第2話 また貴族がやって来た

 二年が経った。

 今日も治療院の一日が始まる。

 いつもと同じように、人に対しては平坦で、病魔に対しては治療技術を研磨する────そんな一日。の筈だった。


「ロシェルダ! 急患よ!」


 往診中のロシェルダに看護士が駆けてきた。

 ロシェルダは、ふと看護士に目をやるも、診察中の、或いは順番待ちをしている彼女の患者に思いを馳せる。


「急患ってどれくらい?」


 どこかそっけない物言いはいつもの事。

 そもそもお金に物を言わせて診察順序を繰り上げる、所謂富豪と呼ばれる者たちが多いのだ。急患を名乗る者たちの中には。

 中には真実急患の者もいるから、はなから全てを否定する事は出来ないが、ロシェルダの目は胡乱だ。


「馬鹿! 私も見てきたけど、全身が真っ黒く覆われて、呼吸困難と意識白濁。重態よ!」


「……全身が真っ黒……」


 言われてロシェルダは眉を顰めた。

 それは病魔だろう。恐らく貴族たちが引き受けている古の人の業。

 この国の貴族たちの中には、昔の穢れを背負う者がいる。そして治癒士の治療にはそれとの戦いも含まれる。二年前にロシェルダが治した貴族の病もそれだった。


 ただ貴族には、本来掛かる治癒士がいるのだと後から知った。高貴な身分を引き受ける治癒士とは、自身もまた高貴な者たちの事。

 以前平民が掛かる治療院に来た貴族は、お忍びの旅行中に病魔が発症したのだとか。それ故に最寄りのこの治療院に緊急で運び込まれてきた。今回もそうなのだろうか……

 ロシェルダは椅子から立ち上がり、待合室の患者を他の医師たちに任せた。


 ◇


 荒い息、霞む視力、胸を掻きむしるその腕も、その人は黒くただれており、確かに重症なのは一目見ればすぐに分かった。

 この症状は間違い無く病魔だ。

 稀に貴族の御落胤が治癒士の治療を望み、訪れる。彼らは表立って貴族を名乗れない、或いは認知されていない為そんか事も起こる。そう言った記録が平民の治癒士には共有されているし、ロシェルダは一度この病魔を祓った事があるのだ。間違いが無い。

 しかし、この手の治療に厄介なのは人手が望めない事だ。

 身体全体を黒く染めげるこの病魔は、感染るものと信じる輩が多い。また、医学的に否定されていると知っていても、これを目の当たりにして手を出せる猛者はなかなかいないものだ。実際前回の時も誰も手を出せず、ただただ目の前の病人に対し、恐怖に駆られるだけだった。

 ロシェルダはここまで彼を運んで来た貴族の従者に指示を出し、自らも手を貸しながら何とか彼を病室へ運び込んだ。


 自分を呼びつけた看護士が医療器具を持ってきてくれたが、足が竦むようで室内には踏み込めないようだった。

 彼は今ももがき苦しみ、けれど叫びたいのを我慢するように、身を捩って苦痛をやり過ごしている。

 ロシェルダは看護士から器具を受け取り、しばらく立入禁止だと告げ、部屋を閉めた。


 カツカツと靴を鳴らし、患者のベッドの横に立ち、見下ろす。ロシェルダは病魔を片手間で治療出来るような、高位の治癒士ではない。全身全霊を掛けて治すのだ。

 大きく息を吸ってそれを吐き出す。

 ────集中!

 目を見開き、ロシェルダは病魔を睨みつけた。



 お貴族様というのは皆整った顔をしていらっしゃるようだ。

 治療が終わり、出てきたのは美しい青年だった。

 少年と呼ぶには些か成長している、かと言って大人のような力強さがある年齢にはまだ達していないような、そんな年頃。

 そして美人。男性にこの言い方は合ってるのかと内心首を傾げるも、彼にはよく似合っているようだったので、まあいいかと納得する。


 目を開けた彼は驚いていた。

 長年自分を巣食ってきた病魔の気配が身体から消えていると、とても喜んでいた。

 ロシェルダは経過観察の為、一週間程彼の主治医をやっていたが、特に問題も無さそうだったので、後は医師に任せた。

 彼の世話を焼きたい看護士たちが沢山いるとは人伝に聞いた。

 本来会える筈もない年若い貴族に、二年前のように自分が見初められるかもしれないのだ。浮かれ期待しない筈は無い。

 だがロシェルダはその事を思い出せば苦い思いが心を締める。

 女性として、何の価値も無かった自分。

 自分は治癒士で、それ以上でも以下でも無い。

 (……でも、今度は間違えないもの)

 同じ轍を踏まないだけ自分は成長している。

 自分の心の機微にほっと息を吐き、ロシェルダは自身の患者を診続けた。

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