。

 あまりの美しさに身動きの取れないわたしに、男性とも女性ともつかないその人はふわりと目元を和らげて会釈した。不躾に見つめるわたしを咎める気配は微塵もない。

 視線が作品へと戻され、わたしは無意識に止めていた呼吸をそっと解放した。まだ高鳴る心臓がうるさい。展示室があまりに静かだから鼓動が聞こえてしまうのではないかと妙な心配をしてしまう。そっと胸を押さえながら、なんでもない風を装いわたしも絵に戻る。もちろん、余分に熱を持った頭には誰のなんという絵かなんて情報はもう入ってこない。

 それでも、次また次と作品たちをめぐるうちに次第に気持ちは落ち着いてくる。こっそり見回せば、手を伸ばしても届かないけれどの気配ははっきり感じ取れる程度の距離を保ちながら、わたしたちは展示室を少しずつ移動しているのだった。

 常に近くに人がいるのは苦手だけれど、なぜだかその人に対しては息苦しさや窮屈さを感じなかった。押しつけがましくなく、ただそっとそばにいてくれる。その心地好さに覚えがあった。

 最後の絵から離れ、出口へ向かう。学芸員の前を通り過ぎるとき一礼するのはわたしの習慣だ。膝をきちんと揃えて座っている、暗いグレーの制服をまとった女性にも同じように頭を下げる。

 すると、なぜかその人はびくりと肩を震わせた。

 いつも通り会釈を返してくれたものの、仕草は妙にぎこちない。こちらと目を合わせようともせず、両手を固く結び体はぎゅっと縮こまって、まるでわたしを怖がっているようだった。何かまずいことをしてしまったかもしれない。まずは事情を尋ねようと一歩足を踏み出したとき、後ろからぽんと肩を叩かれた。

 ぱっと振り返ると、あの人が立っていた。こちらの反応に驚いたのか、両手を肩の高さに掲げてみせる。何かするつもりではない、ということらしい。そして片手をすっとスライドさせ、長い指で出口を示した。わたしはまごついたけれど、結局その人に従って展示室を出る。学芸員の怯えた視線がいつまでもついてきた。

「驚かせてすみません」

 出口の脇にあるソファに並んで腰かけ、わたしに向かってぺこりと頭を下げた。つやつやとした栗色の髪が優雅に揺れた。

「あ、いえ……大丈夫です。こちらこそ、ごめんなさい」

 わたしは大袈裟なくらい両手を振って応えた。何かされたわけではないので、丁寧に謝られてしまったことがかえって恐縮に感じる。

「少し、込み入った事情がありまして……すぐにお話しするのは難しいのです。本当に申し訳ないです」

 お詫びと言ってはなんですが、とその人は階下を示す。

「ご一緒にお茶をいかがですか。もちろん、ご迷惑でなければ」

 願ってもない話だった。わたしは喜んで頷く。

「ありがとうございます。では、行きましょう」

 立ち上がり、こちらへ手を伸ばしてくる。ごく自然な仕草で、ちっとも気障に見えない。まるでわたしをお姫さまのように扱ってくれる。気恥ずかしくって、くすぐったくて、そしてとても快かった。

 握った手はひんやりとして、雪のように白かった。

 一階の喫茶室は静かで、座っているのはわたしたちだけだった。珈琲をふたつ頼み、窓の外を見る。相変わらず一面の白い景色で、あたたかな室内で腰かける革張りのソファはくたりと柔らかく、体が沈み込みそうに心地好い。

 その人は、セシルと名乗った。もうずっとこの美術館にいるのだという。

「学芸員なんですか?」

「……ええ、そのようなものです」

 それ以上、セシルさんは身のうえについて語らなかった。

 先ほどの女性の反応から察して、多分微妙な立場にいるのだろうと軽く見当をつけた。このように来館者と気軽に接するやり方に反発する人がいてもおかしくない。何より、美術館だって人が集まって運営している組織だ。何かしら対立が起きるのも当然のことだと思う。

 そう考えて、わたしも深く尋ねるのはやめた。

 話は自然と、館内の展示物に及ぶ。セシルさんは展示されているものはおろか、現在美術館のバックヤードに保管されている収蔵物についてもとても詳しかった。データベースがまるごと頭に入っているかのようだ。以前見た淡い色の風景画、とわたしが曖昧に話しても、すぐに作者と作品の名前を言い当てる。現在は修復作業を行っているらしい。

