かんちがい

増田朋美

かんちがい

かんちがい

その日は冬らしくとても寒い日で、着物を着ているのなら、ストールなしではいられないくらいの寒さであった。とにかく寒い。寒いから風邪をひく人もいるだろうし、ほかの疾患にかかる人もいるだろう。いずれにしても冬というのは、何だか寒いなあだけではなく、いろんな事があって、危ないなという印象が多いのであった。

その日も今西由紀子は水穂さんのいる製鉄所に行った。製鉄所はほかの利用者もいるのであるが、大体の利用者は、年末年始を家族と一緒にいたいからと言って、利用しなくなってしまう。特に学校などへ通っている利用者であれば一層の事である。なので水穂さんの世話をする人は、大幅に減ってしまうことから、由紀子が手を出すのにちょうどいいのだった。

「水穂さん、ご飯です。お雑炊つくってきました。こんな寒い日は、それがいいでしょうから。」

由紀子は、雑炊を入れた鍋をお盆に置いて、水穂さんのところへもっていく。杉ちゃんみたいになんでもかんでも作れてしまうわけではないけれど、由紀子はできることなら、手作りで食べさせたいなと思っている。

その日は、水穂さんも食べる気になってくれたようで、よろよろと布団の上に起きてくれた。そして、由紀子が差し出したおさじを口にしてくれたので、由紀子は思わず、

「水穂さんが食べてくれてよかったわ。あたし、うれしい。」

と言ってしまった。水穂さんは、そうですかしか言わなかったけど、由紀子はそれでもいいやと思っていた。

それと同時に、応接室で何か話していたジョチさんが、ひとりの女性を連れて、四畳半にやってきた。一度も見たことのない顔の女性だったので、多分、初めてこの製鉄所を利用することになったのだろう。

「お正月の三が日までという短い期間ですが、ここを利用してもらうことになりましたので紹介します。篠原節子さんです。」

と、ジョチさんが言うと、

「篠原節子です。よろしくお願いします。」

と、彼女は答えた。つまり、正月の間だけいるということだ。そういうときに利用する人は若い女性が多いのだが、節子さんは60歳になるかならないかの中年のおばさんである。若い女性かと思ったら、そうじゃなかった。由紀子は驚いてしまった。きっと、何か魂胆があってここに来たのだろうか。

「まあ、いろいろトラブルもあると思いますが、由紀子さん仲良くやってください。よろしくお願いします。」

ジョチさんはそういって、別の用があるからと言い、四畳半を出ていった。後は、由紀子と節子さんだけが残った。

「えーと、じゃあ、何を手伝ったら、良いのでしょうか。今お食事を始めていたようだから、お食事を手伝えばいいのかな?」

節子さんは由紀子に言った。

「一体何をするつもりなんですか?」

と、由紀子が聞くと、

「理事長さんに聞かなかったんですか?」

節子さんは、由紀子に聞いた。由紀子は何も知らないと答えると、

「ここの利用者というか、家政婦代わりの人が誰もいないと、理事長さんに言われたので、なら私が

引き受けることにしたんです。」

と節子さんは答えた。

「それでは、節子さんはどこかの家政婦斡旋所からいらしたんですか?」

「いいえ違います。ただ私は、息子を長期間介護していましたので、そういうことはわかるつもりです。つもりですと言ったら、失礼かもしれないんですけど、でも私の息子も、こういうところがあって、ずっと寝たきりでしたので。」

由紀子がそう聞くと彼女はそういった。なら、そうさせてもらおうかという気には由紀子はなれなかった。なんだか、自分の大事な人を、中年の彼女にもっていかれそうな気がしてしまったのである。

「じゃあ、水穂さんの食事をさせることは私がしますから、由紀子さんは、水穂さんの洗濯ものをお願い。」

と、節子さんはそういって、水穂さんに雑炊を食べさせ始めた。バックレスト代わりの座布団を移動させたりするのだって軽々やってしまい、彼女は結構な力持ちであった。節子さんのおかげで、水穂さんは、バックレストの代わりに五枚重ねの座布団に寄りかかって、食事をすることができた。水穂さんが、又せき込んでしまわないか、由紀子は心配で仕方なかったが、節子さんは、食べるのに困難である人間に食べさせる方法をちゃんと知っているらしい。時々、首を動かさせたりして、飲み込むのに困難でないようにさせてくれた。

