第5話 飼い殺す為に飼い慣らす
オランジュが平民の女を連れ帰る奇行を行った事で、彼とはずっと疎遠だった。噂だけは聞こえて来たのだけれど。
平民の治癒士についてそれとなく探りをいれてみたが、王家の治癒士は皆鼻で笑っていた。自分がその場にいれば治せたもの。ただ居合わせただけの平民に、余りある評価が美談として持ち上がったに過ぎないと。
別にディルはその言葉を頭から信じた訳では無かったが、今の自分には必要のない情報だと流してしまった。或いは所詮平民。まあそれもそうかと得心したのもある。
それでも今では少女を覚えていた自分を絶賛していた。
「失恋ねえ……」
誰もいない病室でディルはひとりごちる。
従兄は貴族らしく整った顔立ちをしていたが、別に有能では無かった。見掛け倒しだ。
見る目も無く、今はうっかり出会った真実の愛とやらに手足を絡め取られ、身動きも出来なくなっている。
「ソアルジュ様」
音もなく近くに佇む従者に視線だけ向ける。
誰もいないという認識から外れた自分の護衛。
ここについて来たのもこいつだけだった。
なんだと視線で問いかけると彼は静かに口を開いた。
「いつお戻りになるのです?」
……それは城へ、という事だろう。
自分だって分かっている。快復したのだ、さっさと戻りたいと思っている。けど、どうしてもあの少女を連れて行きたいのだ。
「治癒士の少女をお望みなら、命令されればよろしいのでは?」
思わず頬が引き攣るのを感じる。
……それは、面白くない。
何故か、彼女に自分から来たいと言わせたい自分がいる。
だが、このままこうしてあれこれ画策したところで、少女が首を縦に振る気はしなかった。
……まだオランジュが好きなんだろうか。
苦い思いが胸を占める。気に入らない。
……あの女に自分を望ませる方法。
面白くは無いが、やはり権力を使わせてもらおう。その上で彼女自らディルを望めば、結果は同じ事か。
ふんと意地悪く口元を歪める。
「そうだな、父上に書状を届けてこい」
◇
「城へ……?」
院長室に呼び出されたロシェルダは、そこで告げられる命令に困惑した。
「ええ。今ここに入院なさっている方が、やんごとなき方だと言う事は、あなたも薄々気づいていたのではないかしら?」
おっとりと笑う院長にロシェルダは眉を下げる。
……さあ?
そもそも、あまり関心を寄せないようにしてきたのだ。知る筈が無い。
「それでね、あの方はもう戻らなければならないらしくてね。けれど今の体調を不安に思っているようなの」
「……」
ロシェルダは唇を噛んだ。
確かに彼の訴える、不調の原因を突き止められないでいる。
「ですが、私がここを離れたら……治癒士は私しかいないのに」
ロシェルダは呟くように口にした。
「そんな心配をあなたがしないように。と、あの方が臨時で治癒士を派遣して下さるそうよ」
ロシェルダは、はっと顔を上げた。
その様子に目を細め、母親が言い聞かせるように院長は口を開いた。
「あなたにはひと月だけ城に滞在して欲しいそうよ」
「ひと月……ですか」
「ええ。だから大丈夫。誰もあなたの居場所を奪ったりしないわ」
その言葉にロシェルダは、頬が熱くなる思いがした。
院長には分かるのだろう。ロシェルダにはこれしかないのだ。だから今の場所を守るのに必死で、それだけが自分の生き甲斐で……失くしたく、無い事を。
俯くロシェルダに院長はただ黙って待っている。
……この人がこういう時は、有無を言わせないのだ。分かっている。
「分かり……ました」
諦めたように告げれば、院長は満足そうに頷いた。
「あなたは神殿で、一通りのマナー教育を受けていましたね。子どもの頃にきちんと学んだ事は案外身体が覚えているものです。ですが、一応復習しておいた方がいいでしょう。教師を用意しますから、よく学んでおくように」
その言葉にロシェルダは瞳を揺らした。
「いつ、行くのですか?」
「三日後ですよ」
にっこりと答える院長にロシェルダは瞠目した。
◇
「ソアルジュ。ディルはミドルネームなんだ」
にこにこと機嫌が良さそうに告げる青年に目を向けてから、ロシェルダは頭を下げた。
「ロシェルダと申します、ソアルジュ様。今まで働いたご無礼をお許し下さい」
やんごとない身分というのがどれ程のものかは分からないが、ロシェルダはあまり褒められた対応をしてこなかった。良い機会なので謝っておく。けれどその言葉にソアルジュは眉を下げた。
「偽ったのは私の方だ。なのに不敬だなんて言う筈が無いだろう」
「いえ……ですが……」
「いいんだ」
「……はい」
真剣な顔で告げられ、ロシェルダは一つ頷いた。
馬車の中にはソアルジュとロシェルダ、それに彼に付き添って来た従者。
城まで────王都までどれくらいかかるのだろう。
ロシェルダはぼんやりと窓の外を仰ぎ見た。
かつて自分の生まれ育った町から、この治療院に来るまでの距離と、どれくらい違うのだろうと。
院を発つ事が決まり、ロシェルダは同僚たちからあれこれと話し掛けられた。まさかロシェルダが貴族に見初められるとは思わなかったのだろう。
けれど、向こうの都合で場所を変えて治療をするだけだと話せば、今度は助手として自分を連れて行って欲しいと、多くの女性に懇願された。
院長が叱咤しその騒ぎは収まったが、続いてネチネチと嫌味が続いた。出立の話を聞いて三日後というのは、どうやら僥倖だったようだ。
規則正しい馬車の揺れに瞼が重くなる。
昨日まで自分の患者への挨拶回りと引き継ぎ作業でくたくただった。
重くなる思考に身を任せ、閉じた瞳の向かいに、困惑した顔のソアルジュがいた事には気が付かなかった。
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