「もう随分展示していましたから、損傷がひどいのです。ですが優秀な修復士を招いていますから心配ありません。来年の夏には、また展示室へ帰ってくるはずです」

 珈琲カップを静かに持ち上げながら、セシルさんは言った。榛色の瞳が湯気に霞んで見えた。

 わたしの拙い話にも丁寧に頷き耳を傾けてくれる。願った通りのタイミングで相槌を打ってくれる。包み込むような微笑みを浮かべながら。本当に、綺麗な人だった。深く落ち着いた声をいつまでも聴いていたかった。少しずつ減っていく珈琲がこんなに恨めしかったことはない。

 わたしのそんな幼い願いを読み取ったのか、セシルさんは残りの展示室を案内しながら一緒に歩いてくれた。ひそめた声で語るのは、作者の生い立ちや作品が生まれた時代背景、この美術館にやってくるまでのエピソード。きっと、セシルさんではない別の誰かがこんな風に話しかけてきたら、鬱陶しくてたまらないに違いない。ただひたすらに心地好い。わたしはこっそり展示物から目を離して、熱心に話す横顔を何度も盗み見た。

 この時間がずっとずっと続けばいい。

 セシルさんといる時間、いや、セシルさんそのものに比べたら、この美術館の収蔵物なんて束になったってなんの価値もない。けれど、もうすべての展示室を回ってしまった。観るべきものは尽きてしまった。セシルさんの隣にいるための道具は、もうこの美術館にはない。

 だったら、わたしが自分で動くしかない。勇気を振り絞って声をかけた。

「あの」

 小さく首を傾げる姿さえ神々しい。見とれて言葉が出なくなる前に、わたしは口を開く。

「このあとお時間ありますか。わたしの好きなお店があるんです。紅茶がとても美味しいお店です。もう少しだけ、お話ししませんか」

 ひと息で言葉を投げる。たちまち耳が熱くなるのを感じた。

 セシルさんは、驚かなかった。その代わりに浮かべた表情は奇妙なものだった。悲しみではなく、憐れみ。そして、深い疲れ。

「ごめんなさい。一緒には行けません」

 ただ誘いを断るだけならば、そんな顔をする必要はないはずだった。焦りにも似たものを感じて、わたしは食い下がる。

「お仕事があるなら待ちます。いくらでも待ちます。私のことなら気にしないでください。何も用事などないんです。いつまででも待てます」

 セシルさんは静かに首を振って、言い募るわたしを止めた。

「私はここから出ることはできません」

 なぜなら、と語る声は深く、あたたかく、そして陰っていた。

「私は、この美術館の展示物なのです」


 それからどうやって自宅へ戻ったのか、覚えていない。

 気づいたら雪まみれで自宅の玄関にしゃがみ込んでいた。髪に積もった雪が頭皮を伝って頬まで垂れた。ほどけたマフラーが床を掃いて埃まみれになり、ブーツの爪先から水が入り込んで足は感覚を失うほど冷えていた。

 何も考えられなかった。ただセシルさんの言葉だけが頭のなかで何回も再生されている。私はここから出ることはできません。私はここから出ることはできません。

 私は、この美術館の展示物なのです。

 セシルさんは間違いなく生きている人間だ。からくり仕掛けで動く人形などではない。人形の指があんなに繊細に、珈琲カップを扱うわけがない。

 私は、この美術館の展示物なのです。

 私は、展示物なのです。

 セシルさんの言葉がばらばらに、途切れながら形を変えていく。

 私は、モノなのです。

 ごぼりと、腹のなかが逆流した。

 咄嗟に口を覆い、靴も脱がずに廊下へ上がる。トイレへ這い込んで、唇を開いた。喉をこじ開けられる不快な感覚に続いて、酸っぱくて黒いものがびしゃびしゃと便器に落ちていく。セシルさんと一緒に飲んだ熱い珈琲が、液状のぬるい闇になって絞り出される。

 わたしは泣いた。声を引き攣らせ、はしたなく涙をこぼし、顔もコートもぐしゃぐしゃに汚しながらだだをこねる子供のように泣いた。冷たいトイレの床に伏せ、壁を乱暴に引っかいた。塗ったばかりのエナメルがぼろぼろに剥げ、爪が欠け、やがてシールみたいに剥がれて血が噴き出しても気にも留めなかった。そんなことはどうでもよかった。