水穂さんの世話をするということは、ご飯だけではなく、憚りのせわもしなければならなかったが、其れも節子さんは率先してやった。汚いものを見ても何もいわなかったし、水穂さんが体力的に出すものを出せなくて摘便しなければならなくなっても、平気な顔してこなしているのだった。彼女の年齢から判断すると、親の介護でもしていたのかと思われたのだが、彼女は息子を介護したと言っている。どうもおかしいなと由紀子は思った。親の介護なら話は分かるが、息子を介護したとはどういうことだろうか。

節子さんが手際よく、食事の世話や、憚りの世話、清拭の世話、着物の着替えなどをしてしまうので、由紀子は、何だか嫌な気持ちになった。節子さんは別に悪人ではないことは知っている。でも、なんだかおかしい。水穂さんも、節子さんに色いろ世話をして貰って、気持ちがいいのだろうか、時々笑顔を見せている。由紀子はそれをただ、眺めているしかできないのだった。それがつらかった。なんだか大事なものを、彼女にとられてしまったような気がした。

「じゃあ、私、夕ご飯の材料を買いに行ってきます。由紀子さんは、水穂さんと一緒にいてあげて。」

と、節子さんが言った時、由紀子は、何十時間も時間がたってしまったような気がした。そしてようやく、水穂さんの昼の世話を一通り終えて節子さんは夕食の世話に取り掛かろうとしているのだということを理解した。

「じゃあ、行ってきます。」

と、節子さんは、玄関の方へ歩いていく。由紀子は、水穂さんはどうしているのかと思った。多分、薬を飲んで、静かに寝ているのだろうと思ったが、由紀子は話しかけるのは、いましかないと思った。彼女は、すぐにふすまを開けた。水穂さんは、予想通り静かに眠っている。節子さんがしたのだろうか、水穂さんの枕元はきっちりしすぎているくらい整理されていた。体温計も、寒暖計も、しっかりケースの中に入ってしまっているし、薬も手製の段ボール箱の中にキチンとまとめて入れられている。着替えの着物は箪笥の中にしっかり入っている。節子さんが、操作しやすいように並び替えたのかと思われた。由紀子は、これを見て、大事な所を払しょくされたというか、とられてしまったような気がした。

由紀子は、畳の上に座った。涙を流して泣きだした。なぜかわからないけど涙が出てしまった。これまで水穂さんの世話をしてきたのは私だった。でも、なんで今、あの中年伯母さんにとられてしまったのだろうか。何だか、声をあげて泣き出してしまう。なんでかわからないけれど、声になって感情が湧き出てしまうのだ。其れは、自分では、押さえられないどうしようもないものだった。由紀子は涙を拭くこともなく、声をあげて泣き出してしまった。

「そんなに泣くと、涙がなくなりますよ。」

不意にそんな声が聞こえてきて、由紀子ははっとする。

「誰ですか!」

思わずそういってしまう。急いで涙を拭いて、周りを見ると、周りにいた人物は水穂さんだけであった。薬が切れたのか、それとも、何かの音で目を覚ましたのか。とにかくさっきの言葉は間違いなく水穂さんのものだ。

「だから、もう一度言いますよ。由紀子さん、そんなに泣くと涙がなくなりますよ。」

由紀子は水穂さんの口がちゃんと動いているのが見えたので、よし、いまだ、いまでこそ、真偽を確かめなければと思った。

「水穂さん。」

由紀子は水穂さんの枕元に座りなおして、水穂さんに聞く。

「私と、あの篠原っていう女性と、どちらが本命なのよ。」

「本命って、節子さんは、ただの介護人ですよ。本命も何もないですよ。」

と水穂さんが弱弱しくそう答えると、

「そんなことないでしょう!あの節子さんに介護してもらって、気持ちよさそうにねむっていたじゃないの!私の時には、そんな事全然しなかったじゃないの!」

由紀子は、妄想のようなことを言い始めた。

「そんなことありません。ただ、節子さんは、僕のことを手伝いに来てくれるために、理事長さんが、御願いしたんだと思います。別に由紀子さんをどうにかしようということではありません。」

水穂さんはそう説明したのだが、その言葉は由紀子の癪に障った。なぜか、知らないけれど、由紀子は水穂さんがそういえば言うほど、怒りが増してしまうのであった。

「そうなの!私よりも、あの女性の方がよほどよかったの!あの女性はやがて、ただの介護人という立場から変わって、あたしを、水穂さんからとっていくつもりなのよ!そして、あたしは、水穂さんから、引き離されてしまうんだわ!」

