第三章~パルプ・フィクション~②

「あっ! ビデオ・アーカイブスのお姉さん!!」


 長い黒髪をポニーテールにまとめ、


(はい、コレでわかったでしょう?)


という表情を見せた吉野亜莉寿は、


「ようやく、思い出してくれた? じゃあ、約束通りジョン・ヒューズ脚本の『恋しくて』の感想を聞かせてもらえない? 有間秀明クン」


 その口調は、まさしく、あの夏の日に職務放棄をしていた女性店員のものだった。

しかし、彼女のコトバが終わると同時に、この日、一回目の上映開始を告げるように館内が暗くなり始める。


「あっ、映画が始まるみたいだけど、どうしようか?」


 秀明は、亜莉寿にたずねる。


「ん~」


と、つぶやいて、彼女は再び秀明を惑わせる微笑みを作り、


「有間クンは、どうしたいの?」

と問い掛けた。

 秀明は、その瞬間、その微笑みの意味をようやく理解した。

 手を伸ばせば届く距離だからこそ、わかる!

 そのスマイルは、


《私の気持ちを察しなさい!》


という無言の圧力なのだ。

 その刹那、秀明の脳裏には、二つの選択肢が浮かんだ。


 A:スクリーン前の良い席を確保しているから、一緒に見ない?

 B:せっかく、こうして会えたから吉野さんと話しがしたい。もし、良かったら、もっとお話しできないかな?


(吉野亜莉寿=ビデオ・アーカイブのお姉さんの言動からして、選択肢はコッチしかない!)


 そう確信した秀明は、意を決して提案する。


「せっかく、吉野さんと会えたから、映画の話しが出来たら嬉しいな、と思うんやけど。もし、良かったら、これから、お話し出来ないかな?」


「えぇ~」と声を発した亜莉寿は、もったいぶって、


「タランティーノの二本立て楽しみなんだけどな~」


などと口にするが、言葉とは裏腹に、先ほどの高圧的な印象は消えていた。


「でも、まあ、有間クンが、そんなに私とお話しがしたい、と言うなら仕方ないか~」


目元にも口元にも緊張が弛んだ表情が見てとれる。


(吉野さん、口元が緩みすぎなんですけど)


と声には出さずに感じながら、自分の選択が誤っていなかったことに安堵した。


(もし、選択肢を誤っていたら……)


その先のことは、恐ろしくて考えたくもなかった。



 この日の一回目の上映回の観賞を遠慮することに決めた秀明は、急いで予告編が流れる場内に戻って、座席確保のために置いていた荷物を回収し、亜莉寿にこんな提案をしてきた。


「この映画館は、許可をもらって再入場することが出来るから、良かったら、一度外に出よう? ロビーで話し込むと、観賞中の人たちに迷惑が掛かるし……」


 彼女も同意して、二人は《外出札》と書かれたプラスチック製プレートを窓口の人から受け取り、劇場の真上にある湊川公園に移動する。


「この前のドリンクのお礼」


と言って、移動中に自販機で買ったドリンクを秀明に手渡された亜莉寿は、彼が隣のベンチに腰掛けるのを待つ。

 五月下旬の陽射しは暖かく、開放的な雰囲気もあり、公園で過ごすには絶好の環境だ。

 受け取ったドリンクの栓を開け、亜莉寿は、あの夏の日から今日までのことを想い返した。



 吉野亜莉寿が、叔父の経営するビデオ・アーカイブス仁川店(と言っても店舗は、この一軒のみなのだか)を手伝う許可を両親からもらったのは、中学三年の夏休みのことだった。

 彼女が、このレンタル店の手伝いをかってでた動機は、叔父にこの店の店名の由来を聞いた時に、聞かされたこんなエピソードに興味をひかれたからだ。


「あぁ、《ビデオ・アーカイブス》っていうのは、アメリカの南カリフォルニアにあるレンタルビデオ店から取ったんや。そのビデオマンハッタンビーチ・ビデオ・アーカイブスの店員に、『トップガン』を借りに来た客に対して、口八丁でゴダールの作品を薦める人間がいたらしい。で、その店員が『レザボアドッグス』を監督したクエンティン・タランティーノやねんて。なかなか面白い店やろ(笑)?」


 両親の仕事の都合で、子供の頃は海外で過ごすことが多かったためか、同年代の人間とは、なかなか趣味や話題が合わずに中学生活を過ごしていた亜莉寿は、叔父の言葉に、


「このお店で店番をすれば、映画好きのお客さんとオススメ作品を語り合えるかも知れない!」


と、あり得ない幻想を抱いてしまった。

 こうして、吉野亜莉寿は、日給三千円というお小遣い程度の給金で、夏休みの間、叔父の不在時に店番を任されることになったが、彼女の願い通り、ビデオレンタルに訪れた客と映画についての会話を交わす機会など、皆無に等しかった。


(このまま、何の収穫もなく、夏休みが終わってしまうのかな……)


と思い始めた、八月の終わり頃、突然降りだした雨の中、この店には珍しい、自分と同年代の男子が駆け込んできた。

 しかも、彼は、その日、亜莉寿が店番をしながら視聴していたジョン・ヒューズの関連作品を物色しているではないか!

 思わず視聴中のビデオテープを停止させ、テープの返却作業を口実に近付き、彼に話し掛けてみる。すると、彼女の想像した通り、少年は、ジョン・ヒューズ作品のファンだという。

 彼の感想を聞いてみたかった。

 そして、何より、自分のジョン・ヒューズ作品に対する想いを話したかった。

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