 わたしの悲しみに比べたら、そんなことはなんでもない。

 数十分ほどそうしてから、涙も嗚咽も枯れたわたしは虫のように自室へ這いずっていった。ひどい気分だった。こんなひどい苦痛や衝撃を味わったのは久しぶりだ。すっかり打ちのめされて、歩く気力さえ湧いてこない。どうにかしてベッドへ潜り込み、冷え切った毛布に全身を震わせながら目を閉じる。浮かぶのはセシルさんの姿ばかりだ。完璧な横顔。精緻な手。曇りひとつない瞳。絹糸のような髪。真っ白なシャツと、その襟元に控えめに結んだ真紅のリボンが目蓋に焼き付いて離れない。

「こんなのひどいよ……!」

 呻いた声はひどくざらつき、上擦っていた。叩きつけた拳に、枕がぼすりと鈍く鳴る。

 カーテンを開けたままの部屋は暗さを増していく。

 窓の外は、いよいよ風と雪が吹き荒れていた。

 絆創膏でぐるぐる巻きになった指で財布を開く。年間パスポートはちょうど一万円だった。大した出費ではない。ほとんど毎日美術館に通うのだから、こちらのほうがかえって安くつく。それに、小さなカードさえ持っていればいつでも自由にここへ来られるのだ。まさにパスポートという名前がぴったりだ。セシルさんに会うための万能のチケット。

 入り口をくぐると真っ先にあの姿を探した。他の展示物なんてどうでもよかった。修理中だというあの風景画も記憶から消えかけている。作品名も思い出せない。でももちろん、そんなことはどうでもいい。重要なのはその絵について、わたしたちが会話したことだけだ。

 セシルさんは展示室で絵を眺めていることもあれば、喫茶室にぼんやりと座っている日もあった。いつどこにいてもセシルさんに向けられる視線は不躾で、幼稚な好奇心や恥ずべき嫌悪が込められていた。無断でスマートフォンを向け、撮影している来館者を見つけることもしばしばだった。もちろんわたしはそんな無礼者を見逃さない。すぐさま追いかけていってデータを削除させ、美術館から放逐した。

「あまり、他の方を糾弾なさらないでください」

 セシルさんはそう言う。

「このような扱いは慣れているのです。私のためを思ってくださるのはもちろん嬉しいですが、あなたの怒りに満ちた姿を見るほうが辛い。わかってください」

 セシルさんが彼らを庇うのはもちろん気に入らない。だけど、逆らうなんてもってのほかだ。そんな選択肢は最初からわたしにはない。

 けれど、わたしがもっと許せないのは、他の来館者がセシルさんと会話することだ。

 相手は様々だった。わたしと同じ年頃の女、初老の男、幼稚園児や主婦や高校生もいた。誰もが媚びたような目でセシルさんを見つめ、鼻にかかった気色の悪い声で話しかけた。本当は飛びついて引き剥がし力いっぱい殴りつけて二度と見られない顔にしてやりたかった。もちろんセシルさんの前でそんなことはできないから、わたしはいつも怒りを押し殺して踵を返し、美術館の外装をくまなく見て回る。ときには侵入防止の柵を乗り越え、靴も服をどろどろに汚しながら歩いた。警備員に見つかり追いかけられたときに撒く方法もすっかり覚えている。人が出入りできる場所が必要だった。

 ひと通り点検が終わって来た道を戻るとき、飛び出していた細い枝に手を引っかけた。かじかんだ皮膚はぴんと弾かれるように切れる。流れる液体はあたたかい。眺めているとセシルさんの襟のリボンによく似た色をしていることに気づいて、わたしは恭しくそれを舐め取った。

「頑張らなくちゃ」

 鉄臭い液体を飲み込んで、自分に言い聞かせる。

「もう少しだもの。頑張らなくちゃ」

 やると決めたことは最後までやる。幼い頃からそうしてきた。

 だから、今回もそうする。


 いつもはふんわりしたスカートが好きだけれど、今日は動きやすさのほうが肝心だ。ぴったりと吸い付くようなパンツは伸縮性に富んだ生地でできていて、試しに大きく足を振ってみてもまったく窮屈にならない。羽のように軽いスニーカーは数日前から履き鳴らしておいたから靴擦れの心配もなかった。通販で購入した上着のサイズはあつらえたようにぴったりだ。