「由紀子さん、そんなことは決してありませんよ。そんなことを、させるために理事長さんは節子さんをここへ連れてきたわけではないと思いますよ。どうして、そんな妄想めいたことを思ってしまうのですか。そんなこと、思うことはまずないと思うけど。」

水穂さんが弱弱しくそういうと、由紀子は、

「好きだからよ!水穂さんの事が好きだからよ!何で私の気持ちわかってくれないの!」

と、金切り声で言った。

「そうなんでしょうか。仮に、そうだったとしても節子さんは、由紀子さんの気持ちまで侵食するようなことはないと思いますが。」

水穂さんはそう答えるが、その表情も疲れた表情で、其れが由紀子には、真実のような気がしてしまうのであった。言葉にすればするほど、水穂さんに言葉が通じていないようなそんな気がしてしまうのである。

「でも、そうなら、こんなふうに完璧すぎるくらい、きちんとしないわ!あたし分かるの。あの篠原節子さんって人は、水穂さんの事が好きなのよ。だから、ああいう世話もちゃんとやってくれるの。それ以外理由なんか考えられないわ。でも、今は、水穂さんは私のものよ。私だけのものになって!」

「由紀子さん、由紀子さんは何を言うんですか。私だけのものって。そんな、僕はものじゃないので、、、。」

水穂さんは言葉を途中で切った。由紀子が唇をわなわなと震えているのが、見えたからである。

「じゃあ、水穂さんは私の運命の人ではなかったの!?」

由紀子は思わずそういってしまう。水穂さんも困ってしまっているようだ。どう返答してあげたらいいのか。女性は、時々こういう間違いをすることがある。愛する人の態度があいまいになると、不安で仕方なくなってしまうという、誰かの歌詞が在った気がするが、まさしくその通りなのだ。

「水穂さん、その程度しか私の事感じてくれてなかったんだ!私は、水穂さんの事を、一生懸命想っていたわ。其れなのになぜ!何も伝わってなかったの!私の事、愛してくれるんじゃなかったのね!」

由紀子は、畳に突っ伏して、声をあげて泣いた。それを水穂さんは、どうすることもできないという顔をして眺めていた。由紀子は、泣いてないて泣きまくった。何時間泣いたかわからないけど泣いて泣きまくった。もう涙が出なくなってしまうなんていわれたけど、涙は際限なく出た。どこかでただいまという声が聞こえてきたような気がしたが、其れも気が付かなかった。

「由紀子さん、由紀子さん。」

不意に後ろで声をかけられて、由紀子はびっくりする。

「泣いてないで、手伝って!」

後ろにいるのは、篠原節子さんだった。彼女が目の前にいるのを見て、由紀子は殴りつけてやろうかと思ったが、其れと同時に、水穂さんのせき込んでいる音も聞こえてきたので、直ぐ我に返る。

「薬を飲ませるから、あなたは水穂さんの体を押さえて居て頂戴。」

と節子さんはせき込んでいる水穂さんの体をまずは横向きに寝かせなおした。そして、枕元に在った吸い飲みをとろうとしたが、由紀子はそれをむしり取るように奪い、

「私にやらせてください!」

と怒鳴った。節子さんはわかりましたとだけ言って、せき込んでいる水穂さんの体を抑えた。由紀子は、急いで水穂さんの口に吸い飲みの中身を、流し込む。同時に、水穂さんの口元が真っ赤に染まったので、これは失敗かと思い、口元を濡れタオルで拭いて、無理やり同じことをもう一度やらせた。由紀子が、二回目に薬を流し込むと、今回は中身を飲んでくれたらしくて、せき込む音は止まった。由紀子はその口元を濡れタオルで拭き、水穂さんにかけ布団をかけなおしてやった。まもなく、薬の成分で水穂さんは眠ってしまうだろうから。由紀子は、安心して眠ってほしかった。予想通り、数分後水穂さんは静かに眠ってしまう。本当は本人ともう少し話しをしたかったが、薬を飲ませるとこうなってしまうことは知っていた。

