第三章~パルプ・フィクション~③
彼が探していたタイトルは、ジョン・ヒューズ脚本の『恋しくて』一本だけだった様だが、レンタルの手続きの際には、あえて
「他にお探しの作品はありませんか?」
と、たずねてみた。
もしも、彼が、「何かオススメのタイトルは無いですか?」と聞いてきたら、
(八〇年代の作品が好きなら俳優つながりで、『セントエルモス・ファイヤー』は、どうか?)
(最近の九〇年代の作品なら、『リアリティ・バイツ』を薦めたい)
(舞台となる時代を遡っても良いなら、『バッド・チューニング』もオススメだ)
(いや、そもそも、青春映画の原典とも言うべきルーカスの『アメリカン・グラフィティ』は、もう観ているか?)
など、いくつもの作品を挙げてみたかったのだが、残念ながら彼の答えは、
「今日は、その一本だけで良いです」
というものだった。
自分の用意していた答えが空回りに終わり、少し気落ちしたものの、また彼がビデオの返却をしに来店した時に会えるだろう、と考えた。
間の悪いことに、翌日は亜莉寿の通う中学校の登校日で、午後から店番に入った彼女と、午前中にビデオを返却しに来た彼との再会は叶わなかったのだが……。
それでも、わずか数十分のその日の出来事は、吉野亜莉寿にとって、中学三年の夏休みの中で、最も印象に残る時間として、胸に刻まれることになった――――――。
彼の差し出した会員証の裏面に書かれた《有間秀明》の名前とともに。
夏休みが終わって、亜莉寿が《ビデオ・アーカイブ》の店番に入ることもなくなり、彼の足もビデオ店から遠ざかっていた様だが、あの震災の後に、その彼が来店し、亜莉寿のことを気に掛けていたと、叔父から聞かされた時は、一言では言い表すことの出来ない複雑な想いが宿った。
そして――――――。
あの入学式の日、クラスの一番手として自己紹介を始めた男子が名前を告げ、自分の趣味について語り出した時の驚きは、それ以上に言葉にならないものだった。
(高校で、また会えるなんて!)
それから、出席番号が最後である自分の順番が来るまで、どのように、自己紹介をして有間秀明に自分のことを知らせようかと考えてみたが、結局、良いアイデアは浮かばず、最後に視線の合った彼に、自分の想いに気付いてほしい、と思いを込めるだけだった。
その後も、自分に対して話し掛けて来る気配の秀明に、イラ立ち、
(もしかすると、彼は冴えない見た目とは裏腹に女子の気持ちを弄ぶタチの悪いタイプなんじゃないか?)
と、有り得ない想像をすることもあった。
だが、クラスメートの正田舞から秀明に関する情報を聞いて、胸につかえていたモヤモヤした感情は、少し落ち着きを取り戻す。
しばらく、秀明たちの様子を観察する日が続いた五月の初旬、情報誌『ぴあ関西版』の上映スケジュールを眺めていた彼女は、神戸地区の映画情報のページに目をとめた。
(『パルプフィクション』と『レザボアドッグス』の二本立てがあるんだ!)
(まだ行ったことのない映画館だけど、どんな劇場なんだろう?)
(有間クンは、もうタランティーノの映画を観てるかな?)
そんなことを考えながら過ごした五月も下旬になろうとする、この日。
『パルシネマしんこうえん』の劇場入り口でチケットを購入し、半地下にあるロビーに続く階段を降りて、彼の姿が目に入った時は、驚きというよりも、
(このチャンスは、絶対に逃してはならない)
という想いが強かった。
ともあれ、ようやく、彼女の心をかき乱し続けた有間秀明と話し合える機会が巡ってきたのだ。
彼女には、映画の話し以上に、彼自身から聞いておかなければ、気持ちが収まらないことが、タランティーノ映画の台詞のように溜まっていた。
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