 髪をくくり、帽子をかぶって鏡の前に立つ。

 頭のてっぺんから爪先まで、黒一色の衣装をまとったわたしは映画のなかのスパイみたいだった。なんだかわくわくしてきた。うれしくてにっこり笑ってしまう。弧を描く唇には真紅のルージュを引いてあった。こんなに大人っぽい色を塗るのは初めてだ。思った以上にわたしの肌に似合っていて、もっと笑顔が深くなる。きっと今夜会ったらほめてくれるはずだ。とても似合っていますよ、と言ってくれるに違いない。そうしたら、キスしてあげよう。軽く結んだ美しい唇に同じ色が移って、それはそれは綺麗だろう。

 想像するだけでうふふと声が漏れてしまう。いけない、今から気を緩めてしまっていては、先が思いやられる。今夜は待ちに待ったチャンスなのだ。絶対に逃がすわけにはいかない。振り返り、部屋を占領するダブルベッドを眺めて心を落ち着ける。買ったばかりのここにふたりで横たわり、朝まで抱き合って眠る。わたしは先に目を覚まして、おはようとあの人に言う。そこでようやく、ゴールなのだから。

 来週から、美術館で特別展が始まる。

 そのための作品が、今夜運ばれてくるという情報を手に入れた。搬入作業は深夜に行う。普段は固く閉ざされている搬入口が開く、またとない機会だ。足しげく通うわたしをひと目見れば学芸員たちはすぐに気づくはずだから、やり直すことはできない。失敗すればもう美術館には近づけない。

 つまり、二度とセシルさんには会えない。

 ぞっとした。

 背筋が凍り、肌が粟立ち、吐き気が込み上げる。つんと鼻の奥が痛み、涙がひとりでに込み上げてくる。

 想像するだけで恐ろしい。考えるだけで死んでしまいたくなる。

 先ほどまでの甘い気持ちはどこかに吹き飛んでいた。

 絶対、失敗できない。絶対に。

 軋むほど奥歯を噛み締め、決意を固める。

 部屋の灯りを落とす。暗闇の一部になってわたしは扉を開けた。

 吐く息だけを白く残しながら、美術館へ向かう。


 低くエンジン音を立てながら巨大なトラックがゆっくり後退する。

 近くに作業員がいて、トラックを誘導していた。向かう先は間違いなく搬入口だ。たっぷり積まれた絵画や彫刻を、今から館内へ運び入れる。深夜に、美術館への入り口が開く。セシルさんがいる美術館の入り口が。

 わたしは生け垣の陰に身をひそめじっと様子を窺った。搬入口が開いてすぐ飛び出すべきか、みんなが作業に夢中になったタイミングでそっと忍び込むか……。

 トラックのライトに照らされて、待ち受けている学芸員たちの姿が暗闇に浮かび上がった。

 緊張した面持ちの群れのなかに見覚えのある人物を見つけ、わたしはかっと体が熱くなるのを感じた。

 セシルさんと出会ったあの日、怯えた目でわたしたちを見たあの学芸員だ。

 あんなに美しく尊い、穢れのないあの人を恐怖と嫌悪を向けた女。

 決して許してはいけない。

 わたしは覚悟を決め、音を立てないようそっと身を起こした。

 トラックが停止し、搬入口が開いた瞬間がスタートだ。まずは一目散に駆け出し、まずはあの女に一撃を喰らわせる。周囲の人間はもちろん驚くだろうから怯んでいる隙に美術館へ入り込む。問題はセシルさんの居場所がわからないことだけれど、大声で呼べばきっと出てきてくれるはずだ。

 計画は立てた。あとは、わたしがやるだけ。

 じりじりと後退していたトラックは、大型犬のようにぶるりと身を震わせて沈黙した。

 ぱっと、搬入口の照明が灯る。

 その光へ向け、わたしは駆け出した。

 いち早く気づいたのは作業員だった。こちらへ手を伸ばしてくるのを危うく躱し、最短ルートで走る。靴は軽く、隙間もなく足を包んで、まるで地面を蹴るごとに飛んでいるようだ。搬入口が近づいてくる。女がこちらに気づいた。あのときと同じ、みっともなく怯えた表情がさっと浮かぶ。ひい、と間抜けな悲鳴を立てる。再度怒りが燃え立った。それを握った拳に込め、渾身の力とスピードを乗せて、女の顔面へ叩き込んだ。