「よかったわ。幸い、知識としては、こういう時の対処法は知っていたんだけど、実行した試しがなかったから、一寸不安だったのよ。手伝ってくれてどうもありがとう。」

と、節子さんが由紀子に頭を下げてきたのでまたびっくり。

「試しがなかった?」

由紀子はオウム返しに聞いた。

「ええ、息子を10年近く介護したけれど、こういうことは直面しなかったから。」

節子さんは、はあとため息をつく。由紀子は、其れなら彼女に聞いてみても良いなと思い、勇気を出して彼女に聞いてみた。

「あの、親御さんを介護していたのではなくて、息子さんを介護していたんですか?」

「ええ、そうよ。」

節子さんは、にこやかに笑った。

「息子は、全身に激しい痛みが回るという病気で、自分で爪を切ることもできなかったのよ。だから、食事も、憚りも、着替えも、みんな私がやってたの。」

「ああ、あれですか、、、。」

由紀子は、思わずつぶやいてしまう。多分、海外の有名な女優が罹患したという病気と同じだと思う。確かに、全身に痛みが回るため、爪を切ることも、歩くことも、食事も脱衣もできなくなるという病気が確かにある。おかしなことに、体の検査をしても異常を発見できないのだ。骨折などをしたわけではないのに、全身に骨折した時と同じような、激しい痛みが回る疾患である。

「そうだったんですか。あのいわゆる、線維筋痛症というやつですね。」

由紀子は、そう節子さんに言うと、節子さんはそうよ、と言った。

「でも、どうして、その病気になったのか、教えてもらってもいいですか?」

と、由紀子が聞くと、節子さんは、

「そうね、もう話してもいいかな。高校生の時にその病気になったのよ。なんでも、クラスメイトの女の子に、バスケットボールの試合をしていて、ボールが当たってけがをさせてしまったらしいわ。其れで、その数日後から、全身が痛いというようになったの。」

とにこやかに笑って答えた。

「その女の子の親御さんと、私とで話し合って、解決できたかなと思ったんだけど、そうはいかなかったみたいね。多分きっと、息子は彼女の事が好きだったのね。」

「そうだったんですか、、、。学校って、確かに閉鎖的ですものね。息子さんにとっては、其れが世界のすべて見たいなところになっちゃうし、其れで自分で乗り越えられなかったんでしょうね。」

由紀子がそういうと、節子さんは、小さく頷いた。

「それで、あっという間に、何も出来なくなっちゃって。痛みのために私が介護しなければならない状態になったのよ。もうあの時は、本当に大変だった。そうなると、変なところで自分を責めてしまう気持ちがわいてしまうみたいで。」

節子さんの顔に涙が浮かんできた。

「10年後の誕生日に逝ったわ。消毒用のアルコールと、睡眠薬を大量に飲んでね。」

確かに、その病気で遠くへ行ってしまう可能性は少ないが、その痛みに堪え切れず自殺してしまうということは、非常に多い。由紀子もテレビなどで見たことが在るが、交通事故の加害者のような人が、

線維筋痛症を発症しやすいと言う。元々自分を責めやすい人がなりやすいという話も聞いたことが在った。もしかしたら、そんなことをした自分を罰するために、全身に激しい痛みを催しているのだろうか。

「でも、私は、そのことを何かに生かそうと思ってるから。」

と節子さんは言った。

「自分に激しい痛みを与えるような、そんなことはしないつもりよ。」

その言葉は、何か悲しい響きがあった。まるで、息子さんのようにはならないと言ってるような、そんな口ぶりだった。

「そうですか。息子さんは、そのけがをさせた女子生徒が好きだったのでしょうか?」

由紀子は何となくそういう気がして、節子さんにそういう話をした。

「ええ、でも、その女の子はうちの子のことをあまり好きではなかったみたいだけどね。運命の出会いではないって、はっきり断られたって言ってたわ。」

節子さんがそう答えたので、由紀子はきっと、息子さんは、彼女に運命の人ではないと言われても、彼女のことを好きだったのではないか、と思い直した。それできっと、彼女にけがをさせて、全身に激しい痛みを感じるようになってしまったのではないか。

「だから、あなたの気持ちはよくわかるわよ、由紀子さん。」

節子さんは、人生の先輩らしくそういう事を言った。

「あたしは、ただ、理事長さんに手伝ってくれっていわれてここへ来ただけの事よ。あなたの気持ちは絶対邪魔しないから、安心してね。」

節子さんの顔はお母さんの顔になっている。由紀子は、何だかまた泣きたくなって、ごめんなさいとだけ言った。また目頭が熱くなってくる。それではいけないと思うけれど。

「泣いてばかりいちゃだめよ。生きていくにはどんな時でも笑顔でいなくちゃ。」

「は、はい。決していたしません。」

人生の先輩にそういうことを言われて、由紀子は、涙を拭きながらそういうことを言ったのであった。






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かんちがい 増田朋美 @masubuchi4996

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