 ぐしゃり、と鼻の折れる感覚が伝わってきた。構わず拳を押し出し、腕がまっすぐに伸びるまで振り抜く。女の体がもんどりうって倒れ伏すのを目の端で確かめながら足をさらに速め、搬入口へ飛び込んだ。鉄の扉を体当たりしながら押し開け、館内へ踏み込んだ瞬間。

 沈黙が、一斉にこちらを向いた。

 無人の美術館に漂う気配が、闖入したわたしに無感情な視線を突き刺す。

 その透明な圧力と、空間の隅々にまで満たされた暗闇の分厚さにわたしは戸惑った。

 ――やめろ 戻れ

 そんな声が耳元で聞こえるようだった。

 ――無駄だ 諦めろ

 声はなおも囁いて、わたしを挫こうとする。

 ――お前にはできない 誰にもできない

「セシルさん」

 ――お前が最初ではない

「どこ」

 ――同じ願いを抱いたものは

「セシルさん、どこにいるの……」

 ――誰もが同じ結末へ至った

「セシルさん」

 ――破滅へと

「セシルさん!」

 絶叫が暗闇を破く。暗く沈んで見えない天井が声に叩かれて震える。

「いたぞ! あそこだ!」

 迂闊に振り返り、懐中電灯の光に目を焼かれる。追っ手はもう近い。必死に瞬きするわたしの手が、不意に強く引かれた。

「こっちです」

 低めた声には聞き覚えがあった。逆らわず、エントランスホールを風のように横切っていく。階段を上り、連なる展示室を潜り抜ける。廊下に並ぶ窓からかすかに射す街路灯で、金に近い茶色の髪が舞い上がるのを見た。

「セシル……さん」

 切れる息の合間から呼んでも、返事はない。ただわたしを導く手にぎゅっと力がこもった。

 わたしたちは美術館の最深部へと向かっていく。普段は来館者が立ち入ることのない、そっけないバックヤード。美術品たちの眠る部屋。音もなく人を拒むその空間へ飛び込むと、ぴたりと扉は閉じられた。緊張が途切れ、どっと疲労に襲われてふらついたわたしを支えた手は、握り返す前に離れてしまった。

 息ひとつ切らさず、わたしの隣に膝をつくセシルさんは静かに口を開く。

「どうして来てしまったのですか」

 静かに発したその声が、ひどく沈んでいた。

「どうして……」

 ほとんど嘆くように呟いた、そのわけをは気にも留めず、わたしは真っ白なシャツの腕を掴んでひと息にまくしたてた。

「待たせてごめんなさい。あなたを迎えに来ました。一緒に行きましょう。あなたは自由です。一緒に来てください。もうこんなところに閉じ込められていなくてもいいんです。わたしの家なら安全です。誰も来ません。ベッドを買ったんです。あなたが眠るためのベッドです。ふたりで横になってもまだ余るくらい大きなベッドです。わたしがあなたを守ります。いつでも一緒にいます」

 喋り続けるわたしを、セシルさんはただ黙って見つめていた。無口な展示物たちはわたしの声を無視し続けた。どんなに喋っても、冷笑に似た沈黙はそこを動かなかった。

「今夜は口紅を塗って来ました。あなたの襟のリボンと同じ色です。一番に見せたくて。まだ誰にも見せてません。きっとわたしに似合うと思うんです。ほら見えますか。ああここじゃ暗いですね。わたしの部屋はとっても明るいんです。ひと晩じゅうでも本が読めますよ。一緒に来てくれませんか。ここの喫茶室ほど美味しく淹れられるか自信はないですけど珈琲もあります。狭くて窮屈かもしれませんけど居心地はいいと思います。何しろあたたかい部屋です。そうだお腹は空いてますか? ごはんもわたしが作ります。何が好きですか。なんでも作りま」

 急に肩に走った衝撃で、わたしはやっと口を噤む。

 あんな細い腕のどこにそんな力があるのだろうと、暗闇のなかでさえ輝いて見える瞳を見つめながら頭の隅で考える。

 そんなに怖がらなくてもいいのに。

「ごめんなさい」

 絞り出す声は苦しく、後悔に満ちていた。

「あなたは今夜ここへ来てはいけなかった。私が間違っていました。私はもっと強くあなたを拒絶するべきだった。これ以上私に近づいてはいけないとはっきりあなたに言うべきだった。あなたを突き放すべきだった。あなたが来館者たちを糾弾し始めたときに」

 がちがちがち、と奇妙な音がした。

 とても近く、ほとんど耳元で鳴っている。何か固いものがしきりに打ち合わされる音だ。わたしは辺りを見回した。忍び込んだ虫の羽音にしてはあまりに大きい。あまりにうるさくて、体じゅうが共鳴して震えるほどだ。

「やっとわかりました……私という存在が、こんなに残酷だったとは」

 肩を掴むセシルさんの手も小刻みに振動するほどにうるさくて、声が聞こえない。いったいなんなのだろう。

「私は、あなたに出会うべきではなかった」

 がちがちがち、と鳴り続けるそれが、わたしの歯が噛み合う音だと理解するのは、セシルさんの言葉を理解するのよりほんのわずかに早かった。

 一瞬で恐怖が膨張し、頭のなかを埋め尽くして凍る。

 出会うべきではなかった。

 出会うべきではなかった。

 であうべきではなかった


 で   あ  う べ きで  は  な  か っ   た     ?


「非常口まで案内します。時間を稼ぎますから、どうかそのあいだに」

 そう言って、わたしを立たせようとする。

「どうして?」

「あなたが傷つくのは見たくありません」

「そうじゃなくて」

 凍った頭は自制を失っていた。セシルさんの顔が不審に曇る。

「どうして一緒に逃げないんですか? せっかく迎えに来たのに」

 素朴な疑問だった。本当にただそれが不思議で、理解できなくてそう尋ねた。

「出会うべきではなかったなんて、今さら照れなくてもいいんですよ。恥ずかしがらなくても大丈夫です。わたしにはなんでも話してください。あなたのことならわたしはなんでも受け止めます。なんでも受け入れます。大丈夫です。わたしを拒絶しないでください。わたしは全部受け入れます。わたしはあなたを拒絶しません。だからわたしを拒絶しないでください。拒絶しないでください」

 張り詰めていたセシルさんの顔がゆっくり色を失っていく。残ったのは深い落胆と諦めだけだった。どうしてそんな顔をするのか、わたしは理解できない。

「……わかりました」

 声は冷たく掠れ、今にも途切れそうだ。先ほどまでの激しさは消え失せていた。

「一緒に行きましょう。そうすればあなたもわかるはずです」

 セシルさんはわたしの手を掴んだまま、まっすぐに歩き出した。

 セシルさんを美術館から連れ出す。セシルさんと一緒にわたしの、いや、わたしたちの家へ帰る。それ以外のことなどもはやどうでもよくなっていたから、その言葉の意味を考えるような余地はもうない。一緒に行きましょう、ただその一言以外に価値を感じられない。

「よかった、わかってくれて。さあ早く行きましょう、急がないと。そうそうわたし、さっき学芸員の女をひとり殴ってしまったんです。わたしたちが最初に会った日にセシルさんをいやらしい目で見た女です。さっき搬入口にいたのを見つけて頭が真っ白になってしまって。どうしても我慢できなくなってしまったんです。だけど仕方がないしむしろ当然のことなんですよ。あなたを怖がったり不気味に思うのって絶対にあってはいけないことですから。でもわたし人を殴るなんて初めてだからうまくできるか不安でしたけど思いきってやったんです。鼻から血をぼたぼた垂らしてみっともなく倒れて、本当におかしかったですよ。セシルさんにもお見せしたかったくらいです。これからもあなたのことを変に思う人間のゴミみたいなのがいたらわたしがみんなやっつけてあげますからね。安心してわたしの家に来てくださいね」

 セシルさんは振り向かない。何も言わない。収蔵庫の扉を開いた向こうも底無しの暗闇だった。ただわたしの手を取って、何もかもが見えているようにまっすぐ歩き出す。

「そうだそうださっき伺うのを忘れてしまったんですけどセシルさんは好きな食べ物はありますか? 料理はちょっと得意なんですよ。今日はセシルさんがわたしの家に来てくれた記念日ですから食べたいものをなんでも作ります。お肉が好きですか? お魚がいいですか? もちろん野菜の料理もお出ししますよ。今日は寒いですからあたたかいものにしましょうね。もし思いつかなくても大丈夫ですよ。わたしの一番得意なものを作りますからね。ビーフシチューはお好きですか? 圧力鍋でじっくり煮るんです。何回も作って研究したのでとっても美味しいですよ。近くに美味しいパン屋さんがあるので朝になったら買い物に行ってきますね。焼きたてのぱりぱりのバゲットを添えて食べたらきっと気に入ってくださると思うんです。他にも必要なものがあればなんでも買い揃えますから遠慮せず言ってくださいね。ちょっとくらい買い過ぎてしまってもへっちゃらですよ。今日からセシルさんとわたしのふたりのおうちなんですから何よりも快適に過ごせるようにしなくちゃいけませんからね」

 セシルさんは振り向かない。返事はない。わたしの声はどこにも届かない。美術館に垂れ込める深く厚い闇に吸い取られていく。

「まったく本当にここは暗いですね。それにとっても寒いです。セシルさんをこんなところに閉じ込めておくなんて美術館ってひどいところですね。全部燃えちゃえばいいのに。もしお望みならわたしが燃やしてきますよ。ライターがありますから。わたしは美術館が好きでしたけど今はどうしてこんなところが好きだったんだろうって思います。今は大嫌いです。憎んでます。だってセシルさんを閉じ込めて展示物扱いするんですもの。展示物なんて違いますよセシルさん。あなたは人間です。あなたは人間です。わたしの恋人です。ものなんかじゃありません。誰がそんなひどいこと言ったんですか?」

 どれくらい歩いただろう。細い廊下の先で、セシルさんは立ち止まった。分厚い鉄の扉には電子錠がかけられている。ぼんやりと淡い緑色に光る液晶パネルを叩く指先がかすかに浮かび上がって見える。

 がちり、と鈍い音を立てて鍵が外れた。

「もうずっと昔のことです」

 重いドアノブをひねると、真冬の凍てつく風がたちまち吹き込んでくる。

「理由や思惑は、いつの時代も様々ありました。しかし今はもう、生きた人間を展示物とする魔法がいつ生まれたのか、知る由はありません」

 風に乗ってきた雪の欠片がセシルさんの髪に、肌に触れて、すぐに溶ける。

 自分を展示物だと言う人の体温に触れて、溶けていく。

「伝えられた掟はただふたつ。展示物は常に独りであること。決して、美術館を出てはならないこと」

 街路灯の光がここまで射してくる。見上げたセシルさんの横顔に色はなく、蒼白い血管が透けて見えるようだった。

 繋いだままの手をそっと握るとこちらを向いてくれた。

「もう一度、あなたに謝らなければいけません」

 疲れ切った、悲しい笑みで。

「本当は私で最後にするつもりだったのです。もうこれ以上繰り返さないように。ですが」

 わたしの手を離しセシルさんは踏み出す。

 美術館の闇から、冬の夜へ。

「私では、だめでした。……ごめんなさい」

 セシルさんは泣いていたかもしれない。

「ごめんなさい。一緒には、行けません」

 それを確かめる前に、綺麗な髪が、真紅のリボンが、ふわりと暗闇に浮かび上がった。

 そしてセシルさんの頭が、背中が、腕が、腰が、足が、凍った地面に触れ、わずかに跳ねた。そして氷の割れるような音を立てて、そのすべてが砕け散った。

 欠片にさらに罅が入り、砂よりも細かく散っていく。積もった雪に混じって見えなくなる。風に運ばれてどこかへ消えていく。そのすべてがありありと見えた。

 まるでおとぎ話の終わりのように、綺麗だった。

 失う悲しみよりも、目の前の幻想に見惚れてわたしは立ち尽くした。

 どんな絵画より、どんな彫刻より美しい。たった一度きりしか見ることのできない美術品。

 わたしの宝物。

 わたしの、本当に欲しかったもの。

 凍った脳が溶けていく。もうわたしは理解している。わたしが一番恐れていたのは、この光景を誰かに奪われることだった。わたしだけのものにできないことだった。

 願いは叶った。もう誰にも奪うことはできない。美しいものがより美しく壊れていく光景は、わたしの脳にしっかりと刻まれた。杭のように打ち込まれた。

 もう何もいらない。ただこの記憶に犯されながら、わたしは生きていく。

 足元にひと筋の赤がある。拾い上げると、リボンはしなやかにわたしの指に巻き付く。その冷たさがわたしの意識を外へ向けさせた。

「今回も優秀で助かりました」

 振り返っても、見えたのは薄明かり。

「代わりを用意していってもらえるのは本当にありがたい。探すのはそれなりに骨が折れますから」

 ガラスの火屋のなか、小さな三日月が凍えるように光っていた。

「魔法は潰えません。美術館がある限り」

 あたたかく、闇が落ちてくる。


 美術館の壁は雪よりも白い。

 駐車場に降り立ったのはぼくだけだった。併設の公園には誰もいない。普段は子供や飼い犬たちが走り回っている芝生は、一面真っ白に覆われて眩しいほどだ。

 その真ん中にぽつんと建つ漆喰塗りの建物が、ぼくの目的地だった。

 マフラーをしっかりと巻いて、顔を埋めるようにして足早に歩いていく。車はほとんどない。今日はよほど静かだろう。人目を惹く特別展があるわけでもなく、しかも大雪で平日だ。わざわざ来るならよほどの暇人だ。

 エントランスホールの巨大な階段を上れば、もうそこは展示室だ。暖房がよく効いていて、全身がじわじわと温まってくる。強張った手もじき動くようになるだろう。

 ぼくは展示物そのものよりも、なんというかそれらが並んでいる空間が好きだ。だからよほど人が多くなければ、まずは展示室の端に立って、ざっと部屋全体を眺める。照明を落とした空間には淡い影がいくつも落ち、それが作品により強い印象を与えているように思う。多分これらの作品を家に持ち帰って、蛍光灯なりLEDなりの光に照らしてみたら、拍子抜けするくらいに覇気のないがらくたへ変貌してしまうだろう。

 美術館とは特別な場所だ。

 展示の技術とか、保存のための技法とか、詳しいことはさっぱりわからない。光と影がどうこうというのも結局はぼくの感覚に基づいた話だから、理論立てて説明するのは難しいと思う。でも、無数の美術品がひとつのところに集められ、飾られている場所というのが、普段とは違うどこかというのははっきりとわかる。

「ハレとケ、とか言うんだっけ。こういうの」

 ハレの場でもケの格好で出歩くぼくは、マフラーを解き、ダウンジャケットのファスナーを下ろして軽く羽織るだけにする。展示室は静かで、独り言を咎める人もいない。

「ん?」

 いや、いた。

 部屋のほぼ中央、大振りな絵を熱心に眺めている後ろ姿があった。

 真っ白なシャツと、肩まで伸ばした黒くまっすぐな髪のコントラストが眩しい。背中越しに髪の長い天使が見え、それを熱心に眺めているようだった。

 綺麗な人だな、と思った。

 美術館でナンパなんてもちろん言語道断だけれど、せめてその人の顔くらいは拝みたくてそうっと近づいていってみる。一歩、二歩、三歩目でこちらの努力も虚しくスノーブーツが派手に軋む。靴底の悲鳴が高い天井にこだました。思わずびくりと肩が跳ねてしまう。

 そして最悪なことに、その人がこちらを振り向いてしまった。

 目が合う。

 背後の天使とは対照的に、はっきりとした顔立ち。凛々しい、と言ったほうがふさわしいかもしれない。肌は白く、瞳はくっきりと黒く、まっすぐにこちらへ向けられる視線に気圧されてしまうほどだ。

 その人が不意に、にこりと笑った。

 コンパスで引いたように弧を描く唇と、襟元に結ばれたリボン。

 そのふたつが同じ真紅で彩られていることに、ぼくはやっと気づく。

 美術館とは特別な場所だ。ハレとケの、ハレの場。非日常の場。

 もっと言うなら、異界。

 咄嗟に一歩後ずさった。再び靴底がぎしりと音を立てる。

 展示室の静寂とともに、日常が破けて散っていくような気配がした。

 その人は静かに笑みを浮かべたまま、こちらへ近づいてくる。

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